藤原和博『10年後、君に仕事はあるのか?』

 著者の藤原和博さんは教育改革実践家で、奈良市立一条高等学校校長を務めている。ところが、藤原さんは東京大学経済学部卒業で、元リクルート社のフェローだという。つまり、教育とは何ら関係のない道を進んできた方なのだ。

 巷でよく囁かれる「教師は社会人経験がないから常識がない」という言葉や、「民間企業に勤めたことがある者を採用しろ」という言葉、私からすれば暴論にしか聞こえないのだが、どうだろう。そもそも、教師になるほとんどが教育関係の学部に入って、教育実習に行って実践を積んで、いち早く教師になりたいって願って頑張っている人たちなんだから、「企業に勤めた経験がない」とか「社会常識がない」とか、そんな批判はお門違いに他ならないように思う。 

 企業に勤めた経験がないとか、そんなのはどうでもよくて(むしろ、今ある企業の働き方とか、これからの企業の在り方とか変わってくるだろうし、それほどその経験が重宝されるようになるとは思えない)、教師自身、どれほどこれからの世界の動向に関心を持っているか、その動向についていくためのスキルを子どもたちに身につけさせるのか、考えていくべきなのだ。

 

(あ、社会常識ってマナーとかそういうこと? でも、めちゃくちゃ畏まった先生って嫌じゃない?「あ、どうもみなさん、こんにちは、担任の○○と申します。みなさまのためにと名刺は40枚用意いたしました。今から配付させていただきます」イヤじゃない?)

 

(これ、民間企業への皮肉っぽいな。いやいや、そういうわけじゃないんですよ。郷に入っては郷に従えってことです)

 

 ということで、『10年後、君に仕事はあるのか?』を解説を行いたいと思う。

 

 

1.これから10年で世界は激変する

 

  今から10年前、つまり2010年はどんな世界だったか。

 AKB48ヘビーローテーション西野カナの会いたくて会いたくてがヒットし、鳩山首相が退陣して菅内閣が発足された年だ。あの東日本大震災の1年前だ、そう考えると10年って短いように思える。

 当時、スマホは存在していた。ガラケーから乗り換えた人が多くいた。

 iPhone4が出された年らしい。

 大きい画面で液晶は粗い。

 インターネットのつながりも悪かった。(3Gだしね)

 

 10年経てばどうだろう。

 スマホは薄くなり、回線も繋がりやすくなった。アレクサとかいうAIアシスタントが誕生し、その機能たるや素晴らしいものだ。GAFA最強時代の到来。世はインターネットの時代。

 これから社会は自動運転などを可能にするAIやら、スマホ、PC以外にもあらゆるモノにインターネットが接続されるIoTやら、2時間の映画を3秒でDLできちゃうような5Gやら、そういったハイテクなものが導入されるすごーーーい時代になる。(語彙力の欠如)

 

 正直、そんなすごーーーい時代が来ることはわかっても、今の社会とそんなに変わんないでしょと私は思っていた。だが、10年前を振り返るとその考えは甘いと思った。これから時が進むにつれ、新たな技術革新がひとつひとつ社会に適応されていけば、確実に10年後は今とがらりと世界は変わる。アレクサだってそうだ。もともと、Siriという人工知能iPhoneに内蔵されるかたちで始まり、そのSiriが独立し、新たな機能が追加されたのがアレクサである。そして、次は完全なヒトの形をしたAIが手足を動かして人間のように笑ったり泣いたりして……というすごいものができ、実用化されるようになっても別におかしくないわけだ。それも時間が進むにつれ世間はそれを享受するようになる。数年前にスマホではなくガラケーを使っていくと言っていた人たちはいつの間にかスマホを使うようになっているように(いまだにガラケー使う人はいるけど)。

 

 そんなふうに未来社会がすごいことになるのは判るが、具体的に予測することは難しい。AIが台頭して、社会がネット中心に動いていくということは何となくわかる。藤原さんは「世界の半分がネット内に建設されるようになる」と述べている。「君たちは自然と、人生の半分をネット内で暮らすようになります。」と。

 どれだけ、AI社会の到来を拒んだところで、来てしまうものは来てしまうのだ。ガラケーがいいと駄々こねた者は、時代の変化に適応できずに数多くの不便を感じながら生きていたのだろう。

 

