佐藤博志『クリエイティブな教師になろう:これからの教師像と5つの視点』

今回はただ本書の中で、共感を示したところや大事だなと思ったところをそのまま抜き出しているだけで、実質手抜きである。

 

・未来予測と教育

 未来予測と教育学は密接に関連している。

 教師は未来社会をイメージし、その社会で個々人がそれぞれの持ち味を活かして活躍できるようにするために、今、何をどのように子どもたちに教えるべきなのか、そのためには教師は何を学ばなければならないのかを考える必要がある。

 社会は急速に変化を遂げている。

 AI、IoT、ビッグデータの活用、コネクティッドカーの自動運転、バイオテクノロジーフィンテックなど、先端的技術のブレークスルーが大規模に起こり、新しいサービスが開発され、既存の労働も代替、支援される。その結果、経済、社会、生活、仕事の質、人間関係が変わるパラダイムシフトが起こる。

 産業構造が変われば、仕事も変わるため、求められる能力も変わる。

 第四次産業革命の誕生だ。

 

 第四次産業革命後、探求が人間同士の中心的な活動になり、アイデンティティと自己効力感の源となる。多様性に寛容になり、他者との共生が尊重される。このような社会を「共生・探求社会」と呼ぶ。そこでは、共生の資質と探求する能力を育成することが教育の課題となる。

 

 共生・探求社会ではクリエイティブな教師が求められる。教師の専門性はクリエイティビティを核心として再定義される必要がある。

 

 日本では、今なお近代化の論理が影響力を持っている。教育システムにおける近代化の論理を払拭し、学校、教師、子どもを共生と探求を軸とする空間に開放することが教育改革の主題となる。

 

 本書は上の三つを視点から論を進めている。

 

・教師とAI

 AI研究者の柳川範之らは「教育の在り方を、より一般的に考えると、AIやロボットが担えない、個別性が高い問題に対して柔軟に対処する能力は人間の強みであり、その強みをより高めていく工夫や教育が今後一層必要になってくる」と述べている。

 「個別性が高い問題に対して柔軟に対処する能力」とは「クリエイティブな能力」のことである。

 

・探求とは

 探求とは、読書、創作、哲学、数学、芸術、スポーツ、演劇、福祉などのどの分野であっても、自分の関心に基づいて、何らかの真理を探り、創意工夫し、きわめていく文化的・社会的活動である。責任を持って探求を進めて何らかの成功を収めれば、視野は広がり、人間は以前よりも自由な状態になる。当然、探究活動は、他者を排除するものではなく、多様性に寛容で、他者と共生し、豊かになる志向を持つ。

 

・学習指導要領の基本構造

「何ができるようになるか」(資質・能力)

「何を学ぶか」(学習内容)

「どのように学ぶか」(教育方法)

 

「何ができるようになるか」に関して「(1)知識及び技能が習得されるようにすること。(2)思考力、判断力、表現力等を育成すること。(3)学びに向かう力、人間性等を涵養すること。」が総花的になってしまっている。知識・技能の方に重点があるのか、思考力、判断力、表現力等の方に重点があるのか判然としない。

リテラシー、ニュメラシー(計算能力)、情報の取り出しと編集、生きて働く知識、鑑賞・批判力、問題解決能力、多分か理解、相互理解が位置付けられる。

 

「何を学ぶか」に関して。「新しい時代に必要となる資質・能力を踏まえた教科・科目などの新設や目標・内容の見直し」で、カリキュラムの知識送料主義、内容時数増加主義、要素還元主義はやめるべきである。

※未来からのデマンドに基づいて、本当に必要な知識やコンピテンシーを見直す必要がある。子どもが考え、理解し、課題を分析する時間、学習内容を定着し、発展し関連付ける時間を確保する。

 

「どのように学ぶか」に関して。「①主体的・②対話的で③深い学び」という3つの軸がある。これはアクティブ・ラーニング概念の欠如を補うために提案された。

 この「主体的・対話的で深い学び」は確かに重要だが、他律的であってはいけないのかとか、対話が苦手な子はどうするのかといった声もある。

 前者の問題は、最初は他律的で行い、長期的スパンで支援を通して主体的な学びに向かうケースをモデルにすればいいのではないかと提案する。

 後者の問題は、対話する前に「相互理解」が必要であるといった認識を基盤に据えることだろう。「相互理解」「多文化理解」を涵養し、結果的に対話や議論が始まることが本来だ。

※学校の文脈、学級や子どもの能力や発達段階に応じて、柔軟かつ多様にアプローチすべきだろう。

 

PISA万能主義への批判

 PISAの結果が教育の計測できる狭い範囲だけを強調することにより、身体的、道徳的、市民的、芸術的な発達といった計測し得ない、または計測の難しい教育対象から関心が離れてしまい、それゆえ教育とはなんであり、教育はどうあるべきかについて私たちの集団的想像力を危険なほどに狭めてしまいそうだ。

 

・シティズンシップ教育

 シティズンシップ教育とは、民主主義社会を構成し、そこに積極的に参加する「市民」を育てる教育である。民主主義社会では誰もが自信を取り巻く問題状況に対して意見を言うことができ、意思決定や社会形成に参加する権利を持っている。シティズンシップ教育が目指すのは、市民としての感覚と力を子供に育むことである。

 シティズンシップ教育の目標は、一般に社会科で学ぶような民主主義の理念や政治・社会制度に関する知識はもちろんのこと、政治・社会参加に必要な技能、参加への意欲、参加を通じて社会に影響を与えられるという効力感など幅広く考えられる。

 実践方法としては以下の通りだ。

①政府・歴史・法・民主主義についての(社会科での)教室での学習

②地域・国・世界の時事的問題に関する教室での討論

③サービス・ラーニング(教室での学習と地域貢献活動を組み合わせた教育方法)

④学校や地域に関与する課外活動

⑤学校のガバナンスへの生徒の参加

⑥民主主義の過程や手続きに関するシミュレーション(模擬投票・模擬裁判など)

 

・チーム学校

 チームとしての学校を実現するために、①専門性に基づくチーム体制の構築、②学校のマネジメント機能の強化、③教員一人ひとりが力を発揮できる環境の整備という3つの視点に沿って学校のマネジメントモデルの転換を図っていくことの必要性が提言された。

 チーム学校が求められる背景は、①新しい時代に求められる資質・能力を育む教育課程を実現するための体制整備、②雑化・多様化した課題を解決するための体制整備、③子どもと向き合う時間の確保などのための体制整備が挙げられている。