文脈力

 「あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ」と彼女は言った。「あの『ライ麦畑』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」

 「まさか」と僕は言って笑った。

村上春樹ノルウェイの森』(講談社文庫)p206より)

 

 「彼女」というのは「レイコ」のことである。

 この会話は僕がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を知っているから成り立つ会話である。

 

ランボーゴダールに影響を与えるとさ、知らんとか?」

アダマ「あ、ゴダールは知っとる、世界史で去年習うた」

「世界史?」

アダマ「インドの詩人やろ?」

 (村上龍『69』(集英社文庫)p16より)

 

 〈僕〉とアダマの会話である。

 噛み合っていない。

 アダマはタゴールと勘違いしていたのだ。

 ゴダールは映画監督である。

 

 こんなふうに教養があるかないか、知識があるかないかで、会話の質は変わってくる。

 別に村上春樹で出てくるような意識高い系の人たちと高尚な会話をしたいわけではないが、俺としては最近の流行りのものをよどみなくお話ししたいとは思っている。そのためには知識がいる。

 

 最近、齋藤孝の『文脈力こそが知性である』を読んでいる。

 齋藤孝は中学生でも理解できるくらい端的でわかりやすく書いてくれている。中学生くらいの年の子達におすすめするような著書である。

 だが、読書習慣を身につけたのが大学二年生からである俺は中学生が読むような判りやすい本も大人が読むような難しい本も読んでいる。

 

 さて、『文脈力こそが知性である』について。

 当意即妙なレスポンスが求められる時代に「文脈力」(著者の造語で、連なる意味を的確につかまえる力のこと)が大切になってくる、といったことが書かれている。

 

 連なる意味を的確につかまえるために、どうすればいいのか?

 

 著者はいろいろ書いていたが、その中でも俺は「興味関心を持つこと」が一番大事だなと思った。

 

 根付 IWC スーザフォン アマンダ・セイフライド F8トリブート コックス タリアテッレ マテオ・リッチ チェリーコウマン

 

 いや、知らん。

 

 根付…江戸時代に使われていた留め具。

 IWC…時計ブランド

 スーザフォン…低音金管楽器

 アマンダ・セイフライドアメリカの女優

 F8トリブート…フェラーリのスポーツカー

 コックス…アパレル専門店

 タリアテッレ…パスタの種類

 マテオ・リッチカトリックを伝道したイエズス会

 チェリーコウマン…競走馬

 

 俺の興味のないジャンルだらけ。

 だから知らん。

 

 ナイチンゲールダンス 恒川光太郎 中村麗乃 マリオ・アンチッチ 笠井崇正 モンテ コスタリカの石球 舐瓜

 

 以上に挙げたのは、俺は知っているけど世間的知名度が低いと思われる人やモノ。

 

 ナイチンゲールダンス…吉本の若手芸人

 恒川光太郎…小説家。『夜市』で直木賞候補。

 中村麗乃乃木坂46三期生

 マリオ・アンチッチ…クロアチアの元プロテニス選手

 笠井崇正…横浜DeNAベイスターズの若手ピッチャー

 モンテ…マリオで出てくるキャラクター。マリオサンシャインとか。

 コスタリカの石球…コスタリカで見つかった綺麗な球のかたちの石。(オーパーツ

 舐瓜…「メロン」と読む。漢字に詳しい。

 

    たとえば、俺がある人から「ナイチンゲールダンス面白いですねー」って言われたら、そうだよな!   と興奮する。

    でも、「アマンダ・セイフライドがさぁ」って言われても、何も言えない。

    やっぱ、知識はあった方がいい。

    会話のタネになる。

 

    娯楽・芸能もいいけど、やっぱり教養はいる。

 

 伝統工芸品とか日本の名所とか中国史とか、そういった教養のあるものにはまっていかなければならなと思う。

 

 こういった教養・知識って、「国語」を学習しているときに獲得できる気がする。

 あらゆるジャンルの評論文を読んで、興味関心を持って、そいでそのジャンルの沼にはまっていく。

 

 手っ取り早い話、「読書習慣」を身につけて、いろんな世界の扉を開いて欲しい。

 誰に?

 若い人に。

 中学生とか高校生とかに。

 俺は本を読み始めるのが遅すぎた。

 だから、興味関心の幅が狭いんやと思う。

 

 だって、俺が中・高のときにハマっていたものって、「漫画」とか「アニメ」とか「ゲーム」で、それらって一過性の幸福を充たすためのものに過ぎないものだ。

 漫画やアニメの知識が将来活きるとは思えない。

 酒の席で同朋と懐かしがるくらい?

 

 ソーシャルゲームだって、ゲームの知識を増やそうが、運営がサービスを終了すれば蓄積したその知識は無駄になるわけだ。

 

 娯楽って、人生を豊富にさせるものだけど、過剰摂取しちゃうと損しちゃう。

 

 一過性の幸福を得るんじゃなくて、一生涯、楽しめるものを見つけるためにもやっぱ本を読むべきだと思う。それで「興味関心」を見つけるべきやと思う。

 

 でも、知識を身につける際の留意点がある。

 知識があっても使う機会がなければ「宝の持ち腐れ」。

 

「家ついて行ってイイですか?」って番組で「知識って最終的には虚しいよ」って言ってたじいさんがいたけど(家の棚にはドストエフスキーとかエリセーエフとかあった)、それに対し、Twitterで「知識は使いどころによっては輝く。死蔵すれば塵同然になることもある」って言っていた人がいた(検索したけど出てこなかったが)。

 

「知識」を得たその先が重要なんだ。

 

 そのじいさんは知識を披露する場がなかっただけだ。

 知識を発揮する場がなかっただけだ。

 孤独だったばかりに。

 他人と触れる機会がなかったから。

 

 

 あとはそうだ。

 

 知識を得たことでいい気にならないこと。

ライ麦畑でつかまえて』とか『ドストエフスキー』とか、そういった文学的・芸術的知識は、現実世界ではあまり自分から発信する機会はないだろう。

 だからといって、自分から発信すると衒学趣味がすぎる。

 

 個人的に好きな作家、町屋良平さんの『坂下あたると、しじょうの宇宙』って小説に出てくる京王蕾って女の子は次のように言っている。

 

「文学とか詩とかについてゴチャゴチャ言うの、わたしほんとキョーミない。なんとも思わない。小説読んで人生豊かになってるつもりのタイプ、ほんと害悪だと思っているし。勝手にやってください、って感じ。べつに否定するわけじゃないけど、押しつけないで、っていう。なんかそういう人たちって、文豪フリーク美談すごい言うじゃん? 安部公房狂ってるとか、谷崎は変態とか、太宰は十代で読めとか、そういう浅いトークで人生トクした感出さないで勝手に読めばいいのに」

 

 

 刺さる。

 そう考えるコもいるってことを忘れないようにしよう。

 知識を持っているがゆえに、「君そんなことも知らないの?」とか「実は○○はね」と聞いてもないのに知識を披露したり、クイズ番組で間違えた芸能人に「えー嘘―」と大袈裟に馬鹿にするみたいに笑ったり……。

 ぜったい、いくない。

 いくない。

 

 このブログは思考のアウトプットだ(だから、評論文口調と関西弁が混交したり、あちこちに論が飛んだりする)。

 「本は読んでおいた方がいいよ」と勧めるくらいで留めておいて、「本を読め」と命令はしないことにする。

 

 これから気をつけよう。

 

 

文脈力こそが知性である (角川新書)

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  • 作者:齋藤 孝
  • 発売日: 2017/02/10
  • メディア: 新書