伝えたいことを伝えるために
どうやって人にわかりやすく伝えればいいのか。
私の一番の悩みどころである。
私は小さいときから話すのが下手だった。だが、その下手さから笑いを誘ったこともあり、別にこのままでもいいかと思うようになった。
だが、働き始めてから、伝達能力のなさが露呈し、これはマズいと思い、人にわかりやすく何かを伝えるためにどうしたらいいかということを考えるようになった。
実践あるのみ、と言われたら、その問題を先送りしてしまいそうなので、本を頼りに「わかりやすく伝える方法」について考えていくことにした。
1.入口から装飾していく
1.目を引くタイトルについて僕らはまだ何も知らない
このブログのタイトルはけっこう適当だ。
「○○について考える(Ex.いじめについて考える)」とか「熟語のみ(Ex.物語・デジャヴ)」とか、どれも正直読者の目を引くようなタイトルではない。
私のように私のために書いているブログ(それでも読者さんはいます。いつもありがとうございます。)では、さほど重要ではないが、出版する本のタイトルとかYouTubeのタイトルとかそういったものは購買者や視聴者の目を引くために奇抜なタイトルにしたりする傾向がある。
本で言うと、「世界の中心で、愛を叫ぶ」とか「君の膵臓を食べたい」とかそういったタイトルは目を瞠るし、気になったりする。結果、話題が話題を呼んで、人気作品になる。
他にも「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」とか「限りなく透明に近いブルー」とか「夜は短し歩けよ乙女」とか「アヒルと鴨とコインロッカー」とか「すべてFになる」とか……。
おやっと思わせるようなタイトルをつけるのはかなり重要だ。
私自身、このチャプターの「入口から装飾していく」という題は背伸びして書いてみた。正直、わかりにくさを招いている気がしてならない。
ところで、「タイトルが重要」という話をしているが、「伝え方の話なのに、タイトルっすか?」と言われそうだ。私は「入口」にいろんな意味を込めた。「タイトル」のみならず、話すときの「つかみ」、頭に残るキャッチフレーズなどを含めた。
2.手で国と書いて「掴」なんですね。なかなか規模が大きい。
では、次に「つかみ」について述べていこうと思う。
例えば、知人から電話がかかってきて、
「もしもし、久しぶり。ねえ、さっき道を歩いていたら、前からサングラスをかけた男が歩いてきて、その人が急にこっちに向かって走って来たんだよね。え? 急に走るじゃんって思ってたら、私の真横を通り抜けてさ、私のバッグをひったくられたの。びっくりじゃない?」
と言われたら、どう思うだろう?
文章で見れば、情景を思い浮かべながら理解できるが、電話で聞いていたら、「この話の着地点はどこだろう?」とか「どうしてこんなに興奮気味にはなしているんだろう?」とか余計なことを考えてしまうのではないだろうか。
文章は自発的に読むのでさほど冗長でも問題ないが、電話や口頭で話をされるとき冗長なのは聞き手からすると困るのではないか。ダラダラ話長い人って嫌われるし。
「つかみ」があれば、聞き手は聞こうと思ってくれる。
さっきの例で言うと、
「さっき、ひったくりにあったんだけど!」
と出だしで言われたら、聞いている方からすると「え?」っと驚き、話に興味を持つようになる。 それくらい、「つかみ」の持つ力は大きい。
(まあ、「人志松本のすべらない話」を見てたら思うけど、「つかみ」がなくても、最後の最後に笑かせてくれるような話もある。それは芸人だからなせる技であって、一般人のほとんどはそれほど優れたトーク術は持ち合わせていない。だから、「つかみ」はかなり重要だと思う。我々一般人にとっては。)
3.え? 人の心をグッと掴めるの?