 まあ、確かにAIに仕事を奪われるという言説が出てきて、AIが忌避されるようになったというのは一理ある。

 レジがAI化して、コンビニのオーナーから解雇を命じられました。

 車のパーツを組み立てるライン工をしていましたが、工場長からクビと言われました。

 ありそうだ。

 だが、これも便利な世の中になるため……、と言えば、

ふざけんな、俺は職を失ったんだぞ。

 そう言われそうだ。

 でも、コンビニの棚卸はAIにはできないし、ライン工のかなり緻密な作業はAIではなく人の手の方が精密だ、といったことがある。だから、何でもかんでもAIが人間の仕事を奪っていくわけではない。むしろ、効率化が図れるというメリットの方が大きい。まさに働き方改革だ。(何のための作業だよ、と愚痴りたくなる作業もAIが解決するかも)

 

 と、まあ、AIにもいいところがあるから、一概にAI社会の到来を拒むのもよくない。

 

 どういった職業がAIに奪われるのか、著書の図表に書いてあった。

「AIを搭載したロボットがネットワークにつながることで取って代わられる仕事ランキング」だそうだ。

 

1位 経理事務員

2位 貿易事務員

3位 銀行窓口係

4位 一般事務員

5位 医療事務員

6位 通信販売受付事務員

7位 保険事務員

8位 通関士

9位 物品購買事務員

10位 アクチュアリー

 

 ひとまずトップ10まで載せてみる。

(ちなみに、いま日本にある仕事の49%がAIに仕事に取って代わられるという。これは日本が効率化を図られていないことの表れともとれる。)

 怒涛の「事務員」。何となく事務作業がAIに取って代わられるのは理解できる。

 だが、意外なのは通関士だ。通関士とは輸出入者の代理人として税関に輸出入の申告や各種手続きを行う仕事で、国家資格が必要となる職業だ。言ってしまえば、貿易業界の税理士だ。そんな税理士は「AIを搭載したロボットがネットワークにつながることで取って代わられる仕事」ランキング30位だ。

 事務員・受付関係以外だと、13位分析化学技術者、25位細菌学研究者28位生産・品質管理技術者、32位化学者、35位バイオテクノロジー研究者、37位物理学者、40位工学技術研究者といった技術者・学者関係、18位会計監査係員、24位測量士、29位原価計算係、43位公認会計士などの計算を要する職業(税理士関係もね)、あと、驚きなのが、42位の刑務官だ。

 だが、これから以上の職業がすべてAIに取って代わるのかというとそうではない。部分的に取って代わるが、部分的には人間の力が必要となる。前に挙げたコンビニの棚卸の例と同じように。

 例えば、電車の運転士はかなり早い段階でAIに取って代わられる(モノレールとかそうだ)らしいが、安全確認や病人の対応などで車掌の方は生き残るそうだ。

 こういうことを考えると、仕事の中で「人間の力」が必要となるものはあるのだから、私たちは必要以上にAIを憎悪すべきではないのだ。

 

2.学力は必要なくなるのか?

 

 学力は必要なくなるのか?

 答えは即答で「否」。

 テレビで見ていると「おバカ芸能人」の枠があるが、彼らは学力の代わりに「演技」だったり「スポーツ」だったり「トーク」だったり、秀でたスキルを持っている。だが、そんなスキルを持ち合わせていない人はどうすべきか?

 勉強だよね。

 勉強は嘘をつかないと思うし。

 スポーツをいくら頑張ってプロになれない人はいっぱいいるけど、いっぱい勉強して大学に行けない人(申し訳ないが経済的な面は除かせていただく)はいないはずだ。

 これは昔から私が思っていることだが、勉強をすることは将来の幅を広める行為なのだ。がり勉と揶揄されることがあっても、結局勉強をしている者が得をする世界だ。『ドラゴン桜』で、桜木先生は「世の中のルールは頭のいいやつに都合のいいように作られており、勉強をしないやつはそれに騙されつづける」と言い放った。まさにその通りなのだ。

 

 だが、これから教育の在り方は変わっていく。

 今までの知識偏重型ではなく、主体的で対話的な学びが必要となってくる。

(この学びはいまだに世間に浸透していない。『FACTFULNESS』で発展途上国と呼ばれる国々は我々が思っているほど貧困ではないと知り、自分の中で貧困の国々への認識が時が止まったままであったことに気付いたが、こんなふうに「教育は子どもたちのいろんな思想を画一化させる」と旧式的な見方をしている人が多くいるそうだ。Twitterで「教育」「画一化」とか「学校」「個性」とか打ち込めばそれがわかる。過去の学校像を今なお流用しているのだ。例えば、30歳の人が「今の学校は~」と言っても、「あなた10年以上学校行ってないですよね?」と言いたくなるものだ。)

