外山美樹『勉強する気はなぜ起こらないのか』
ルンバを見て、「やる気ある」と思うひとはいないだろう。
もし、いれば、そいつはそうとうな変わり者だな。
なぜ、ルンバを見て「やる気ある」と思わないのか。
それはルンバが電力という外部からの力を得ているからである。
人間は電力などでエネルギーを得ているわけではない(当然)。
内部からのやる気によって、人間は動いている(当然)。
つまり、「やる気」とは、人間の内部に存在している、と言えよう。
とか言いながら、実は「やる気」には、外から与えられるものもある。
・「内からわき出るやる気」→内発的動機付け
・「外からわき出るやる気」→外発的動機付け
そのように呼ぶ。
1.内発的動機付け・外発的動機付け
・前者(内発的動機付け)→行動そのものが目的
・後者(外発的動機付け)→何らかの目的を達成するための手段
さて、ここで参考程度にかなり前の前のブログ記事をもってくる。
(なーんか、こんときやたらめったに自己啓発書読んでたなあー。否定はしないし、むしろああいったの読んだおかげである意味世界は広なったかな)
さて、勉強する理由が
「面白くて楽しい」なら「内発的動機付け」
「いい大学に入るため」とか「人に褒められるため」なら「外発的動機付け」
(内発的動機付け…
面白くて楽しいから
新しいことを知りたいから
外発的動機付け…
先生や親に叱られるから、褒められるから
勉強ができないと恥ずかしいから
いい成績をとりたいから
自分の夢や目標のために必要だから
いい大学に行くため
自分の能力を高めたいから
知識を得ることで幸せになれるから)
でもね、長続きするのは絶対に「内発的動機付け」!
なんでかって?
そもそも「外発的動機付け」って、目的が達成されたら自発的に行動しなくなるものである。外からのやる気が「飴」を得ることや「鞭」を回避することが目的なら、飴を与える人や鞭を与える人がいなくなれば、もう行動する理由を失ってしまう。
具体的に考えると、勉強するのが「お母さんに怒られないように」とかだったら、お母さんが家にいない日は勉強しなくていいってことだ。
だが、内発的動機付けでは、そもそも報酬とか罰とか関係なく、勝手に「動機付け」されているわけで、行動そのものが目的だから、当然長続きはする。
具体例を挙げると、研究大好きマンと研究いやいやマンがいたとする。お互い、研究をせねばならないという状況では、当然前者の方が「研究」を熱心に行うであろう。長続きだってする。
じゃー、内発的動機付けはだめなんですね、って言われると、ちょっと待って! と言いたくなる。
実は外からのやる気のなかにも、行動を強く促し、持続させるものがあるという研究があったそうだ。
勉強をする理由について
1.自己実現のためのやる気(自分の能力を高めたいから)
2.目標によるやる気(いい大学に進学するため)
3.プライドによるやる気(勉強ができないと恥ずかしいから)
4.典型的な外からのやる気(先生に叱られるから)
外からのやる気のなかでも1はとてもよいものである。次点で2、3、4と続く。
ちなみに1から4の順は「自己決定性」の程度が高い順でもある。
(1は自己決定力の高いものである、ということ。次点で2、3、4と続く)
つまりは、内発的動機付け(内からのやる気)が一番なのは確かだが、外からのやる気、その中でも「自己実現のためのやる気」を引き出す分に関してはまったく問題がないというのだ。
2.誘惑に打ち勝つ
最近、勉強せなって思っても、誘惑に負けてしまう。
誘惑、たとえばスマホとか。てかスマホ。スマホだけ。スマホこそ大敵。悪魔。
ということで、そういった悪魔に打ち勝つにはどうしたらいいか?