さて、次はキャッチフレーズについて述べていきたいのだが、今回はそれを含めて、見る人・聞く人を「おやっ」と思わせる言葉を駆使して伝え方をよくする技術について紹介していこうと思う。(っていってもほとんど佐々木圭一さんの『伝え方が9割』の内容の要約だけどね)
見る人・聞く人の関心を寄せさせる言葉のことを本では「強いコトバ」と表現されている。感動スピーチも、映画の名台詞も、この「強いコトバ」で出来上がっているのだそうだ。
佐々木さんによると、強いコトバは5つの技術によってつくられているそうだ。
①サプライズ法
サプライズとは「驚き」と言う意味だが、そのまま驚きを表現するワードを付加することで、強いコトバをつくりあげるのだ。
例としては「あ、小林製薬」とか「そうだ 京都へ行こう」(こちらはサプライズとは言いにくいかもしれないですが)とか。
CMで頭に残るフレーズだ。
「小林製薬」とだけ社名を言ったところで何の印象にも残らないし、「京都へ行こう」だけではあまり京都へ行こうという気分にはならない。
「あ、」「わっ、」「びっくり」「げげげ!」「うわ、」とか、一見わざとらしく見えるし、鼻につくようなワードかもしれないが、頭に残りやすいのは確かだろう。
そういえば、「うわっ……私の年収、低すぎ……?」もそうだな。
②ギャップ法
スタート地点を下げ、言いたい意味にギャップをつくってあげるという技術のことだ。
「好きです」というストレートな言い方よりも「嫌いになりたいのに、あなたが好き」とか、そういった言い方の方が、何かよさげに聞こえる。
何かのアニメの話だ。女の子が長い間いっしょにいた男の子に「好きです」と告白したのだが、男の子が「ごめん」と謝ったのだ。一視聴者の私(てか私は何でこんな甘酸っぱいアニメを見てたんだ?)は「えっ」って思った、画面に映る女の子も「えっ」と泣きたそうな顔をしていた。だが、男の子は「ごめん……俺から言うべきだったのに、好きだって」と言った。
きゃー
こういうのもギャップ法なんだろう。
「事件は会議室で起きているんじゃない! 現場で起きているんだ!」
「お前の為にチームがあるんじゃねえ チームの為にお前がいるんだ!」
(『スラムダンク』安斉先生)
とかもね。
③赤裸々法
最も伝えたいコトバがあるとする。
それが「好き」だったとする。
その「好き」を伝えるとき、身体はどんな反応を示しているのか、それを言語化してみるというのだ。例えば、「顔が真っ赤になるくらい」とか、「のどがカラカラになるくらい」とか、そういった正直な身体の反応を示すコトバを、伝えたいコトバの前に置くことで、ぐっと伝えたい思いを強くさせる。
「自分の鼓動がわかる。あなたが好き」
いや、これあれね、本に書いているんよ。
私が恋愛術知りたいから、こうやってアウトプットしているとかじゃなくて……(汗)
④リピート法
これはわりとわかりやすい。
相手の記憶に刷り込み、感情を乗せる技術である。
「さいた さいた チューリップのはなが~」とか「ドラえもん ドラえもん ホンワカパッパ ホンワカパッパ ドラえもん」とか。
記憶に残りやすいフレーズだ。
例えば、会話の中に用いるとすれば、「今日は暑い」とかじゃなくて「今日は暑い、暑い。」といったふうにね。
⑤クライマックス法
人の集中力は20分と呼ばれていて、授業や会議の後半で集中力が途切れてしまうのは仕方のないことだそうだ。
まあ、私でも文学の授業が好きだと言っても、後半はわりと集中力が途切れていたしね。
だが、「これだけは覚えて欲しいのですが」とか「ここから面白い話ですが」とか、そういった強烈なメッセージを置くことで、寝ている人の目を覚ますことができる。これがクライマックス法である。
「ここテスト出るよー」と同じ理論だね。
他にも「ここだけの話ですが」「他では話さないのですが」「誰にも言わないでくださいね」「一言だけつけくわえますと」「三つのコツがあります」とか。
そういえば、職員室でベテラン先生が保護者さんと電話で話をしていたのを聞いていたら、ベテランの先生が「今から三つお伝えすることがあります。一つ目が○○です」というふうに、保護者さんに聞き逃して欲しくないような工夫をしていて、すごく勉強になった。
2.頼みごとをしてみたい!