 この主体的で対話的な学びに付随して、「生きる力」が指導要領で明言されている。その「生きる力」と差別化してか、藤原さんは「生きるチカラ」をこれからの時代に必要な力として定義している。この「生きるチカラ」は三つの力から成っている。

 

①基礎的人間力

 家庭教育がベースだが、学校での人間関係や行事を通じての経験、あるいは部活で育まれる力。情報処理力・情報編集力(下に記述)の土台となるものだ。

(体力・忍耐力・精神力・集中力・持久力・バランス感覚・直感力)

②情報処理力(input)

 狭い意味で「基礎学力」を意味する。ひとりで早く正確に処理できる力。学校や塾などで鍛えられる力で、受験を経るごとにこの力は強化されるが、試験が終われば途端に落ちてしまう。

(英語・国語・数学・理科・地歴・公民・体育・芸術……)

③情報編集力(output)

 正解がないか、正解が一つしかない問題を解決する力。

(コミュニケーション力・ロジカルシンキング力・シミュレーション・ロールプレイ・プレゼンテーションの5つのリテラシー

コミュニケーション力…異なる考えを持つ他者と交流しながら自分を成長させる力

 ロジカルシンキング…常識や前例を疑いながら柔らかく「複眼思考」する力

 シミュレーション…頭の中でモデルを描き、試行錯誤しながら類推すること

 ロールプレイ…他者の立場になり、その考えや思いを想像すること

 プレゼンテーション…相手とアイデアを共有するために表現すること

 

 イメージとして、小中高大では基礎的人間力・情報処理力を醸成し、社会人になって急に情報編集力を必要とされ、最初の社会人の三年間、その情報編集力を性急に培って、次第にものにしていくといった感じに思える。で、大人になってから、情報処理力いらねえじゃん! ってなる。

 いやいや、情報処理力を侮ることなかれ。

 藤原さんによると、目の前に問題が出されたとき、その問題を考える力の7割が「情報処理力」、あとの3割が「情報編集力」だという。どうやらサラリーマンも公務員もクリエイティブな広告や新規事業開発、テレビ局もネット放送局の仕事も7割が処理仕事なのだという。国語で培った読解能力も数学で培った数的処理力も社会で培った一般教養も何らかのかたちで仕事と結びつくはずなのだ。

 情報処理いらねえじゃん!

 いや、気付いていないだけで、情報処理力のおかげで君は仕事をできているんだよ。

 あと、情報編集力はこれから教育で重視されることになる。第一、学校を子どもたちの個性を潰すと思っている輩はこれか(以下略/何回言うんだよ)。

 具体的に5つのリテラシーをどういうふうに養成していくか、についてだが、藤原さんは学校で習う教科の学習(インプット)と、実社会で必要とされる力(アウトプット)の対比を以下のように表している。

 

①学校では国語や英語の成績が大事だけれど、社会でこれからもっと重要になるのは、他者とつながるための「コミュニケーション・リテラシー」。逆に言えば、国語や英語を教科として学ぶのは、こうしたリテラシーを身につけるための基礎であるということ。

 

②学校では算数(数学)の成績が大事だけれど、社会でこれからもっと重要になるのは、論理思考するための「ロジカルシンキングリテラシー」。数学を教科として学ぶのは、論理的に考えられるアタマを育てる準備であるということ。

 

③学校では理科の成績が大事だけれど、社会でこれからもっと重要になるのは、現象のつながりを実験で試行錯誤しながら推理するための「シミュレーション・リテラシー」。

(「高気圧と低気圧がこんな配置だから、前線がこうきて雨が降る」というふうに推測する頭の働かせ方)

 

④学校では社会科の成績が大事だけれど、社会でこれからもっと重要になるのは、さまざまな立場になって考えをめぐらせたり、演じたりするための「ロールプレイ・リテラシー」。

(営業マンは、お客様のニーズをロープレすることでつかむ。会社の上司がお客様役になることもあるが、逆に自分がお客様役をすることで、なぜこの商品をお客様は買わないのかがよく理解できる。そういった能力を社会科では育てる。)