個人的にはスマホを手元に置かないってのがいちばんかなって思う。
でも、勉強の際、調べごとするとなるとスマホが近くにあると便利ってなっちゃうから、スマホを手元に置かないってのは不便にもなっちゃう。
スマホという悪魔に打ち勝つためには、アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』を読めばいいのかもしれない。たとえば、甘いものを食べたいという欲に打ち勝つには、その甘いもののカロリーを見るとか、ゲームしたいという欲に打ち勝つには、そのゲームをしている時間があればどんなことができたか?を考えてみるとか。
それはあくまで個人的な見解だけど。
本書では「やる気をコントロールする方法」が載っていたので紹介しようと思う。以下の例はすべて「勉強におけるやる気」の上げ方である。
- ご褒美作戦(自己報酬方略)
勉強を終えたら、「おいしいものをたべる!」といった報酬を用意するというやり方。
- 環境を変える作戦(環境調整方略)
自分の好きな環境で勉強するとか、部屋を勉強に集中できる環境にするといいったやり方。(部屋が汚い(いわゆる汚部屋状態)と、集中力が低下するらしい。なんでも視界に映る情報の量が多いと、集中力の散漫につながるんだとか)
- 負担をおさえる作戦(負担軽減方略)
自分にとっての負担をなるべく減らすような作戦。
得意なところや好きなところを中心に勉強するとか、飽きたら別のことをしたり、休憩をしたりするなどがこれにあたる。
(だらだら二時間勉強するくらいなら、きっちり集中して一時間勉強した方がいい)
- 友だちに頼る作戦(協同方略)
自分一人でがんばれないなら、友だちといっしょに勉強するというやり方。その友だちのがんばりを見て、感化されるかもしれない。
- 勉強って大事だと思う作戦(価値づけ方略)
勉強=将来の役に立つ
そういう認識をもとに、やる気を上げていくというやり方。
(賢い学校だと勉強をしないといけない理由が大学受験だから別にいいんだけど、そうじゃない学校の生徒はいったい何をモチベに勉強ができているんだろう?)
3.目標設定をすべきである
意味もなく勉強するのって楽しい?
楽しくないだろう。
テストで100点とるために勉強しようといった目標を持った方がいいに決まっている。
目標設定はやる気につながる。
その理由は
①目標は、めざすべき方向性を明確にし、必要な努力の程度を調節することにつながるから
(現在の状態と理想とする目標との間のギャップの認識)
→例えば、テストで八〇点とるという目標を設定し、今まではだいたい六〇点をとっていたなら、「じゃあ、毎日に時間勉強して、二〇点あげよう」といった具体的な計画を立てることができる。
②努力によって、自身が設定した目標が達成されたときには、達成感や喜び、自信を感じることができるから
→例えば、テストで八〇点とるという目標を達成したら、今度は八五点をとるといった目標を掲げ、それに向かって進んでいくことができる。
何も、目標設定は勉強に限ったことではない。
人生においても、ただ目標もなく生きるのではつまらないし、生きる意味を見出せない。だから、○歳までに○○を成しとげたいと思うことは、人生を豊かにさせてくれるものだ。
(私にもそういった人生の目標みたいなものは持っている。)
そして、そういった目標は長期的すぎると中だるみしてしまいがちなので、短期的な目標を持つといいらしい。
例えば、医者になりたいという長期的な目標を中高生がもったとする。その達成のためには「○○大学に合格する」という目標や、さらにはその目標達成のために「毎日最低二時間勉強する」(ちなみに、「毎日勉強する」といったふわふわした目標ではなく、「二時間」といった具体的な数字をあげると効果的である。目標は明確である方が、行動につなげやすいのだ。)という目標を立てる。
理想が大きいのはけっこうなことだが、まずは自分の能力に合ったレベルで目標を設定するべきである。そういった小さい目標をコツコツ達成していき、最終的に理想に近づいたかたちになればいいのである。小さい目標といえど、簡単すぎる目標はよくない。自分の努力によって達成できるかもしれないという目標(なかなか設定しづらい目標であるが)を設定しておくべきなのである。