人は誰しも頼みごとをする。
上司であったり部下であったり友だちであったり……。
了承してもらえるときもあれば、却下されるときもある。
却下されたとき、「頼みごと」の中身が悪かったと決めつけてしまうときがあるが、実は案外、「頼み方」が悪かったのかも……。
①願いをそのまま言葉にしない!
「この仕事お願いできますか?」と、単刀直入に頼みごとをするのではなく、
「いつもありがとう。山田さん。この仕事お願いできますか?」と、感謝の言葉と名前を加えて、頼みごとをすると、頼まれた側は引き受けてみようかなと思うようになる。
確かに、学校でも生徒に「元気か?」と言うより、「○○(名前)元気か?」と言ってあげたほうが、生徒は「先生、名前覚えてくれてたんだ」って思い、先生への信頼度もグッと上がる気がする。
②相手の頭の中を想像する
「いつもありがとう。山田さん。この仕事お願いできますか?」
そう頼んでも引き受けてくれないときだってある。
そんなときは、「情報収集力に長けた山田さんにしか頼めない仕事なんです」といったふうに相手を褒めて頼みごとをする。
その山田さんが情報収集力に長けているのなら、そこを褒め、山田さんにしかできないといった言い回しをするのである。
そのために、相手がどういう能力を持っているか、趣味は何か、好きなもの、嫌いなものは何かといったことを見極める必要があるが。
③相手のメリットと一致するお願いをつくる
「いつもありがとう。山田さん。この仕事お願いできますか? 情報収集力に長けた山田さんにしか頼めない仕事なんです」
そこにさらに、「この仕事で成果を上げれば、部長の評価がかなり上がると……」というふうに、相手のメリットになるということをしっかり伝えることで、よりグッと仕事を引き 受けてくれる確率は上がる。
八方美人って陰で呼ばれそうだけど、気にしない。
まあ、伝え方というか「世渡り上手になるには」って感じの指南書だね、『伝え方が9割』は。
最後に、頼みごとに対し、「YES」と答えてくれるための7つの切り口を紹介する。
①相手の好きなこと(相手のメリットを一致させる)
Ex) 女好きの先輩に…「可愛い受付が入ったんです。ちょうど届け物があるので、お願いします」
②選択の自由
Ex) 「デザートはいかがですか?」→「フルーツタルトとマンゴーアイスはいかがですか?」
③認められたい欲
Ex)「残業お願いできる?」→「きみの企画書が刺さるんだよ。お願いできない?」
④あなた限定(相手の頭の中を想像する)
Ex)「会議に来てください」→「他の人が来なくても、五十嵐さんは来てほしいんです」
⑤チームワーク化
Ex)「飲み会の幹事やって」→「いっしょに幹事をしよう」
⑥嫌いなことを回避
Ex)「芝生に入らないで」→「芝生に入ると農薬のにおいがつきます」
※大阪のとある山間部で不法投棄に悩まされていた。「ゴミを捨てないでください」という注意喚起の看板では効果がなかったが、「不法投棄者を見つけ、すみやかに通報し、抽選で沖縄旅行に行こう!」という看板に変えたところ不法投棄はめっきりなくなったそうだ。このことから、「痴漢がでます!」とか「歩きスマホは危険です!」といった注意喚起ではなく、「この近隣のみなさまの見回りにより痴漢を逮捕することができました」とか「歩きスマホで赤信号で渡ってしまった男性が事故にあってしまいました」とか、そういった「嫌なこと」から避けさせるための看板の方が効果ありなのは理解できるだろう。
⑦感謝
Ex)「トイレはきれいに使って下さい」→「いつもトイレをきれいに使っていただき、ありがとうございます」
日常にはあらゆる工夫が凝らされているんだなと思いながら、私の方からもそういった工夫を凝らせる側の人間になりたいなと思った。
3.プレゼンテーションをする!
(齋藤孝『誰からも「わかりやすい」と言われる大人の伝え方』から)
1.かいつまむ
長い話をされても聞く側からすると精神的にしんどい。
校長先生の話を聞くのが退屈であるのと同じように。
まず、長い話をかいつまんでまとめる必要がある。
例えば、たくさん資料を作成し、それをプレゼンする場合を考える。
どうするか?
