古文を学ぶ理由(会話劇)

A「れ・れ・る・るる・るれ・れよ……。あー、なんで古文なんて勉強しなきゃいけないんだよ」

 

B「どうした? そんなに暴れて」

 

A「いや、暴れてはないが」

 

B「古文の勉強? あー、懐かしい。昔やったねえ。古文は簡単だよ。助動詞だけを覚えればいいから」

 

A「いや、そういう問題じゃないよ。どうして古文を勉強しなきゃいけないのかって話」

 

B「なるほど。確かに少し前に古典不要論が話題になっていたね」

 

A「そう。これから未来を生きる私たちに古文は不要じゃない?」

 

B「なるほど。ところで、兼好法師の『徒然草』を知っているか?」

 

A「名前だけなら」

 

B「その『徒然草』に第150段の『能をつかんとする人』という話が収録されている。全文のっけるのは大変だから、要旨だけ。」

 

 芸の修行で、未熟な時は人に知られないようにし、熟達してから人前に出ようとするのは、成功しない。未熟でも人前に出、人が悪口をいうことにかまわず修行すれば、そのうち上達する。

 

A「なるほど」

 

B「私も大学生のとき、塾でアルバイトをしようと思っていた時期があったのだが、そのために英語と数学を一年間かけて復習しようとした。でも、一年経って、実習とかで忙しくなって、結局面接だけして辞退したんだよね」

 

B「馬鹿じゃん」

 

A「まあ、とにかく、『徒然草』の教訓は今にも通用するし、その言葉に『なるほどな』って感心させられる。これってすごいことじゃないかな?」

 

B「うーん。まあ、でも、それって現代語で訳された文章を読めばいい話で、別にわざわざ原文を読む必要はないんじゃないか? 学校では原文を読むために、助動詞の勉強とかしているけど」

 

A「そりゃ、古文を読むためには助動詞を覚える必要がある。必要な手順だろ。それに掛詞とか和歌は現代語訳されたものでは意味が分からないし良さ伝わらないだろ?」

 

B「うーん。そもそもの大前提、古文で人生の教訓とか知ったとしても、やっぱりこれからは『お金の貯め方』『生活保護、失業保険等の社会保障の取り方』『PCスキル』とかそういった実用的な学習をやっておくべきじゃないのか?」

 

A「それ、ひ〇ゆきが言ってたことまんまだな。確かにそういった学習も重要だ。けど、そもそも勉強に『実用性』に求めてはいけない気がするんだ。初詣でのお参りは何のためにする? 節分で豆まきをするのは何のため? わざわざ神社まで行って、人混みの中、時間をかけて、叶うかもわからない願い事をする。まったく合理的ではない。大量の豆を購入し、鬼とやら架空生物に向かって、『鬼は外、福は内』と叫び、豆を投げる。幸福がやって来る保障はこれっぽっちもないのに」

 

B「身もふたもないことを言うな」

 

A「それと同じだよ。古文を学んだところで、お金を稼げるようになるわけではない。しかし、だからといって『実用性がない』とか『合理的ではない』といって排除するのも違うと思う。古文は人生の教訓を教えてくれるし、心を揺るがす何かを与えてくれるかもしれない。」

 

B「そういうものなのかな。なんか釈然としないけど」

 

A「まあ、古文が必要だと言っている人も、不要だって言っている人も、両方とも納得できる意見を持っているからな。文部科学省が『古文は大事』と言っている以上、この議論はもはや不毛なのかもしれないが。私はとにかく古文を学ぶ意味は大いにあると思う。『お金の貯め方』『生活保護、失業保険等の社会保障の取り方』『PC知識』ばかり学んでいても、心が豊かになるわけでもない。それにほとんどの学生は青春をいかに謳歌するかに重きを置いているので、勉強の大切さには気が付かないまま、学生生活を消費する。実際、学生時代にきちんと『政治経済』で『社会保障の仕組み』とか『保険』についてとか学んだくせに、大人になって「学んでいない」と言い出すことだってある」

 

A「うっ」

 

B「今、古文を学ぶ意味を分からなくてもいい。だが、何年後、何十年後、何百年後経って、そのすばらしさに気付くかもしれない」

 

A「何百年後は生きてないです」

 

FIN