また、他者との比較でない目標を立てるべきである。そういった他者と比較する目標(例えば、ライバルに勝利するといった目標)のことを「遂行目標」という。この遂行目標は、本人がどれだけ頑張っても、他者がそれを上回っていれば、達成できない目標である。目標の達成を自分自身でコントロールできない性質を持つ。これでは、相手が常に自分を上回ってしまえば、やる気がそがれていくばかりだ。対して、具体的な行動やスキルの向上を目標とするものを「熟達目標」という。自分の能力が増大したかどうかに焦点を当てられるため、自分自身をコントロールできる。つまりは、自分が努力すれば、それが結果につながる。さらに自分が進歩したことを実感し、自信を持つことにつながる。やる気の保持につながるのである。
(よく他人と比較するな、と言われる。たしかにその通りなのだ。自分が努力している間も、他者は努力しているのだ。他者に勝てないと感じるのはそういったせいなのである。だから、ほんとうに比較すべきは、他者ではなく、過去の自分である。今の自分が過去の自分に比べて、どれくらい進歩しているか、それを知ることが大切なのである。)
そんなこんな述べてきたが、ときには諦めることも大切だという。困難な目標をあきらめずに、いつまでも努力を続けていると、鬱になりやすいのだという。ひとつの目標に集中する「木を見て森を見ず」思考にとらわれてしまうと、結局はすべてを手に入れられないことになってしまいかねない。視野狭窄からの脱却を図る必要がある。新しい目標を見つけて、それに合わせて行動を変えていくべきである。
4.やる気を左右する周囲の存在
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
この故事成語、実は非常に的を射ているのではないだろうか?
例えば、Aさん、Bさんがいるとします。AさんとBさんの学力は同じくらいです。Aさんはレベルの高い高校へ、Bさんはレベルの高くない高校へ進学しました。すると、Aさんは周りの優秀な生徒たちと比較して、自分は勉強ができないと落ち込んでしまい、勉強に対するやる気をうしなってしまった。対して、Bさんはほかの生徒たちに比べて、成績がよく、「自分は勉強ができるんだ」と自信を持つようになった。
(私は中学生のとき、「自分は賢い」と思っていたから、いい点数を量産できていた。しかし、高校生になって、「自分は馬鹿だったんだ」と思っていたから、ひどい点数を量産していたのだ。)
「井の中の蛙効果」という言葉があるそうだが、それは、同じ成績の生徒であっても、レベルの高い集団に所属していると、優秀な生徒たちとの比較のために有能感が低下し、レベルの低い集団に所属していると、自分よりも劣った生徒たちとの比較のために有能感が高まる現象のことだ。
だが、「自分はすごいんだぞ!」という考えのまま、一段階レベルの高いところへ出てしまえば、今度は「自分は実は無能だ」というふうに落ち込むことはあるだろう。
しかし――だ。自己有用感、有能感がやる気を持続させてくれるのはたしかだ。
他人と比較するのはよくない、と言われる。
しかし、「意図的に比較する」のであれば、それは問題ないそうだ。(あと、目標設定において「他者と比較するな」と述べたが、そのこととは矛盾していないだろう)
自分よりも優れた他者と意図的に比較する人は、向学心が強く、やる気が高まり、その結果、自身のパフォーマンスが向上しやすい傾向にあることが示されている。
対して、自分よりも劣った他者と意図的に比較する人は、傷ついた自尊心を守りたいとか、あるいは優越感を得たいといった消極的な理由で比較していることが多いため、やる気が高まることはなく、パフォーマンスも向上しないと言われている。(ただ、自尊心は守られる)
おいおいおいおい、じゃあ、その理論だと進学校の生徒のパフォーマンスはみな高まるんじゃねえの? と言われそうだが、実際、そうではない。有能感の低い人間がそこここにいる。
実はこれ順番が逆なのだ。
優秀なひとと比較して有能感が得られるんじゃなくて、有能感が高いひとが優秀なひとと比較して自身のパフォーマンスが向上するのである。だから、有能感が元から低い人が優秀なひとと比較したところで何も向上しない。
だから、初めに書いた
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
は的を射た格言なのである。有能感を高める手段として。
じゃあ、前に挙げたAくんのような、レベルの高い集団に属してしまい、否定的な有能感を築くに至った子にはどんなことができるか?