プレゼンは簡潔に話さなければならないから、こうするしかない。
全体のテーマを把握して、いくつかのポイントを抽出し、それぞれの繋がり方を意識して一つのストーリーにまとめる。つまり、「構造化」するのである。
ここで要されるのは、「拾う」ことではなく「捨てる」ことである。
情報の断捨離。
要らない言葉は徹底的に削っていく。
まず、プレゼンをして、ついつい長話になってしまうのは、「自分はここまで調べてきた!」ということを伝えたいという気持ちが前に出ているからだ。
そもそも、聞いている側は「あなたの頑張ったこと」なんて興味ない(身もふたもないことをいうけど許して)のだから、プレゼンのはっきりとした主旨さえつかめたらそれだけでいいと思っている。「うまく話すための技術」っていうタイトルの本(実在しないよ)の内容の八割が筆者の自慢話だったら嫌なのと同じ。
だが、うまくポイント抽出できるかということが不安の種だろう。
基本的には「伝えるべき結論を見据えて逆算し、情報を組み立てる作業」が求められる。
そのためには鍛錬が必要になるけど。
私がしているように読んだ本(インプット)をアウトプットするという作業はそういった要点を掴むための練習になる。
2.情報の取捨選択
プレゼンするための資料に「必要な情報」(20%)、「客観的に見て重要な情報」(30%)、「客観的に見てまあまあ重要な情報」(25%)、「捨ててもいい情報」(25%)、というふうに区分けして、「必要な情報」は使って、「客観的に~」の情報ふたつは補足として用いて、「捨ててもいい情報」は惜しみなく捨てる。
テスト対策に似ている気がする。
ここは重要! ってところは必死に勉強して、ここはまあまあ重要ってとこは二番目くらいに頑張って、ここは必要ないなってところは切り捨てる。
私はそういう取捨選択が苦手だったので、「必要ない」ところも頑張って勉強していたけど、あれはただの時間の無駄だったな。
3.三段ピラミッド
あと、「根拠」、「具体例」はかなり大事である。
例えば、「人は他人の話の80%は聞いていない」という理論を人に説明するとき、どうするか?
まず、結論は「人は他人の話の80%は聞いていない」であるので、着地点はそこであることを明確にしておく必要がある。
そして、根拠を挙げる。
「あなた自身聞いていない」(抽象的でいい)
次に、具体例を挙げる。
「あなた、会議のとき、ついつい別のことを考えたりするでしょ?」
これによって、「具体例」、「根拠」、「結論」が繋がった(俗に言う「三段ピラミッド」。具体例が下で複数個ある、根拠が中、結論が頂点で一個。)
4.図式化
資料において重要ポイントにマーカーを引いたり、手書きでメモを取ったり、資料の内容を一瞬で伝わるように図化しておくことも必要だろう。
(文章をびっしり書き込んでいると読み直したとき、何を書いていたのか思い出せなくなったりするので、図解にするっていうのははほんとうに得策だ。レイアウトにこだわることで、見やすい資料のできあがり!)
5.優先順位
あと、話の優先順位をつけることも大切だ。
これはプレゼンに限らず、人に何かを説明するときもそうだ。
かなり前に挙げたひったくりにあった知人女性の例を使う。
「さっきひったくりにあったんだけど! 道を歩いていたら、前からサングラスをかけた男が歩いてきて、その人が急にこっちに向かって走って来たんだよね。え? 急に走るじゃんって思ってたら、私の真横を通り抜けてさ、私のバッグをひったくられたの。びっくりじゃない? あの男、体型がよかったから多分あれはスポーツマンだよ。サングラスつけてたから目はわかんないけど、……」
それを聞いたあなたは「財布とか盗まれたってことなんだよね」と心配して言う。
すると、相手は「いや、相手が途中で誤って落としてくれたから、貴重品は奪われなかったよ」
ずこー
だよね。
だったら、「運よくカバンを落としてくれたから貴重品は盗まれなかったよ」と最初の方で言うべきではないか? 男の容貌とか聞き手からすればどうでもいいことではないか?
