武田友紀『繊細さんの本』

 バーナム効果という言葉がある。

 星座占いとか血液型占いなどで「当たってる!」とかいったふうに思ってしまうあの現象である。そもそもそういった性格診断は誰にでも該当するようなあいまいな書かれ方がされているので、「当たってる!」と思うのは当然なのだ。

 占い以外にも、ADHDの特徴一覧を見て、「私、ADHDだったんだ」と思ってしまうひとが一定数いるらしいのだが、あれはかなり危ういと思っている。

①不平不満が多い。

②行き当たりばったりの行動が多い。

③自分の好きなことは、過剰に集中する傾向がある。

④周囲の状況に注意が向いていない。

⑤否定されると傷つきやすく、尾を引きやすい。

 現に、上記の特徴を見れば、私にも該当するものがある。①、③、④、⑤とかそうだ。

 ADHDは病院で診断しない限り判らないのに、私ADHDかもとか思ってしまうのは、どうかと思う。「病気なら仕方ないや(ほんとうはそうじゃないのに)」と自身の怠惰なる部分を克服しようとしないようになってしまうのではないか。ほんとうにADHDなら何も言えないが、もしそうでなければ、ほんとうにADHDで苦しんでいるひとに悪いのではないか。

 

 私はバーナム効果の存在を知った上で、かつ、何でもかんでも「これ自分に当てはまる!」と言ってしまうことに私は疑問を呈しているといったことを踏まえた上で、今回書いていこうと思う。

 

『「繊細さん」の本』を読んだ。

 感想を書いていく。

 この本でHSPの存在を知った。

「職場で機嫌の悪い人がいると気になる」

「人と長時間いっしょにいると、疲れてしまう」

「小さなミスに気付いて仕事に時間がかかる」

 ひとに話しても「気にしすぎ」と一蹴される。

 こういったひとのことを著者の武田友紀さんは「繊細さん」(HSP)と呼んでいる。

 生まれつき繊細な人は5人に1人の割合で存在するので別段珍しいことではないそうだ。

 だが、割合的に見ても、非繊細さんの方が数として多いので、繊細さんの悩みを理解してくれない人のほうが多くなってしまう。

 

 私はたぶんこの「繊細さん」に類する人だと思っている。

 匿名性の恩恵を受けながら、私は今まで誰にも話したことのないようなことを話そうと思う。

 

 

1.繊細さんの4つの性質

 

 D…深く処理する

 さまざまなことを瞬時に感じ、他の人が通常考えない深さまで考える。複雑なことや細かなことに目を向け、表面的なことよりも本質的なことを考える傾向にある。

※私自身の経験談を添える。

 現在私は教員をしているが、古典のテストで古語の意味を書かせる問いがあった。「ひしと」の意味を答えさせるものだ。(特定を避けるため事実のものと少し問題の内容を変えた)解答例は「みしみしと」である。だが、生徒の中には「物がきしむ音」と書いているひとがいた。私は先生に「これどうですか?」と尋ねた。すると、先生は驚いた顔して、「ダメに決まっているでしょ」と言った。

 でも、私は別に正解でもいいのではと思っている。

辞書で「ひしと」を調べると、「物がきしむ音の形容」といった意味がきちんと書かれている。言ってしまえば、「ひしと」の抽象的な意味が「みしみしと」であって、具体的な意味が「物がきしむ音」である。変な話、「ピーポーピーポー」の意味は何か、と問われれば、「サイレンの音」以外に答えようがない。だとしたら、「ひしと」は「物がきしむ音」であってもいいのではないか……。

ちなみにその問題は、単に「意味」だけを聞いている。文章中に当てはまる意味を聞いているわけでもないので、余計にそう思うわけだ。

 これは考え過ぎなのだろうか……。

 

 O…過剰に刺激を受けやすい

 ひといちばん気がつき処理するため、人より早く疲労を感じやすい。大きな音や光、暑さや寒さ、痛みなどに敏感だったり、楽しいイベントでも刺激を受けすぎて疲れたり、昂奮して眼が冴えて眠れなかったりする。感じすぎた刺激を流すために、ひとりの時間や静かな時間が必要。

※私は大きな音が苦手だ。だから、後ろから大きな声をかけられたら過剰なほど大きなリアクションをしてしまう。決してわざとではない。ほかにもドアを開けて、目の前にひとがいたら、めちゃくちゃ大きな声を出してしまう。

 