これは本書にはさほど細かく書かれていることではなく、私がその疑問を前に考え抜いた解決方法であるが……、とにかく「他者と比較しない」に尽きると思う。他者と比較したり、他者と比較しなかったり、あまりに都合がいいように思えるが、そういった柔軟性をもって、有能感を高めていくべきなんだろう。前にも述べたが、他者と比較するのではなく、過去の自分と比較するのだ。そして、過去の自分からどれだけ今の自分は進歩できたかを、自己評価して、その進歩度合いを認め、有能感を高めていくべきなのだ。
5.ネガティブでも大丈夫?
ある人は褒められてやる気が高まるかもしれないし、ある人は叱られることで自分を叱咤激励しやる気が高まるかもしれない。
こんなふうに、結局のところ、ひとによって異なるところはある。
それと同じように、一般的にポジティブ思考がいい結果をもたらし、ネガティブ思考が悪い結果をもたらすと言われているが、物事を悪い方に考えることで成功しているひともいる。(こういう悲観主義のことを防衛的悲観主義と呼ぶ)
なぜ防衛的悲観主義が成功するのか? その理由は以下の二つだ。
①悲観的に考えることで、不安をコントロールできるから
→不安はパフォーマンスを阻害する大きな要因だ。不安とはこれから遭遇する状況では何が起こるかわからないという思いから生じるものだ。楽観主義のひとは、自分が成功するか失敗するかの結果については考えず、気晴らしなどをして、なるべく不安が生じないように対処できるのだ。しかし、悲観主義は異なる。結果を気にしてしまう。だが、その結果があまりに未知なものすぎて不安になる。防衛的悲観主義者は「悪い結果が出る」と確信してしまっているから、成功しないといけないというプレッシャーから解放されるのだ。また、自分は失敗するに違いないと思うことで、いざ失敗してもさほどショックを受けない。自分が傷つくことをあらかじめ防衛できるのが、この防衛的悲観主義者なのだ。
②予想できる最悪の事態を見越して、それを避ける最大の努力を行うことができるから
→いわゆる失敗の状況のイメージトレーニングができている状態にある。考えられる限りのネガティブな結果を具体的に想像することで、おのずとやるべきことは見えてくる。具体的な対策を定めると、あとはもうやるだけだ。つまり、防衛的悲観主義者は用意周到なのだ。だからある意味、自信をもって物事に積極的に取り組むことができる。そういうマインドセットが整った状態で挑むことができるのだ。どんな事態が起こっても、対処すべき青写真が頭の中に入っているので、もう何も恐れることはない、という不安の一切ない状態でいられる。
防衛的悲観主義者ではなく、ただの悲観主義者になってはいけない。なぜなら、ただの悲観主義者は予想できる最悪に事態を見越して、それを避けるという努力を怠ったり、物事に挑み、成功しても「たまたま」と思ったり、失敗したらしたで「どうせ自分なんか」と卑屈になってしまう。
こんなふうにならないように注意しよう。
ただ、反対に、防衛的悲観主義者に「ポジティブになろうぜ」って言うのはよくない。本書に実証的なデータが載っていたのだが、防衛的悲観主義者にポジティブを押し付けるとパフォーマンスが下がるのだという。
つまり、そのひとにあったやる気の高め方があるということを覚えておいてほしい。
6.やる気がなくなったとき
学習性無力感と言う言葉がある。
行動と結果の間に随伴性がないと悟ってしまった場合、無力感に陥ってしまう、というのがセリグマンの実験で明らかになった。
つまり、勉強しても成績が悪かったり、勉強しても誰も褒めてくれなかったりすると、勉強しても無駄なんだと思ってしまうのである。
学習性無力感の考えによれば、無気力状態になって自分から何も行動できなくなってしまった人は、もともと無気力だったわけではなく、過去に自分の努力が何ら結果に結ぶ憑かない経験をしたため、そのような状態に陥ってしまったのである。