細かい描写はどうでもいじゃないか?
とにかく、あることについて話すとき、優先順位をつけて話すべきである。
上記の例でいうと、
1.ひったくりにあったこと
2.運よくひったくり犯はカバンを落とし、中身は盗まれなかったこと
と、順位をつけられる。
これもある意味情報の断捨離だね。
相手が何を知りたいか、考えて話さないと。
大切な話は後回しにしないということ!
4.会議
(齋藤孝『誰からも「わかりやすい」と言われる大人の伝え方』から)
1.空気は流れている
会議室で行う会議というのは、何だか閉鎖的だ。
閉鎖的なところには「空気」が流れる。
どんな空気か?
会議の支配者に追従しようとする空気だ。
クラス内でワイワイ盛り上がるのと、電車内でワイワイ盛り上がるのとでは、何だか流れている空気が違う感じがする。
クラス内はどれだけ騒いでも全然かまわないって思うのに、電車内だと少し気が引ける。(個人差アリ)
電車内はいわば共通の場であり、どうしても「ひとりで勝手なことをしてはいけない」という意識が働いてしまう。それほど「空気」の持つ力はすごい。(いじめだって、空気によって生まれる)
ということで、会議室での会議では支配者に追従しようとする空気が流れるのなら、逆にこちらから「意識的に空気をつくったり、雰囲気を変えたりする技を会得してしまえばいい」のだ。
そのために、まず「場を支配している人は誰か」見抜くのだ。
相関図をつくってもいい。
AとBは友好でBとCは対立していて、DはAに服従しているといったふうに。
こういった図をつくるためには相手のキャラクターを知る必要があるので、一朝一夕にできることではない。普段から洞察力・観察力を磨いておくべきだろう。
2.いろんな人がいる
いろんな人がいるな。
十人十色。
いろんな性格の人間がいる。
いい人もいれば悪い人もいる。
理解できないような人間もいる。
避けて通れるなら、この理解できない人間を避けたいものだ。
だが、そうはいかない。
「あなた見た目からして教師に向いていない」
インターン先の先生に言われたガチの言葉。
これを聞いたときは、「そこまで言うか」と思ったほどだが、なんであの先生はあんなことを言ったのかを今更ながら(二年前に言われた言葉だしね)考えてみる。
簡単だ。
私のような見た目の教師はことごとく教師に向いていないような人たちだ、という統計があの先生の中にあったのだ。
これを齋藤氏は「自分統計」と名付けている。
自分統計を信じている人は、個人の経験と成功法則を重視しているのだ。
年を重ねている人ほど、その自分統計は揺るぎないものなんだろう。
私にもそういった自分統計はある。
「話が長い人は人の話を聞かない」
そういった統計。
誰しも経験や体験から自分統計をつくりあげたわけだから、その枠組みを外してやるのは難しいだろう。だからこそ、私が「教師に向いている」人材になれば、その先生を見返せるわけだ。
また、人それぞれそういった自分統計を持っていることを理解していれば、「どうしてあんなこと言えるの?」「どうして決めつけるの?」「理解できない!」って嘆くのではなく、「きっと、そういう統計があの人の中にはあるんだろうな」と一歩下がったところから悠揚迫らぬ心地で首肯することができる。
3.聞く姿勢
あとは、聞く姿勢かな。
当たり前の話だが。授業を聞く側がしっかり真っ直ぐ見ていたら、教師もやる気が湧いてくるように、「話す側」と「聞く側」のwin-winの関係を築くために、聞く側は「あなたの話をしっかり聞いていますよ」と目線を合わせたり、肯いたりすることが重要だ。
聞き上手になれ。
だいたい「話し上手になるために」といった系の本にはだいたい「聞き上手になれ」という教えが書かれてある。それくらい「聞く」って姿勢は大切なんだろう。
5.わかりやすい説明
(池上彰『相手に「伝わる」話し方』から)
突然だが、私はジャルジャルが好きだ。
YouTubeで見ていただきたい。(タイトルは「野球部」だが、これは「理解不能者シリーズ」のひとつである)
注:後藤(ツッコミ)、福徳(ボケ)
