犬塚美輪『14歳からの読解力教室』

 大学二年生ぐらいまでろくに本を読んだことがなかった。

 文庫版の小説を初めて読んだのが大学二年生の夏ごろ。

 たしか、『君は月夜に光り輝く』だったと思う。

 一般文芸すら敷居が高いと思っていたので、ライト文芸から肩慣らし。

 そっからしばらくライト文芸ばかり読んでいたんだけど、(ライト文芸を馬鹿にするわけではないけど)なんだか食い足らないような感じがした。

 面白い、けれど、あとに残るものがない。

 上から目線の評者みたいな意見だけどそう思った。

 

 で、一般文芸に手を出そうと思って、手に取ったのが宮本輝さんの『青が散る

 当時、テニスが好きな大学生だったこともあり、まさにぴったりな小説だと思い、読み始めたのだ。

 濃密な読書体験を得た。

 主人公の内面やや他の登場人物との関わりを通しての成長の描写、ときに美しく、ときには暴力的で、しかしどこか温かい、流麗な筆致が織りなすストーリー。

 すばらしい。

 小説とは、こういうものなのか!

 そんなふうに思った。

 それ以来、私は小説の虜になった。

 

 ……

 

 この体験から言いたいのは、宮本輝さんの小説が素晴らしいということではない(もちろん、事実、そうであるのだが)。

 私が言いたいのは、ふつうに本を読むということは、ある程度経験を積んでいないとできないことではないか? ということだ。

 ふだん本を読まない人間が、一冊の小説を読むというのは、三角形の面積の求め方を知らない人間が台形の面積を求めるのと同じくらいに無謀なことなのだ。

 実際、私は中学生のとき(つまり読書体験がゼロの時代)、貴志祐介悪の教典』を読もうと購入したのだが、一ページ目で断念した。(大学三年生のときだったか、一気呵成に読んだ。『悪の教典』は内容こそ残虐なものだが、パニックホラー映画的で、おもしろかった。)

 また、高校生のときに角田光代『私のなかの彼女』を読もうとしたのだが、途中で断念したし、乙一『暗いところで待ち合わせ』という超読みやすい小説すらも途中で断念した。

 まったく読書経験がなかったからだ。

 そういった意味で、ライト文芸を読み漁っていた経験は必要であったといえる。

 

 読書経験の正しい積み方は、幼少期に絵本を読んで、小学生のときに児童文学(『モモ』『星の王子様』『エルマーのぼうけん』など)を読んで、中学生のときに読みやすい小説(『カラフル』『西の魔女が死んだ』『夜のピクニック』など)を読んで、高校生のときに文学作品(夏目漱石中島敦太宰治など)に触れたり、新書を読んだりし始める。そして、大学生になって小説から少し離れて、専門書を読むようになる。こういう流れがいちばんいいのではないか? 小説すらもまったく読まずに生きてきた人間がいきなり専門書とかなかなか読めるものではないと思う。

 まあ、例外はいくつでもあるんだろうし、あくまで私の主観であるが。

 

 ……とにかく、今回のテーマは『読解力』である。

 

 犬塚美輪『14歳からの読解力教室』という本を、24歳の私が読みました。

 私自身、読解力がある人間ではないため、恥をかなぐり捨てて、この本を真剣に読みました。

 

 

 

 

1.読解力は必要か?

 

 たまにこんなひとがいる。

「動画を見れば済む話だから本を読む必要はない(=つまり、読解力は必要ない)」

 たとえば、数学の問題でわからないことがあれば、YouTubeでその解説をしてくれる動画を見る。

 しかし、じゃあほかの問題をやってみようと参考書を開いてやってみたが、……やはりできない。じゃあまた解説動画を見よう! となると、なかなかめんどうだ。そうなると、参考書の解説を「読む」しかない。

 資格をとるにしても、料理をするにしても、使い慣れない機器を利用するときも、本なり、説明書なりを「読むこと」が求められる。ここに文系、理系の壁は存在しない。人間ひとしく「読むこと」が求められる。つまり、読解力が求められるのだ。