 

⑤音楽、美術、体育、技術、家庭、情報のような実技強化は、国の側から見れば、日本人として最低限必要な技能・習慣を身につけさせるためのものですが、視点を変えて個人の側から見れば、自分自身の思いや考えを表現する手段を学んでいるとも言えます。

(成績も大事だが、本当に重要なのはこれらの実技教科が表現力(プレゼンテーション・リテラシー)に結び付くことなのだ。)

 

 これからの社会を生き抜くために情報編集力は必要だ。

 自分が主体的に課題に取り組む。

・英語で、対話を重視しコミュニケーション力を伸ばす。

・国語で演劇を取り入れ(「走れメロス」を演劇にしてみる)、ロールプレイ・リテラシーを鍛える。

・理科の授業で、天気図から天気の変化を予想させ、シミュレーション・リテラシーを強化させる。

・社会科で「尊厳死」の是非を論じ(道徳教科要素を強めすぎず、社会科の知識を使わせる)、ロジカルシンキングリテラシーを伸ばす。

・美術の授業でオリジナルのスプーンやナイフをデザインさせてプレゼンテーション・リテラシーを高める。

 藤原さんは一条高校の「よのなか科」の中でそういったアクティブラーニングを実際に取り入れている。

 こういった主体的な学びは、生徒の中で習慣化させていく必要があると思うので、小学校からじゃんじゃんやっておくべきだろう。でないと、「めんどくせえな」と愚痴を零す生徒がたくさん出てくると思うから。(実際、私はこういった能動的な活動は苦手でした。)

 

3.「遊び」が情報編集力の鍵になる

 

 私自身、能動的な活動が苦手だったと書いたが、なぜ苦手だったかというと、「自分の考えが間違っているのではないか」と怯えてしまうからだった。だから、「めんどくせえな」というポーズだけして、論議に積極的に関わらないようにしていた。

 失敗を恐れないで、と教師の側から働きかけるのもいいが、何よりこういった情報編集力を鍛える活動は「遊び感覚」で取り掛かるべきなのだ、と藤原さんは述べている。確かにゲームで「失敗したらどうしよう」とか思いながらしている人はそうそういない。(銃を構えられて、失敗したら撃つと謎の組織の人間に言われているのならいざ知れず)

 情報編集力とはいわば「ものごとのつながりについての豊かなイマジネーション」である。マインクラフトやどうぶつの森とか、そういったゲームをすることで育てられる「想像力」なのだ。(だから、香川県よ、ゲームの規制はよくないよ)

 藤原さんはとにかく遊べと言っている。

 子どもの頃に遊んでいない人は発想が豊かじゃないから「伸び代」がないんです、と藤原さんは言い切っている。「缶蹴り」では、自分が鬼なら、缶からどれくらい離れて、隠れているやつらを見つけに行ったらいいか。そういった空間的なイメージが必要だ。これはまさに空間認識の問題で、数学における図形・立体問題に直結しそうだ。

「遊び」に正解はない。「缶蹴り」がうまくなるための指南書はもしかするとあるかもしれないが、そんなものを読もうという気にはならない。缶蹴りで遊ぶ人たちは、独自のやり方でうまくなろうとするだろう。このように「情報編集力」も同じく1つの正解を導くための能力ではない。納得解を導くことができるか、それが問題だ。

 近年、コミュニケーション力のないエリートが多く出てきたそうだ。小さい頃から勉強(情報処理力を上げる勉強)ばかりしてきたからで、彼らに支配された社会はどうなるだろうか? ……怖いな。(自分もコミュ力ないですが)

 

 私は面接が苦手で、だからそれから避けるように生きてきた。私が初めて面接をしたのは大人になってから、つまり、教員採用試験でのことだった。

 クソみたいな面接だったな(言葉汚くてすいません)。

 まあ、でもこれからはそういった面接苦手マンを篩にかけるような試験が主流になってくるだろう。予測される大学受験は以下の通りだ。

①小論文や、高校から送られた調査書を見ながらの面接

②テーマを与えられてのグループ・ディスカッション

③自分のウリや得意なこと、作ったものや体験したことのプレゼンテーション

 ……まさに就職活動っぽいよね。

 

4.ジグソーパズル型学力とレゴ型学力

 