後藤が「真似して」と言って、福徳が郷ひろみのモノマネをする。
後藤が「バット持って」と言って、福徳が赤ちゃんを抱くような持ち方をする。
後藤が「バット振って」と言って、福徳がバットを縦に振る。
後藤が「戻して」と言って、福徳が口に指を突っ込み、吐こうとする。
ここまで言葉が通じない人は滅多にいないだろう。
だが、ここまでとはいかないが、言葉の通じない人はけっこう多い。
そもそもだが、メディアは「すでに知っていること」を当たり前のように伝える節があると思う。例えば、ニュースの報道をみていても、最近だとPCR検査という言葉はよく聴くが、実際どういった検査方法をするのか知っている人は少ないだろう。もしかすると「PCR検査が~」と言うと「なにそれ?」とも言われることあるかもしれない。
メディアだけでなく、私たちだってそうだ。例えば、私が小学生相手に「一念発起して頑張ろう」と言っても、小学生はみな首を傾げることだろう。それと似た体験(相手が小学生でなくても)をした人はけっこういるのではないか。
相手への想像力が足りないことがゆえのコミュニケーションの失敗。
相手の語彙力が足りない、理解している領域が狭い。
そういった、「なぜ相手に伝わらないのか?」という疑問にぶつかったら、自分の相手への想像力が足りているか確認してみる。それをしたら今度は伝え方を変えてみる。
これが重要となる。
池上彰『相手に「伝わる」話し方』には「わかりやすく説明するための五箇条」が載ってある。紹介すると、
①むずかしい言葉をわかりやすくかみ砕く
(所信表明とは「初心」を「表明」ではなく、「所信(自分の考え)」を「表明」することである。こんな具合に熟語からその意味を明らかにさせる)
②身近なたとえに置き換える
(エルサレムの聖地が集中している「旧市街地」はわずか一キロ四方なのに三つの宗教が集中しているので複雑な問題が発生している、ということを説明する際に、「一キロ四方」だと判りにくいので、その面積と同等の場所を見つけて説明するべきである。※同等の場所は東京ディズニーランドだ)
③抽象的な概念を図式化する
(教科書で多く見られる。核燃料サイクルの流れを図式化したものや細胞の中の様子を簡易にデザインしたものなど)
④「分ける」ことは「分かる」こと
(「失業者」について説明する際に、まず「労働力人口」、「非労働力人口」に分けられ、前者は「15歳以下」、「病人」、「高齢者」、「専業主婦」、「学生」、「はたらく気のない人」などに分けられ、後者は「就業者」、「完全失業者」に分けられる。図式化に似ているかもしれない)
⑤バラバラの知識をつなぎ合わせる
(インドネシアから独立した東ティモールを説明しようとするとき、「東ティモールはかつてポルトガルの植民地で、地理的に隣であるインドネシアはオランダの植民地だった。ポルトガルと言えば、日本に鉄砲をもたらした国で、オランダは日本が鎖国政策をとっていた際、唯一出島で貿易をしていた国である。ポルトガルとオランダは16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパからはるばる日本までやって来ていた。その頃、ポルトガルは東ティモールを、オランダはインドネシアを植民地にしていた。」こういった知識から東ティモールとインドネシアについて分かりやすく説明できる)
以上の五箇条に加え、私は三つ追加したい。
一つ目が、短い言葉で話す。
二つ目が、余計な言葉を挟まない。
三つ目が、ボディーランゲージを大切に。
ということだ。
一気にまとめて説明する。
短い言葉で話すというのは、接続詞をいっぱいつけて、一文を長くして話さないということである。余計な言葉を挟まないというのは、「えー」とか「あのー」とか、そういった相手から自信なさげに聞こえてしまう言葉を入れないということである。最後の「ボディーランゲージ」はそのままの意味。
例を出そう。
「下半身でしっかり上半身を支える必要がありますので、えー、まず足の裏をしっかり地面に着け、そこから身体の軸を感じながら、えー、上半身をくるっと回して、それで腕もその上半身の回転といっしょに、えー、むちのようにしなって、くるっと回して打ちます」
