あえて空気を読まない、そして、援助希求力 ――諸富祥彦『教師の資質』『いい教師の条件』

 

 いま、Twitter上で「#教師のバトン」なるものが賑わいを見せている。

 確かに勤務校の担任や校務分掌の長を見ていると、その大変さに恐ろしさを感じることもある。もはや、教師の本分である授業は二の次どころか三、四の次くらいである。

 私の勤務校では、生徒指導、保護者対応、校務分掌に追われ、さらに今年からは(詳しくは書けないが)「特別支援教育」に片足をつっこんだようなことも行う。

 天声人語に以下のようなことが書かれてあった。

 

 業務の効率化を示す「スクラップ&ビルド」は、ある仕事をやめ新しい仕事を始めることをいう。この考え方が全く働かないのが学校だと、小中学校の教員江澤隆輔さんが『先生も大変なんです』で書いていた。

 

 江澤隆輔さんは以下の動画にも出演している。

 

 

 よくこういった現場の過酷さに声をあげているひとを見て、あるひとは「じゃあ、やめればいいじゃん」と言う。

 しかし、それは違うと思う。

 教師たちはほとんどが子供が好きで、学校が好きで、教育が好きで、教師になったひとたちであり、子どもたちの成長を身近で見られることにやりがいを感じているはずである。その「やりがい」を感じる喜びを知っているから、教師たちはかんたんに教師をやめられないのだ。

 それに、もしみんな「教師をやめればいい」という軽い言葉に流されて、辞めてしまったら、それこそ教師のバトンを誰が受け取るのか? 教育現場には誰もいなくなってしまうのではないか?

 

 そもそも、教育は国の基盤であり、そこを疎かにしてはいけない。

 だから、文科省は現場の声を聞いて、改善していくべきなのである。

 文科省の官僚たちは俗にいうエリートたちで、「荒れている」学校がどんなものかを知らないだろう。みんながみんなまじめに授業を聞き、しっかり内容を理解していて、ちゃんとした意見を持っている生徒ばかりだと思い込んでいるのではないか?

 主体的で対話的な学びがこれから求められるのでアクティブ・ラーニングを徹底していくのも、これからの社会を生き抜くためにキャリア教育を徹底させるべくキャリア・パスポートを記述させるのも、意図は判る。

 だが、みんながみんな以上のような活動を有意にできるとは限らない。

 文科省が想定しているのは、偏差値の高い子どもたちばかりである。

 

 ほんと、私は今の高校に勤務してから、価値観が大きく変わった。

 母子家庭、父子家庭、両親が病気、両親がギャンブラー、子が家出しても我関せずとする親……いろんな家庭があり、いろんな親がいる。父が母に暴行、虐待、父が愛人と暮らしている、母が精神的に不安定……いろんな家庭状況を持っている。

 そんな家庭の中で育った子が、言い方は悪いかもしれながい、まともに育つはずがない。学力的にも、精神的にも。その子は何かしらの「ひずみ」を抱えていくことになる。表面上は大丈夫に見えても、何かがきっかけで、その「ひずみ」は弾けてしまうかもしれない。

 そういった子たちが、主体性をもって学びに向かえるのだろうか? 

 内部に抱える「ひずみ」がなんとかして弾け飛ばないように耐え忍ぶのにせいいっぱいな子たちがまともに教育を享受できるだろうか?

 

 ……と、少し熱くなってしまった。

 今回は、そういった話ではない。

 教師の資質について語りたいのだ。

 文科省批判ではない。

 

 今回は、諸富祥彦『教師の資質』『いい教師の条件』の二冊について書いていこうと思う。

 諸富さんは前に述べた「教師のバトン」で見られる教師の過酷さの実情を理解していて、だからこそ教師の方をサポートしようと考えたカウンセラーである。

 諸富さんの願いは、「どうか教師をやめないでほしい」ということである。

 教師は報われない仕事ではあるが、魂を打ち込められる仕事でもある。

 その教師のすばらしさを伝えたいという思いが、前に挙げた二書には込められている。

 さて、そんな諸富さんが提示する「教師の資質」について、①空気を読まない力 ②援助希求力 に絞って、まとめてみようと思う。

 

①空気を読まない力

 

 前に『友だち地獄』でも述べたことだが、生徒たちの間では心理面でいろんな駆け引きが絶えず行われている。周りに合わせなくてはいけないという同調圧力や、同じになれない誰かを排除することで、友だちグループの親密性を高めていこうとする同調的排他性が、教室内で見られる。

 これによってスクールカーストなるものが生まれる。

 教師がえこひいきするのはこのカースト最上位の人間であることが多い。

 それでは「いじめ」「不登校」の解決は見込めない。

 そういうわけで、諸富さんが提唱するのは、あえて「空気を読まない」教師になれ、ということなのだ。

 教師があえて空気を読まないことで、生徒の中にも「別に空気を読まなくていいんだ」と思うひとが出てくるかもしれない。そうすることで、同調圧力から逃れられるかもしれない。そう言っている。