 E…感情反応が強く、共感力が高い

 共感力が高く、他者の意思や気持ちを察しやすい。HSPは非HSPよりもミラーニューロン(共感を生む働きをするといわれている神経細胞)の活動が活発だといわれている。事故や事件のニュース、暴力的な映画などが苦手な傾向にある。

※共感力が高い方ではないが、他者の意思や気持ちを察しやすい気がする。特に怒りに対して。最近で言うと、私の公開授業後にいつも明るい先生が私に授業のアドバイスをする際にやけに間を持たすような話し方をしていた。私はそれを先生が怒っていると判断した。私はふだんの話し方や表情が少しでも違うとその人は「怒っているんじゃないか」と思ってしまう。怒りに対してやけに敏感なのだ。

 

 S…ささいな刺激を察知する

 小さな音、かすかなにおい、相手の声のトーンや視線、自分を笑ったこと、ちょっとした励ましなど、細かなことに気付く。気付く対象は様々で個人差がある。

※ささいなことに気付くときもあるが、自分でいっぱいいっぱいのときはまったく周囲が見られなくなってしまうこともある。

 

 よく非繊細さんは「気にするな」という。

 私の場合、親に言われてきた。「誰もあんたのこと見てない。気にするな」と。これはちょいとそこまでのコンビニに行くとき、家で着ているよれよれの服を着替えようとしたときに言われたひとことだ。

「気にしすぎ」といわれても、「気にしてしまう」のだ!

 本書にはこう書いてあった。

 繊細さんに必要なのは、「気にしない」という言葉ではなく、気づいたことにどう対処したらいいのかという、具体的な対処なのです。

 と。

 

 本書は非常にポジティブだ。

 繊細さんは「感じる力」が強いので、「痛い・つらいもの」を感じるのも繊細だが、「心地よいもの」も同時に感じているのだ。だけど、ストレスが多い状況では、その「心地よいもの」が感じにくい状態になっているのだ。だからといって、痛みやストレスに堪えるのではなく、「いいもの」と「悪いもの」を区別し、「私はこれが好き」といった本音を大事にするんだ。

 そんなことが書かれてあった。

 

2.人といると疲れる

 

 人といると疲れる。

 だが、人が嫌いなわけではない。

 

※「人といると疲れる」という感覚は判る。

 「人が嫌いなわけでもない」ということも判る。

 ただ、ある程度お話して有意義な時間を過ごした後は、ひとりの時間が欲しい。

 連続して大勢の人に会いに行こうとは思わない。ある程度の期間を開けてから、会いたいなあと思い始める。

 心行くまでひとりの時間をとり、感じすぎた刺激を流すことで、自分らしさや明るさを取り戻すことができる。その休養が「新たな刺激を楽しむ余裕」を形成するようだ。

 

3.失敗が怖いから

 

 繊細さんは仕事を雑にこなすことができないのだ。

 だから、仕事のスピードをあげるとか、そういったことができない。

 

※私の場合、最初のうちはかなり慎重にものごとを進める。(だけど、ひとつのことに意識を集中しすぎて、ほかのすべきことを忘れてしまったりすることが多々ある。リスクを防ごうと行動をするのに、なぜかあるリスクについて考えが至らなかったりすることもある。)

 昔、テニスコーチをしていた際、レッスン前に時間があれば必ずひとりでデモンストレーションをしていた。塾講師のバイトを始めようと思い立ったこともあるが、まず自分がしっかり学力を向上させないといけないと思い、数学を一通り学習し直したり、英語の文法を勉強し直した。約一年間かけて行ったが、結局、塾講師はやらなかった。

 心配性なのだ、とにかく。

(試験とかの日は忘れ物がないかその日の晩に確認し、朝、確認し、玄関出る前に確認し、駅についても確認する。ある種、強迫観念に駆られているようだ。)

 

4.他人の機嫌に左右される

 

 誰かが怒っていると、自分が怒られているわけでもなくても声のトーンだけで緊張してしまう。

 

※つい先日、こんなことがあった。教頭先生がすごくイライラしていた。私は何だかすごく緊張していた。その教頭先生に平然と話をする先生がいた。業務上の重要な話ではなく、日常的なお話だ。私はその先生をすごいと思った。明らか教頭先生の声のトーンは低いのに、あんなにズバズバと話しかけられるなんて……。気付かないふりをしているのだろうか? それとも、ほんとうに気付いていないのだろうか?