これは、私がテニスコーチをしていたときにしていたアドバイスだ。
はっきり言って判りにくい。
同じ言葉を使っているし(繰り返しは場面によっては効果的だが)、そもそも一文が長い。これをダラダラ話せばきっと二十秒はかかるんじゃないかな? せめて、十五秒だ(CMと同じ時間)。それを超えると、聞き手はもしかすると聞いてくれなくなるかもしれない。
こう改めるべきだ。
「下半身でしっかり上半身を支えます。このとき、足の裏をべったり地面に着けます。身体の軸で上半身をくるっと回す。そのとき! そのときに! 身体をしならせる。そして、腕もいっしょについてくるよね。それで、打つ。まるででんでんだいこみたいですね」
文を短く区切ると、情報を受け取りやすくなるし、余計な言葉を挟まないでことで、「このコーチの言うことは信用できるな」と思われるようになるし、この説明の際にボディーランゲージを挟むことで視覚的にも判りやすくなる。
他にも「そのとき!」というふうに、今から言うことは大切ですよ、と注意を引きつけたり、「まるででんでんだいこのようですね」と、判りやすいものに例えてみる(相手の年齢層によって変える。相手が子どもなら判りにくい喩えになるので、別のものを用意したり、でんでんだいこを用意したりとか)。
簡単そうに見えるが、けっこう難しい。
特に「余計な言葉を挟まない」とか注意していても難しい。
無意識に言っちゃうもん。
6.すべき練習
(齋藤孝『誰からも「わかりやすい」と言われる大人の伝え方』から)
いろいろ述べてきたが、「伝える力」をアップさせるためにすべき練習がけっこうあるので、紹介しようと思う。まあ、「伝える力」というか「思考の整理」と換言した方がいいかもしれない。
全部やるのは大変だから、これはしておいた方がいいってやつだけ限定してやればいいと思う。
1.普段から文章を書く。
文章を書く。
だが、私のブログのような徒然なるままに書いていてはいけない。
小論文のようなものが好ましい。
三点倒立というものがあり、それが小論文では大切だ。
まず、「タイトル」で魅せて(前述)、本文中に頻繁に「問い」を挟む。「なぜ○○なのか」という具体的な命題だ。その命題に答えるとき気を付けなければいけないことがあって、だらだらその答えを書いていくのでは読者は読むのが億劫になってしまうので、まず「抽象的な内容」を書いて、そのあとに「具体的な内容」を書く。この「抽象」→「具体」の流れだ。そこに加えて、ひとつのまとまりの中で「序論」「本論」「結論」の「序破急」を埋め込み、さらに話題がぶれないように一貫した内容を書くことを心がけると、わりと理路整然とした内容のものを書けると思う。
次は、「引用」である。著者の知識・認識のベースがこの引用から判る。その引用が知的で高級であるほどパワフルになる。
三つ目が「自分の経験を入れ込む」ことだ。私のブログはこれが大きく欠如していると思う。自分の経験がまったく語られていない。というか、知識と結合するような経験がないのだ。経験の浅さ、だな。
以上の三ポイントを意識して文章を書くと、骨組みが強化され、以前よりも整然とした小論文が書けるのかもしれない。
2.KJ法
川喜田二郎氏がデータをまとめるために考案した手法である。
①雑多な資料はアイデアを洗い出し、一枚のカードに一つずつ書き込む。
②次に、それを適当にテーブルに並べていき、ある種のカオスをつくる。無造作に並べたカードからいくつかのグループを編成する。(カオス→コスモス)
③図解化する。
④叙述化する。
という4ステップから成る。
こんがらがった思考を整理するのに便利な情報整理法だ。
私的には、②まですれば十分ではないかと思う。
(まあ、ブレーンストーミングだよね、これ)
自分がどういうことを考えているのかを整理して、そこから重要な情報を抜き出す(いらない情報は捨てる)。
伝える力を鍛錬するために有効な練習法ではないかと思う。
3.比較シート