 結論から述べると、情報処理力は「ジグソーパズル」をやるときの力に例えられ、情報編集力は「レゴ」をやるときの力に例えられる。

 ジグソーパズルはある一つの正解に向かってピースをはめ込んでいく。

・読み書きそろばん

・アタマの回転の速さ

・大量生産

パターン認識(短絡的思考)

・営業マンが勧めたから保険に入る

・消費者として生きる

 以上のような特徴がある。

 

 対してレゴには正解がない。何を作ってもいいし、作ることができる。造形はイマジネーション次第だ。

・知識を実社会で応用するためのリテラシー

・アタマの柔らかさ

・多品種少量→個別生産

・違う見方もあるかもしれない

・自分のリスクを比較研究してデザインする

・編集者として生きる(人生は一冊の本)

 以上のような特徴が挙げられる。

※ジグソーパズル型、レゴ型の特徴については『週刊ダイヤモンド』(2015年8月22日号)より

 

 なぜ日本がジグソーパズル型の学習をするようになったのか、歴史を紐解くと、どうやら日本がアメリカ人のような生活を目指したことにあるそうだ。国語を学んで漢字を読めたら、工場で機械・工具の取り扱い説明書を読んで周囲を指導できるから職長になれたし、算数やそろばんを学んで計算が速くなると、自営業者として釣銭をごまかされることなく実利を得ることができた。こういったふうに処理能力の高い人たちが増えたことで、日本の経済は欧米へ追いつくのが早かった。

 凋落とまでは言わないにしても、なぜそこから伸び悩んだのか。

 答えは既に出ている。

 ジグソーパズル型の正解主義を理想としていたからだ。

 日本批判はあまりしたくないのだが、GAFAのような大企業が日本から出てこないのはそういったこともあったのだろう(これからはいざ知れず)。

 まあ、そういう意味では「知識注入型の教育をしているからだ」と言われても口を結ぶしかないのだが、これからは確実に変わる! と信じている。(上層部がその気になればだが。お願い、文科省。)

 

 正解主義ではなく修正主義。

 修正主義とはレゴ型の学習の特徴で、藤原さんの言葉を借りれば「どんどん、やりながら改善していく。その結果、最初イメージしていたものとはまったく違うものに変化することはよくあることです。レゴが修正主義の遊びだからです。」とのことだ。

 

5.これからの教員

 

 本の中には実際に学校の校長を務めているからか、「君が現在、学校で先生から習っている知識の大半がネット上でタダで学べてしまう時代に、それでも先生を必要とするなら、それはどんな先生なんだろう」と教育者目線で述べている。(誤解を与えないように説明すると、これを考えるのは、「雇われる力(エンプロイアビリティー)」の謎に迫るのに一番適している行為だからだ。読者想定は若き読者(タイトルから判る)で、間違っても教師ではない。)

 現在、Siriで「月までの距離は?」と訊けば、「384400kmです。」と答えは返ってくるが、野球少年が「ここから甲子園まで」と訊けばどうだろう。今の技術では現在地から甲子園までの距離を言うのではないか。これが今のAIの限界だ。もちろん、さっきの「ここから甲子園まで」というのは距離ではなく「どうやったら、自分たちが甲子園に出られるか?」という質問だ。

 だが、大量のデータが集積されれば、その答えは返ってくるかもしれない(ディープ・ラーニングという技術でそれは可能だ)。「○○という練習をし、○○をすれば、甲子園に行けます。」と答えられるようになる、そんな日がいつか来るかもしれない。その日のことを、藤原さんは「Googleに神が宿る日」と言っている。

 そんな日が到来してしまったら、教員という仕事はどうなるのだろうか。

 結論から述べると、「お払い箱になんかならない!」だ。

 その理由は至ってシンプルで「教えるマシンとしていかにロボットが完璧になったとしても、学ぶ喜びを教えることはできない」からだ。

 

「教育は伝染・感染なんです。だから、何かを無理やり教えようとしなくてもいから、自ら学ぶ姿を見せてやってください。じつは、大人の学んでいる姿こそ、子どもにとって最高の教材なんですよ」

 これは藤原さんがよく保護者や地域社会の大人たちに言うメッセージだそうだ。

 

「学ぶのが好き!」というオーラを出せるのは教師だけだから。

 

6.一生が90年の時代のライフデザイン

 

1.恥をかけ

 