 

 また、私が学生の時の思い出について。私は、楽しかった記憶よりも怒られた記憶の方が濃く残っている。自分が怒られた体験以外にも、誰かが怒られているときの記憶も覚えている。

……

 小学三年生のとき、S先生がSくんに「そんなに時間が気になるんだったら、ここに置いてやるわ!」と、壁掛け時計をSくんの机に置いた。

 小学五年生のとき、私が木の板のようなものを投げ、それが下級生の顔に当たり、それでとても怒られた。

 小学六年生のとき、Kくんがソフトボールを私たちが整列しているところに投げ、M先生がものすごく怒鳴っていた。

 中学一年生のとき、体育教師に私がトレーニングで手を抜いていると怒鳴り、一時間説教された。

 中学一年生のとき、先生が、クラスのやんちゃなOくんの名前を間違えて私の名前で呼び、注意をした。

 中学一年生のとき、テニスの部活でラリー中にコートを横切ったことで、K先生に叱られた。

 中学二年生のとき、SくんがM先生を押し倒し、M先生が尋常じゃないほどに怒鳴った。

 中学二年生のとき、理科の実験で器具を勝手にいじろうとしたKくんに私が注意をしていたら、なぜかK先生に「うるさい」と私が叱られた。

 テニスの遠征で、ダブルスで不甲斐ない試合をして、コーチにしこたま怒られた。

 テニスの遠征で、朝寝坊して、静かに怒られた。 

 ほかにも高校でのことや、大学でのこと、叱られた記憶はありありと思い出せる。

 

5.他人を優先する

 

 自分より他人を優先してしまう。

 

※私は基本的に電車の席には座らない。めちゃくちゃ空いているなら座るが、そこそこひとがいるときは座らない。なぜかというと、自分が座ることで、誰かが座ることができなくなることが非常に申し訳なく思ってしまうからだ。自分なんかよりももっと頑張って働いているひとのために席は空いてあって、私にはそこを座る権利などないんだから、と。

 かなり卑屈な考えだが、これはマジだ。

 

 少し主旨と離れてしまうかもしれないが、私は自分の強みを見出すのが苦手だ。

 だから、面接が苦手なのだが……。

「強み」。例えば、「継続力」(テニスをずっと続けている→大学時代に途中で部活を辞めた)、「計画性」(計画を綿密に立ててから仕事に臨む→毎回そういうわけではない)……といった具合に、すぐに否定の事象が思い浮かんでしまう。

「特技」だって、「勉強」は世界レベルで考えると、かなり下の方だし、「テニス」も世界レベルで考えると、かなり下の方だ。「漢字」といっても、東大王の漢字問題すべて答えられるわけではない。そんな具合に、自身の特技はほか(しかも大規模)と比較することで、まったく特技ではなくなってしまうのだ。

 

6.被害者意識が強い

 

 これは本書にはない。もしかすると、これは繊細さんとは関係のないことかもしれないが、とりあえず書いておく。

 被害者意識が強い。周囲の視線が気になる。

 

※実は、満員時に座るケースもある。

 自分の目の前の席が空いたときだ。

 私は五秒ほど待って、誰も座りそうにないなら座る。

 なぜか?

「なんであのひと、目の前の席が空いているのに座らないの?」とか周りから思われているかもしれない。その空席の隣の人が「自分の隣に座るのがそんなに嫌なのか」と内心思っているかもしれない。

 そんなことを考えてしまう。

 だから、座る。

 

 また、自分が席を座っていると、隣に全然誰も座ってくれないときがある。

 そのとき、私は周囲から近寄りたくないと思われているんじゃないかと不安に思う。

 

 ほかにも落ちているゴミを拾うとき、ひとがいっぱいいれば、しない。ひとがいないときは、している。

 なぜか?

 ひとがいっぱいいる状態で私がゴミを拾っているのを見ると、周りから「偽善だ」と思われかねないからだ。だったら、誰も見ていないなかで善を行た方がいい。

 異常だとか思ってくれて結構。

 事実だし。

 

 大学のインターンシップで先生に「見た目からして教師向いてない」と面前でいわれたことがあるが、実は、今もそれが尾を引いていて、今自分は「自分は見た目からして頼りないやつだ」と思ってしまっている。そんなことない、と否定しようとするも、「実際に頼りないからな」と思ってしまう。

 インターンシップ先の先生には「努力したことないやろ」とか「うちの生徒の方がよっぽどできる」とか「このひと(私のこと)頭の回転が鈍いんですよ、お願いしますね、先生」といわれた。