例えば、資料Aと資料Bをそれぞれ比較したいとき、それぞれの情報を取捨選択するとなると時間がかかってしまう。
それならば、「すごいよ!」シートと「違うよ!」シートをそれぞれ作成し、「すごいよ!」シートの方には資料の中でもっとも目を瞠ったものが視覚化され、「違うよ!」シートの方にはそれぞれの相違点が視覚化される。
比較するとき、それぞれ別の資料として考えるのではなく、お互い見比べることが大切で、それを二つのシートでまとめておけば、後から見ても判りやすくなる。
これを「伝える力」を鍛えるための練習方法として取り入れるためには、比較できるサンプルを準備しておく必要があるのでそういった面では大変だと思われる。
4.ひとり連想ゲーム
安宅和人『シン・ニホン』には、日本はゼロから技術を作り出すのは苦手かもしれないが、外国の技術から日本独自の発想から新たに創造するのは得意だという旨が書かれてあった。
なかなかゼロから発想するというのは難しい。
芥川龍之介の『羅生門』は今昔物語集から着想を得ているし、松本零士の『銀河鉄道999』は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』から着想を得ている。
ある事柄から、自分の知識や体験を結び付けて、新たな発想を生み出す。これを「ひとり連想ゲーム」と呼ぶ。これは商品開発する際に役立つし、何より「新しい事業」を立ち上げるときにも役立つし、言ってしまえば、この「ある事柄に関連性を見出し、新たな創造をする」というのは世界で求められていることだろう。
思考停止に陥る危険性があるこの世界で、自分を見失わない生き方をするためにも、この能力はこれから育てていくべきだろう。何もゼロから生み出す必要なんてないし、そんなの不可能だから。
7.最後に
のび太って学びのスイッチを入れたらあとは勝手に自発的に学習する人間になるはずから、それをしていない先生や親、ドラえもん側に非があるよなと常々思っている。
のび太はけっこうあらゆる方向に興味・関心のアンテナをめぐらせている。だから、伝え方次第で彼を学びに向かわせることはたやすいことではないか、と思うのだ。ママやドラえもんは「勉強しろ」とか言うし、先生は「廊下に立ってなさい」と学習の機会を奪うし、そういったふうに厳しい言葉でのび太を叱ったりするから、ますます彼の頭の中で「勉強=苦」の構図を固着させているのだ。そもそも、のび太は小学一年生の内容は完璧にできる(人生やり直し機の回だったと思うが、そこで小一に戻ったのび太は無双していた)はずだから、基礎が絶望的にないわけではない。だから、地道に、言葉を選んで(やる気を下げないように)勉強を丁寧に教えていけば、絶対彼は賢くなるはずだ。のび太が宿題にやる気が起きないのは、学習内容を理解していないのが原因なのだから、彼が賢くなれば、ママは「勉強しなさい」とがみがみ怒る必要もなくなる。
……と、何が言いたかったのかというと、相手に何かを伝えるとき、けっこう相手への想像力が足りないよねってこと。
伝えるという行為は相手がいて成り立つものである。
だから、第一に考えるべきは「相手」なのである。
相手のキャラクターを理解したり、相手が何を求めているのか推測したりと、そういったこちら側の「想像力」がかなり問われる。いろいろ述べてきたが、これに尽きるのではないかと思う。
あと、もう一つ。
「教育」というものは、「わかりやすく伝えてはいけない」ものだと思う。
例えば、中田敦彦のYouTube大学とかわかりやすいが、あれは「知のエンターテインメント」であり、視聴者に知識を注入しただけにすぎないのだから。
わかりやすい、は、諸刃の剣で、伝えられた側は正確に知識が伝達されるが、同時にそこから新たな知識を得ようという気にはならない(およそ知識を得て満足するだけ)。
だから、教育する側は「わかりやすい」授業ではなく、意図的に「わかりにくい」といったら変かもしれないが、児童生徒が「ん?」と疑問に思ってくれるような、そんな配慮があってもいいんじゃないかな? と考えたりする。
考えたりする、だけね。