 10代、20代はいっぱい恥をかかなきゃだめだ。

 一応、20代の私にも言えることだ。

 恥をかけばかくほど、経験値が上がり、クレジットが蓄積する。

※「クレジット」…藤原さん用語で、他人から与えられる信任の総量のことだ。これには公式があり、それは『クレジット=F(信頼×共感)』だ。また、クレジット蓄積のためには①「挨拶ができること」、②「約束を守ること」、③「人の話が聴けること」の3つが必要になる。

 「間違うことは恥ずかしい」、「叱られちゃいけない」、「失敗は恥だ」という感覚はほとんどの人にはあると思う。アクティブラーニングを嫌がる要因でもある。だが、恥をかくことで、経験値が得られるなら安いものではないか。(まあ、こんなえらそうに言っている私は「恥をかくのが嫌で、何も行動を起こさない人間ランキングTop10」に入っているようなやつだ。)

 30代までは案外無謀に生きてもいいのかもしれない。親世代と生きている時代が違うわけで、しかもこれから予測不可能と言われるくらいに複雑な時代になっていくわけだから、親に何を言われようと、大人に何を言われようと、関係ないんだ。「あなたたちとは違う時代を生きるんですよ!」と堂々言っていいんだ(なんか生意気な感じがするね)。でも、まあ、こういう言葉は子どもたちに勇気を与えるよね。

 

2.人生の動きなんて読めない

 

 そもそも、人生というものはどう動くか判ったものじゃない。大学の講義で人生設計みたいなの立てるようなことをしたが、はっきり言ってそれはどうなん? ってことだ。

 生きていくうちに路線変更はよくあること。だって、興味・関心の方向だって大きく転換されるわけだし。私の場合、昔は漫画大好き少年だったが、今や漫画はほとんど読まない(読まない自慢ではないが、鬼滅の刃など流行りの漫画は読んだことない)が、小説や批評文の類はかなり読むようになった(昔はまったく読まなかったし、興味がなかった)。あと、お笑いとかは小学生の頃、好きだったが、高校生の頃はくだらないと思うようになり、大学生になってからまた好きになった。あとは学生時代ソシャゲ狂で、無料で課金できる方法を死ぬほど検索していた時期があったが、今はほとんどソシャゲはやっていないし、そんなふうに貴重な青春の日々を空費していたことを恨んでいる。)

 まあ、人は変わるものだし、その変化に伴ってなりたい夢も変わってくる。

 だから、「あれ? あの人、昔○○になりたいって言っていましたよね」とか言ってはいけない! 夢は変わるもんだ。人生はどう動いていくか判んないし。

(これは余談だが、雷に打たれて突然ピアノに目覚めた人がいるらしい(サヴァン症候群)。私は、そういった今まで興味のなかったジャンルが無性に興味を持つようになるといった事例が大好きだ。過去の自分に言ったら「え? そのジャンルに興味持つの? 俺?」ってふうになりそうだし、何だかワクワクする。※個人的な感想です)

 

3.ナナメの関係

 

 人生がどう動いていくか判らないといっても、これだけは必要って要素がある。

 コミュニティにがんがん所属しよう、ということだ。

 私はこれができなかった。

 今更後悔しても意味ないことだが。

 大きなコミュニティを持つきっかけになるのは、大学のサークルとか企業インターンとかではないだろうか? 

 ただ、大学のサークルで得られるのは同年代の友人だろうが、できれば何年か前のOBさんとのつながりも持てたら持っておいた方がいい。

 藤原さん曰く、友人関係は「ヨコの関係」で、教師と生徒、親と子の関係は「タテの関係」だが、それに加えて、世代を超えた先輩・後輩との関係のことである「ナナメの関係」も存在し、その「ナナメの関係」が大事になるそうだ。

 情報編集力の核となるコミュニケーション能力を伸ばすのは、「ナナメの関係」の第三者との会話である。親に叱られ、教師に無視されても、手を差し伸べてくれるのはそういった「ナナメの関係」の人かもしれない。

 極端な例かもしれないが夏目漱石の『こころ』における〈私〉と〈先生〉の関係とかとくにそういった「ナナメの関係」なんじゃないかなって思う。(〈先生〉というが、別に〈私〉と〈先生〉の関係は「タテの関係」におけるそれではないし。)

 

 

4.1回の人生では生ききれない

 