 あの先生の発言は何も包み隠すことない本音であり、あれこそが自分という人間への真の評価ではないかと私は思った。

 自分がどう思っているのであれ、自分は努力をしたことない人間で、無能で、頭の回転が遅くて、頼りがいがなくて……と、考えると、一時期は表層的には明るく振舞おうとしていたが、家ではまじで落ち込んでいた。まじで精神的にやばかった。

 だって、

「自分はそうじゃない!」

 と否定できないもん笑。

 わりと事実だし。

 努力してきたこと、ないのかもしれない。……周りはもっと努力しているよ。

 無能。そう無能、不器用で、ひとに迷惑かけまくってる。

 頭の回転が遅い。そう。機転が利かない。臨機応変に対応できないよ。

 頼りがいない。そう。頼りがいないよな。もし私が生徒で、先生が私のようなひとなら舐め腐るもん。

 

 

 だめだ、ちょっと気分沈んでたな。

 

 戻ろう。戻ろう。

 被害者意識が強いって話だったな。

 インターンシップ先の先生の自分への評価が、自分への真の評価なわけないよな。

 被害者意識強すぎだ笑

 

7.自分の意見がない

 

 職場で上司に意見を求められてもとっさに言葉がでてこない。

 それはほんとうに自分の意見がないのではない。

「意見はあるけれど、相手のニーズに応えなければと思うあまり言えなくなっている」だけなのだ。

 正解を取り出そうとするあまり、あるはずのほかの意見が出てこなくなり、まるで自分に「意見がない」ような気がしてしまう。

 

※確かに。自分のなかに意見があっても、それは出さずに、相手の意見に同意を示すことは何度もある。

 かといって、自分の意見ってなんだっけと思うことが度々ある。

 相手の意見に流され続けてきたから、自分の意見を見失ってしまったのだろうか?

 自分には意見があることに気付くことが重要なのかもしれない。

 現に私は今、教師をしているが、そのきっかけは、中学生のときだ。

 勉強ができたから「教師になりたい」と親にいったのだ。

 親には「教師は安定した仕事だ」「企業就職は向いていない」「教師は一匹オオカミでもできる」と言った言葉を投げられてきた。そして、それらが私の考えに反映され、さも自分の考えのようになってしまった。「私はほんとうに企業に向いていないのか?」「一匹オオカミで教師をやれるのか?」と一度立ち止まって考える余地なく。

 自分の「こうしたい」を大切にすべきだと本書はいう。

 まずは、自分の中に深く眠り込んでいる意見を取り出し、本音を知ることから始めないといけないな。

 

8.眼鏡をとれば

 

 繊細さんは刺激を受けやすいということなので、物理的にそれをシャットアウトした方がいいそうだ。

 たとえば、「視覚による疲れやすさ」を感じるならば、「眼鏡の度を落とす」「サングラスをする」などの対処法がある。

 

※私は教育実習の最終日、みんなでドッヂボールをした際に、私は眼鏡をはずした。すると、あんなにこちらから生徒に接することができなかったのが、嘘のようにぐいぐい接することができるようになった。私は相手の細かい表情に気持ちを揺るがされてしまうので、そういった視覚情報をシャットアウトすることで、ふだんよりも積極的になれるのかもしれない。

 

9.気を遣い過ぎる

 

 これまた本書にないことだが、繊細さんの特徴的に「気を遣い過ぎる」ひとは多いのではないか?

 

※私はとにかく気を遣い過ぎる。たぶん。

 初対面のひとと、変によそよそしくなってしまうのは、「相手が機嫌を悪くするスイッチ」を押さないように言葉を選んでいるからだ。

例えば、敬語が抜け落ちないように、とか、相槌が抜けていたら失礼だな、とか。

(ある先生が年上の先生に一瞬敬語が抜けていたりすると、すごくそれが気になったりする。)

 私は自分の話をあまりしたがらない。

経験がないということもそうなのだが、その話は相手が聞いていて面白いのかといったことを考えてしまうあまり、話せなかったりするのだ。(それでも話せ、となると、自分の思ってもないようなことを話してしまう。たとえば、「勤務先の学校と出身学校が違い過ぎて大変だわー」と友達にいったりするが、別に働いているとき、そんな比較なんてしてないし。当たり障りのないことをいつもいっている。だから、つまらないと評されているかも)

 だったら、自分はずっと聞き手に回って、相手を気持ちよく話させることに徹した方がいいのではないかと考える。

 