 また、ずいぶん前に『AI vs 教科書の読めない子どもたち』についてまとめたことがあるが、そこではAIはあくまで計算処理に長けているのであって、読解力を備えているわけではない、といった旨を書いた。

 軽く説明を加えると、こうだ。

 

A キリンがリンゴを食べた

B キリンがリンゴに食べられた

 

 人間はBが常識的にありえないということを理解しているが、AIは「キリンはこういうものだ」「リンゴはこういうものだ」という常識を知らないため、AもBも文法的には正しいので、「どちらも正しいよ」という判断をしてしまう。

 だから、AIが読解力を身につけない限り、人間が読解力を必要としない時代は訪れることはないのだ。

 

 だから、「読解力は必要か?」と言われたら、即座に「必要である」と言える。

 

2.なんで読めないのか?

 

 現在のベルギー・ルクセンブルクに当たる南ネーデルラントは当時スペイン領であったが、1665年にスペイン王フェリペ4世の死後、ルイ14世は王妃マリー・テレーズがフェリペ4世の王女だったことから継承権を主張し、1667年5月に南ネーデルラントに侵攻した。主張の根拠は、1659年にフランスとスペインの講和条約であるピレネー条約締結でマリー・テレーズとルイ14世の結婚とスペインの持参金支払いを取り決め、マリー・テレーズがスペイン王位継承権を放棄したが、持参金が支払われていないため(というより、もともとスペインの経済力では払えないような金額を吹っかけておきながら、実際の支払は督促せずにこういう機会まで引き延ばしていた)、ルイ14世はマリー・テレーズの放棄は無効と宣言、ネーデルラントの法律でフェリペ4世と先妻の子であるマリー・テレーズが後妻の子カルロス2世より継承順位が高いとする条文を見つけ相続を主張、スペインが取り合わなかったため戦争に踏み切った。

 

 これはネーデルラント継承戦争についてのWikipediaの記事である。

 世界史の知識がまったくない自分にとって、以上の記事はもはや意味不明である。

 読もうという気力すらわかない。

 

 フェリペ4世?

 ルイ14世

 マリー・テレーズ?

 

 私は、歴史小説をいっさい読まないのだが、その理由は私が歴史にあまり詳しくないからである。

 

 つまり、何が言いたいのか、というと。

 もともとの知識の枠組みがあるのとないとのでは、読解の難易度も変わってくるということだ。

 そういった意味でも、国語の評論文の試験で、自分のまったく知らない分野の話が書かれているのと、自分が興味のある、もしくは実際に研究している分野の話が書かれているのとでは、文章を読むスピードや理解度も変わって来る。

 人間である以上、興味あるなしというのはあるので、全部のジャンルに対して興味を持て! というのは酷であろう。しかし、どのジャンルにも興味がないというのは、文章を読むことへの抵抗感を増長させるだけなので、何事にもまず「知ってみよう」という気持ちでその分野について学ぶ姿勢をもった方がいいのかもしれない。

 

 私はたとえば新書を読んでいるときにその分野についてまったく意味がわからないとなれば、動画などを用いて、その分野についての概略を解説しているものを見つけたりして、知識を蓄えようとしている。そうでもしないと、まったく読解できないからだ。

 

 ほかにも文学作品を読む際、どうしても内容が頭に入ってこないときは、漫画なり内容を解説しているブログを見たりしてから、本に戻ったりする。

 

 そういった経験から、本を読むにあたって、読み手側の知識というのは非常に重要になって来ることがわかった。こういった「要旨や背景知識に着目し、テキスト構造などの知識経験を活用して読解していくこと」をトップダウンという。

 

3.人の知識の形成

 

 079411851603

 

 この数列をどう覚えようか?