 人生が90年の時代には、1回の人生ではとても生ききれない。

 本書ではこのことについて詳細に書かれているが、ここでは多くを割愛させていただく。

 重要だなと思ったところだけ、ここに書こうと思う。

 

 これからの時代の「エネルギーカーブ」について。

 藤原さんは「明治時代を生きた世代」と「昭和・平成を生きる世代」と「君たちの世代」の3つに区分している。順に、「坂の上の雲型」、「富士山型一山主義」、「八ヶ岳型連峰主義」と名付けている。

坂の上の雲型」はグラフは上がっていき30代あたりを境に凋落していく感じのグラフだ。当時の寿命から考えるとこのグラフはわりと妥当だ。40~50代に入って隠居して余生を送る、そんな時代。

「富士山型」はグラフは上がっていき50代を頂点にそこから下りていく感じのグラフだ。入社した時点で最後まで運命づけられている、そんな風潮があった時代。

八ヶ岳型」はその名の通り上がっていき頂点が来たかと思えば凋落し、また上がって頂点が来たかと思えばまた凋落する、アップダウンの繰り返し。それが70歳を超えても続く。

 以前ならば、20代に企業に入社し、定年までそこで働いていたのが、これからの働き方の主流は20代から30代は民間企業で働き、30代から40代は自営業者になって仕事をし、それ以降はアジアの教育分野のNGOに参加して国際貢献する、そんなふうになるかもしれない。単線型から複線型の人生観への転換。

 だからこそ、人生の動向が判らないのだ。

 そんな働き方が主流になると予測されるからこそ、コミュニティは必要なのだ。

 

5.稼げる大人の条件

 

 胡散臭いタイトルに見えるかもしれない。

 だが、別に胡散臭さはない。「楽に稼げる方法教えます!」と言っているわけじゃないから。

「稼げる大人の条件」、それは「君が希少性を持っているかどうか」ということだ。

 ソシャゲでSSRが来たらみんな喜ぶでしょ?

 なぜか?

 レアだからだ。

 レアなのは強い証拠だ。欲しがるのは当たり前だ。

 人材もそうだ。

 希少性を持っている人物を採用したがる。 

「キャリアの掛け算で100万分の1の存在に」というタイトルで藤原さんはいろいろ述べているが、結論だけ抽出すると、「3つのキャリアを5年から10年ずつ経験して、その掛け算で希少性を獲得し、100万人に1人の存在になりましょう。」ということだ。

 大雑把に述べると、20代で100人に1人に、30代でもう100人に1人を達成し、あと1つの分野で仕事をして100人に1人の希少性を達成すれば、はい「100万人分の1」の希少性が実現する。

 どんな理論だ笑。

 と、思うかもしれないが、冷静になって考えると、確かにそうだと思う。

 まあ、でも、なんというか、私個人の考えとしては「100人に1人の希少性」を獲得すること自体なかなかできることではないといったところか。1つの仕事をマスターするのに、人間は一般的に1万時間かかるといわれているらしいし(マルコム・グラッドウェル著『天才! 成功する人々の法則』)。でも、義務教育の時間が10年だから、まあ1万時間は達成されているわけだが。確かに20代から30代の10年間……1万時間……なるほど、合理的?

 

7.君たちが日本の未来を拓く理由

 

 さて、本書は2020年の東京オリンピックが開催されることで不況が訪れると述べられている(逆じゃね? と思うが、実はそうではないらしい)。コロナ禍によるオリンピックが延期されたが、これは別に喜ばしいことではない。むしろ、コロナ禍による不況が待ち構えている。こんな大変な世の中、就活をしなくちゃいけない人たち可哀想だ。そんなふうに思うが、実は案外そう悲観的に捉えない方がいいらしい。

 というのも「厳しい経験した人の方が成長する」のだから。

 あと、彼ら若者はこの現況を乗り越えられるだろうと予測できる。というのも「子どもの頃からスマホを武器にした世代」であり、「オンライン動画で学び始めた世代」だ。コロナショックでオフラインの脆弱性が指摘され、時代はオンラインへと移りつつある。

 今度は社会に注目してみよう。

 社会では、多様性(ダイバーシティ)が主張されるようになってきているし、女性の活躍も本格化する。さらに、シェアする感覚が強くなっていて、モノに投資するのではない新しいタイプの人生のスタイルが、前の世代が開発した技術やサービスで切り拓かれ、若き者たちによって開花するようになると予測されている。