無気力は学習されてしまうのである。
しかし、この無気力状態への陥りやすさは個人差が見られるそうである。中には無気力を学習しないケースだってあるそうだ。無気力状態に陥りやすいひとは、自分に起こった不幸は長く続くもので、いつまでも自分の人生に影響を与えるだろうと考えてしまいがちである。例えば……
A 友だちはいつも人を傷つけることを平気で言う
B 友だちは虫の居所が悪くて、たまたま私にあたったのだ
という二つの説明スタイルがあるとすると、前に述べた「無気力状態に陥りやすい人」はAのような「いつも」といった「永続的な」説明スタイルをとっていることが多い。
対して、Bのような「たまたま」といった「一時的な」説明スタイルをとるようなひとは「無気力状態に陥りにくい人」なのである。
つまり、このことから、説明スタイルを変えてやることで、「無気力状態に陥らないように」対策を打つことができるということでもある。無気力状態に陥りやすい人はこれから「いつも」とか「毎日」といった永続的な言葉を使わず、「たまたま」「時々」といった一時的な言葉を使ってみるとよいのかもしれない。
前の話に戻るが、学習性無力感の実験(ここでは述べていないので、前に貼ったリンク先を参照)をしたセリグマンは、無気力状態に陥った犬を放ったらかしにはしなかった。
セリグマンは、無気力の犬に衝立を飛び越えさえすれば、電気ショックから逃れられることを学習させようとした。すると、さっきまで全然動こうとしなかったその犬は自分で動き出すようになった!
つまり、自分の行動によって状況が変わるということを教え込めば、無気力状態を防げるということなのだ!(免疫付け、という)
人間だって、無気力感に陥っても、行動と結果の随伴性を感じることさえできるように、周りがサポートしてあげれば、そこから脱出できるということなのだ。
7.まとめ
①「内からわき出るやる気」→内発的動機付け→行動そのものが目的
なるべく内発的動機付けによって、やる気を引き出せたらいい。
「外からわき出るやる気」→外発的動機付け→何らかの目的を達成するための手段
内発的動機付けの方がやる気の引き出す方法として優れているが、「自己実現のためのやる気」を引き出すということにおいては外発的動機付けでも問題はない。
②やる気をコントロールする方法
- ご褒美作戦(自己報酬方略)
- 環境を変える作戦(環境調整方略)
- 負担をおさえる作戦(負担軽減方略)
- 友だちに頼る作戦(協同方略)
- 勉強って大事だと思う作戦(価値づけ方略)
③目標設定をすべき
・目標は、めざすべき方向性を明確にし、必要な努力の程度を調節することにつながるから
・努力によって、自身が設定した目標が達成されたときには、達成感や喜び、自信を感じることができるから
(よく他人と比較するな、と言われる。たしかにその通りなのだ。自分が努力している間も、他者は努力しているのだ。他者に勝てないと感じるのはそういったせいなのである。だから、ほんとうに比較すべきは、他者ではなく、過去の自分である。今の自分が過去の自分に比べて、どれくらい進歩しているか、それを知ることが大切なのである。)
④やる気を左右する周囲の存在
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
⑤ネガティブでも大丈夫?
防衛的悲観主義は成功しやすい。
・悲観的に考えることで、不安をコントロールできるから
・予想できる最悪の事態を見越して、それを避ける最大の努力を行うことができるから
⑥やる気がなくなったとき
学習性無力感の考えによれば、無気力状態になって自分から何も行動できなくなってしまった人は、もともと無気力だったわけではなく、過去に自分の努力が何ら結果に結ぶ憑かない経験をしたため、そのような状態に落ちってしまったのである。
しかし、自分の行動によって状況が変わるということを教え込めば、無気力状態を防げる。