2021年が来ましたので
自分はこれから何をしたいか。
判らないままここまで来た、そしたら年が明けた。
このまま歩いて行けば、自然と行きつく場所があるのか?
さて、そろそろ腹をくくらないといけない。2021年。
自分は文字を書くことが好きだ。
文字を読むことが好きだ。
紡がれた言葉に対して真摯な態度で向かえる自信がある。
だったら、自分は「言葉」を大切にしながら、「言葉」によって、誰かを救えられたらいいなって思う。
大げさかもしれないけど、それくらい大げさで、今の自分に割に合わない目標を立てたっていいだろう。
私は教師だ。
教師に向いていないなって思う瞬間が多々ある。
その理由はたくさんある。
もっとも大きな理由は自分を卑下しまくってしまうことだ。
生徒よりも上に立って物を言うのがとにかく苦手なのだ。
「教師」という役割が私にとっては重すぎる気がしてならないのだ。
だから、生徒を注意することも苦手。
じゃあ、なんで教師になろうと思ったのか?
小、中学は、手前味噌ながら私は勉強ができた。クラスメイトから教えを乞われるようなことがよくあった。多分、その時期に味わったテストでいい点数を取る快感や、〈教える〉という行為への悦楽感(えてして優越感)から、自分は勉強に一番携われる職である教師になりたいと漠然と考えたのではないか(テスト制作に魅力を感じていたしね)。当然、当時は教師の仕事の全貌なんていっさい知らない。
言ってしまえば、自分の興味関心の方向が「学校」というごく限られた場所にしか向かず、それによって自分の将来の姿を安易にそこに求めたのだ。
高校生活では勉強こそうまくいかなかったが、失礼なことにも教え方があまりうまくない英語の先生がいて、「こんなひとでも教師になれるんや」と思ったことや、部活が超楽しかったことも手伝って、学校の先生になって大好きなテニス部の顧問もできるって最高や! と、とても楽観的に考え、ますます教師になりたいという思いが膨らんだ。
自分は教師にしかならないという思いで某教育大学に入学した。
教育大に入ってしまえば、企業に就職するのは難しいが、別に企業に入るつもりもないし、自分企業は向いていないし、なんてことを考えていた。
で、これ以降は、自分が「教師」以外の道を見つけられずにそのまま教師になった。
大学の講義の中で、自分教師向いてないなって何度も思ったにもかかわらず。
以上の通り、実を言うと、私はほかの教師に比べ、熱情的ではない。
なぜ教師になりたいのか、という理由すらない。
だが、最近思うことがある。
先にも述べたが、
私は「言葉」をもって、誰かの一助になれば、と考えている。
だったら、これを自分の軸として、それでもって教師になればいいのではないかと。
実際、教師をやっていて、
楽しいと思える部分があったし、悔しいと思える部分もあった。
教育実習時は全然生徒とうまく接していなかったのに、今はうまく接せられていると思う。
そんな楽しいと思える瞬間があるのだから、それだけでも教師をすることに価値があると思う。
教師という仕事が自分に務まるかどうか、正直不安だ。
だからといって、教師以外の道を見出していない自分が、即席でほかの道を選んだとしても、そっちはそっちで多くの悩みを抱えることだろう。そして、辞めるための言い訳を探すことだろう。そんなふうにはなりたくない。
今年一年、竹を割ったような、きっぱりとした人間になりたい。
悩みを抱えながらふらふら歩くようなことはしたくない。
今のこの瞬間でも、「教師をやり続けよう」と腹から主張できない自分が嫌だ。
だが、自分の軸は定まったんだから、
動きだせ、動きだせ、
自分の人生だから。