 ほかにも友達を遊びに誘ったり、どこの飲み屋に行くか決めるのもできない。

 友達が楽しんでくれなかったらどうしよう、とか、決めた飲み屋があまりおいしくなかったらどうしよう、とか思ってしまう。

 同じ理由で、映画、漫画、小説をひとに勧めるのも苦手だ。

自分が面白いと思ったものを、他人も面白いと感じてくれるかどうかは判らないからだ。

 あ、だから、逆に、私は他人から勧められたものに対し、否定的なことをいえないんだよ。

 

10.嫌いを言う

 

 誰かのことを嫌ったりすることも大切だという。

 嫌いと思う気持ちは、生きていく上で重要で、人間関係がこじれないようにするためには、その「嫌いな人」から距離を置く必要がある。

 

※私自身、人間なので「あのひと苦手だなあ」と思うことはある。

 だが、人前で「あのひと嫌い」と言った記憶はない。

 だから、会話の中で「あのひとが嫌い」と言える人はすごいなと思う。

 嫌味ではなく、本当の意味で「尊敬」している。

 

11.他人に頼るのが苦手

 

 相手の時間をとってはいけないから、他人に頼るのが苦手だ。

 

※私もそうだ。

だが、頼みやすいひとと頼みにくいひとがいる。快諾してくれそうなひとと、不承不承といった感じで了承するひとの線引きが私の中にあって、前者が無理そうなら、後者に頼る。そんなことをしている。

以前は、マジでひとに尋ねるとか苦手だった。よくそれをコミュ障といわれたものだが、じゃなくて相手のことをあれこれ思って、なかなか近寄れなかっただけなんだ。

 

12.神経の疲れ

 

 疲れているのは、身体ではなく頭の方だ。

 考え疲れ、緊張疲れがあると神経が休まらず、疲れがとりにくいそうだ。

 

※教育実習中は、帰ったら死んだように寝ていた。

 あれは身体面の疲労じゃなく、心労だな、間違いなく。

 

13.マルチタスクが苦手

 

 いろんな仕事が同時に重なると焦ってしまう。

 繊細さんは、さまざまなことを感じ取り、深く考えながら仕事をする。ひとつひとつの仕事に集中して丁寧に仕上げるのが得意だ。

 

※私はひとつのことに全神経を使って取り組むことは得意だ。

 たとえば、卒業論文

 毎日、研究室にこもって、朝から晩までやろうと思えば、苦なくやってのけた。

 だが、教師はそんな場面まずない。

 授業+校務分掌+部活

 正直、教師はかなりのマルチタスクを抱える職業である。

 初年度なので、ほかの先生にくらべればタスクはかなり少ないが、それでも仕事が重なると焦りを感じてしまう。自分一人で授業案を黙々と作っていたいと思うほどだ。まあ、そんなこと駄目なんですけどね。 

 本書では「優先順位をつけるのではなく、重要なものをひとつ選ぶ」と書いてある。

 でも、あらゆる仕事が降り注ぐこともあるからなあ……その対処法でどうにもならんときはどうすればいいのだろうか……と悩んでおるのです。

 

14.幸せに活躍できる仕事!

 

 想い―やりたいこと、いいなと思えること―やりたいと思えるか

 強み―得意なこと―得意を活かせるか

 環境―職場環境や労働条件―働き続けられる職場環境かどうか

 

15.自分の本音を知る方法

 

・言葉を手掛かりに読み解く

(「こうしたい」は本音の可能性があるが、「こうしなきゃ」は世間の声だ。)

・繊細な感覚を感じる

(「こうしたい」と呟いたときの自分の身体の状態を感じる。暗い気持ちになったら、それはきっと「今は」やりたくないことなんだろう)

 

・自分と会話する

(幼いころの自分をイメージして、その自分と会話をするそうだ。なかなか形而上的な行為だ)

 

 いろいろ述べてきたが、私はいまとても危惧している。

 私を「繊細さん」と前提条件にしたからだ。

 私は「繊細さん」ではないのに、勝手に「繊細さん」のカテゴリーに入れて、自身の弱さを正当化しようとしているのではないか?

 被害者意識が強いのも、マルチタスクが苦手なのも、全部「繊細さんだから仕方ない」で済まそうとしているのではないか?

 ともかく私は危惧している。

 ……

 とにかく面倒くさいよな?

 メンドクサイ思想よな?

 私も、メンドクサイ。

 ……