 他にも「教育がシフトして、頭が柔らかくなる」ことが期待され、社会起業家NGOで活躍する人が増える」ゆとり世代で、「環境教育」、「情報教育」、「国際理解教育」、「福祉ボランティア教育」の4分野の総合的な学習が推奨されるようになったのが根拠)だろうし、「仲間を募って、ビジョンに集う手法をマスターする」ようにもなる。

 若き者たちは、祖父母の個人資産の恩恵を被る世代でもあり、そして何よりも学校の支配が弱くなる時代にシフトする。いわゆる団塊世代の「でもしか先生」が居座っている(もちろん素晴らしい先生もいらっしゃいます。ただごく一部にそういった投げやりな気持ちで職務をこなしている人も国内に一定数いるということです。)が、その世代がごっそりと退職すると、30代~40代は団塊世代の大量採用により層が薄いので、焦って20代の新規採用の教員を増やそうとする(現に、小学校の先生の倍率はかなり低いです)。そう考えると、教師はますます質が低くなっていくように思えるが、逆にこれにより従来の「正解主義」から脱出しようという動きが本格化されるのではないかと期待される。

 少々、判りにくい書き方だったと思う。

 読者様の配慮として、太字がいわゆる「君たち(これから社会を担うことになる子どもたち)が日本の未来を拓く理由」であることをここに述べておきます。

 

8.最後に

 

 私は著書の要約をしたのではない。

 ただ、著書に何が書いてあったか確認し、それに関して私の考えを述べたりして、思考を整理しているだけだ。だからこれほど長くなってしまう。長くなるというのはいいことで、それほど著書には内容が詰まっているということだ。

 以前から、AIに負けない子どもたちを育てるためにどうすればいいか考えることはあり、そのとき、アクティブラーニングは重要だといった結論を得た。この本でも同じくAI社会を生き抜くためには情報編集力が必要だよねといった旨が書かれてあったので、以前考えていたことは間違ってはいないようだ。

 ただ、具体的なビジョンが見えていなかったが、著書を読んで、「こういった活動をしたいな」、「この活動は難しいけど楽しそうだな」と考えることが多々あった。

 国語だと「走れメロス」で、メロスが間に合わなかったら、どうなっていただろう? と考えさせるのはなかなか面白い。

 クリエイティブを問う試験ってなんかワクワクする。

 余談だが、Googleとかの大企業の入社試験は情報編集力をめちゃくちゃ使う。

 

・マンホールのふたはなぜ丸いのか?

・サンフランシスコ市の避難計画を考えてください。

・明日、イギリスの女王が来日します。ケーキをつくりなさいと言われたら、あなたはどうしますか?

 

 まあ、いくら情報処理力に長けていても解けないよね。むしろ、そういった人って、こういう問題を見たとき、思考停止するよね。

 私自身、試験でクリエイティブな問題や型にはまらない問題を見かけたとき、頭がショートしましたもん。今やクリエイティブ信者だが。

 

 最後に「あすか会議2017」で行われた藤原和博さんの講演の動画があるそうなので、ここでURLを貼り付けておきます。著書と被っているところが多く、本ブログではあまり触れていない(というか懐疑的な見方をしてしまった?)「100万人に1人」理論を展開しているので暇だったら見てください。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=kIqyv7wfm7k

 

※視聴してブレストに関する感想(内容はいいよね)

・ブレストでは若い人が遠慮がちになる傾向があるので、ベテランの方があえて馬鹿な意見を言って、若い人に発言を促しておく。なるほど、確かにこの方法は効果的だと思った。

・ブレストで出た意見を、教師が「答えてくれる人!」と挙手を促しても、誰も手を挙げることはないので、一斉授業では一斉に声を出させるか(これは教師が聴き取りづらい)、もっともよい方法は生徒のスマホタブレットで答えさせるという方法だ。スマホタブレットで書いてもらった意見を教師のアドレスに送るという方法。早くオンラインをメインにした授業が行えるようになっていけばいいな。

 

 ということで、長々書いてきました(1万4千字超えました)。

 かなり疲れました。

 もともと文章を書くのは苦手で大嫌いでしたが、ブログを始めてからなんだか楽しくなってきました。こういう思考を垂れ流すってのはAIにはできないことです。これからできるだけ長く続けていきたいものです。例え、読者がいなくても。