 それは職員室内でも同じで、周りから「どうしてあなただけそんなにやるの?」と思われてもいいから、授業準備を思いっきりやってみるといったふうに、周りの視線を無視した、あえて空気を読まない行動をとるべきだという。

 それじゃあ、例の神戸の小学校の教師間のいじめ事件みたく、いじめを受けるのではないか? と思われそうだが、諸富さんの意見は、もしかりにいじめを受けることになったら、「正面衝突せずに横歩きをせよ」ということらしい。ようはやりすごせ、ということだ。人畜無害のひとにつるんで、変な派閥に絡みにいくようなことはしない、ということだ。

(実際、いじめって、いじめられる側の反応がおもしろいから、いじめる側はいじめ続けるのだ。だから、いじめられる側が反応しなければ、いじめる側も飽きていじめをやめることだろう。しかし、いじめられる側に「スルー」を求めるのはなかなか酷な話だ)

 また、諸富さんは教師は心の振れ幅が小さくなくてはならない、と言う。信頼していた生徒が悪いことをしてしまったら、バーンアウトしてしまいそうになる。しかし、そういった経験をしたときの「情緒の安定性」の高さ、心の揺れ幅が一定の幅に収まっている必要がある。死にゆく患者にいちいち感情移入していては看護師はやっていけないように、教師も割り切るところは割り切って、淡々と振舞うことも求められるのだろう。

 

 前にも似たようなことを述べたが、教師はスクールカースト最上位の生徒にえこひいきする傾向がある、その層はいわゆる教室内でもっとも勢力が強い。しかし、教師はその集団の陰に隠れている少数派の生徒に目を向けるべきである。

 不登校の子、いじめを受けている子、LGBTの子……そういった子に「なりきってみる」ことが求められる。なかなか難しく、トレーニングを積まなければ、この「なりきる」ことはできない。

(私自身、生徒の気持ちを理解しようと努力するも、どれほど考えても、理解できないものは理解できなく、もどかしい気分になることが多々ある。)

 

②援助希求力

 

 援助希求力とは「上手に助けを求める力」のことである。

 ある小学校の校長はこう言った。

うちの学校では、研究指定校になるとか、コンクールで入賞するなどという高い目標は目指しません。今は、これだけ教育の難しい時代です。うちの学校が目指すのは『一人の教師も、退職、休職、精神疾患に追い込まれない学校』です

 また、ある小学校の管理職は、うつ病になった教師にこう言った。

うつ病になったのは、むしろ真剣に責任感を持って仕事をやっていた証拠だ。うつ病は教師の勲章だよ、君

 以上のような管理職が教師のことを思ってくれていたら、教師たちはすごく働きやすくなる。(ちなみにうちの学校の管理職はすごくいいひとたちです。)

 教師にとって、同僚や管理職による支えほど、教師人生の危機を乗り越えるうえで大きな力になるものはない。

 逆に言えば、管理職が教師をむげにしていたら……。それじゃあ、某神戸いじめ事件みたくなるよ。

 まあ、いずれにせよ、学校内にはいろんな教師がいる。

 そのほとんどが生徒の力になりたいという思いで働いているひとたちなんだから、とにかくつらいときは助けを求めればいいんだ。まずは、口を開く。じゃないと、悩んでいることが伝わらないだろう。黙っていても、何の解決にもならない。援助を求める力。これがほんとうに今後教師をやり続けるならば、とても大きな能力になってくる。保護者のクレームに思い悩んだり、学級運営に悩んだり、生徒指導に悩んだり、……その悩みは教師をやるなかで必ずぶちあたる壁である。そして、ベテランの教師たちはみなその壁にぶち当たってきたはずで、それを乗り越えてきたはずでもある。じゃあ、相談しよう。って話だ。

 チーム学校と言われているのだから、教師たちはチームとしてあらゆる問題に立ち向かっていかなければならない。逆に言えば、ひとりでくよくよ悩む必要はないというわけだ。ひとりの悩みは、みんなの悩み。One for All, All for One.

「#教師のバトン」だって、いろんな教師たちがチームとなって、環境の改善を求めているのだ。そして、そのバトンは、文科省に渡された。

 

 私はいますごく心理学に興味がある。 

 教師としてやっていけなくなったら、カウンセラーをやってみたいと思えるほどだ。

 もちろん、大変なのは百も承知だ。

 しかし、私の勤務校の生徒たちの多くの割合で自尊感情が低い。引きこもる子だっている。そういった子たちにどんな援助ができるか? 私は考えるようになった。いろんな本を読むようにもなった。しかし、本だけじゃ得られないことがリアルにはたくさんある。だから、私はそのリアルに積極的に触れていきたいとすら思える。だが、正職の教師ではない上に、忙しい日々に、その思いが徐々に消え失せていってしまいそうになる。

 だから、私は書いている。

 このブログは「過去の私」から「いまの私」、そして、「未来の私」へとつなげるバトンである。そういった意味を持ちつつある。

 

 

いい教師の条件 (SB新書)

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  • 作者:諸富祥彦
  • 発売日: 2020/10/06
  • メディア: 新書