 ゼロ・ナナ・キュウ……と何度も口に出して覚えようとしても、まあ覚えられない。

(ひとは無意味な羅列を覚えるのが苦手なのだ。)

 だが、実はこの数列が「平安京遷都・鎌倉幕府開幕・江戸幕府開幕」の年号の並びの順になっていることに気付くとどうだろう?
 すぐに覚えられそうだ。

 

 意味がある情報はすごく憶えやすいものなのだ。

 つまり、こういった方法でひとは記憶力の向上がはかることができる。

 

 また、こういった覚え方もある。

「つれづれなり」という単語の意味は「①手持ちぶさたである。することがなくて退屈である。 ②しんみりとしてさびしい。」である。

 これをただ覚えようとするのは大変だ。

 そんなときは「つながり」をもたせることで記憶しやすくなる。

「つれづれなり」はもともと「連れ連れなり」と書かれていて、ここから「長々と連続するさま」であることがわかり、「長々と連続するから、なんだかつまらなくて飽きる感じ」が連想でき、「退屈である」とか「さびしい」とかいう意味が理解できるようになる。

 ちなみにゴロゴにはこうあった。

※ゴロゴは語呂合わせで古文単語を覚えようとするのがウリの本。

〈つれーづれー、手持ち無沙汰だ〉

 ……うん?
 まあ、セレクトした単語がよくなかった。

 実際、ゴロゴの中でもこれは面白かった。

 

 えんなりかずき優美だ

 

 平安貴族みたいな恰好をしたえなりかずきのイラストが書かれている。

 

 えんなり=優美だ

 

 語呂合わせなんか、ばかばかしいからこそ、覚えやすい。

 実際、化学のイオン化傾向の〈貸そうかな、まああてにするなひどすぎる借金〉、元素の〈すいへーりーべーぼくのふね ななまがりシップスクラークカ〉の語呂合わせはまだ覚えている。

 語呂合わせという覚え方は場合によっては悪くない。

 しかし、古文単語(英単語も)は語呂合わせよりも、語源だったり、漢字だったりで覚えた方が、覚えやすいし、つながりをもたせやすい。

 さっきの「えんなり」も漢字で書くと「艶なり」であり、「艶美」の「艶」であることから「優美だ」とか「色っぽい」とかいう意味を理解することができる。

 

 ほかにも、単語をあらわす状況をイメージしたり、イラスト化することや、単語を使ってストーリーをつくったり(物語化は記憶定着に非常に有効)、いろんな方法がある。

 とにかく、つながりを作ってやることが記憶を定着させるのに非常に有効的であることは確かなのだ。

 

4.物語化の功罪

 

はたらく細胞』という漫画が学校の図書室に置かれている。

 これは『はたらく細胞』が勉学に役立つ本であることを証明している。「赤血球」や「白血球」が擬人化して、体内に起こるあらゆることに対し、それぞれの役割を担って対処していくストーリーである。「赤血球」や「白血球」の役割がわかりやすく描かれている。教科書の記述ではなかなか理解できないが、視覚化(擬人化)され、物語化されたものを読めば、すらすらと頭の中に入ってくる。たしかにすばらしいことだ。

(勉強ではないが、競馬の名前を覚えろと言われても、競馬好きでもないひとが覚える気にはならなかったのが、『ウマ娘』というアプリが出たことによって、一部界隈のひとたちが競馬の名前をすらすら言えるようになったという話を聞く。擬人化というのは、記憶定着に大いに役立っているといえるだろう)

 このように勉強のために漫画を用いるというのは非常に有効的であると言える。

 しかし、漫画には弱点がある。それは、視点が偏ってしまうということである。

 例えば、「応仁の乱」について漫画を描くとする。実際、応仁の乱はあまりはっきりとしない理由で始まったらしいが、そんな漠然とした理由で戦争が始まっただなんて漫画として面白みがないので、日野富子をめっちゃ悪者にする、みたいなことがあるのだ。これが物語化によるデメリットだろう。

(よくYouTubeで漫画にアテレコをする動画を見かける。フェルミ研究所とかヒューマンバグ大学とかね。ああいうのは、だいたい視点の偏りや誇張があると思う。物語として面白みを持たせるために致し方ないことであるが)

 漫画以外でも映像を媒体とした物語でも同じように視点の偏りはある。視点の偏りのみならず、映像映えを考慮して、よりインパクトのあるものを用いたりすることだってある。例えば、時代劇でよくみられるかっこいい馬、実際のところ、あれほど立派な馬は当時は使われず、使われていたのはポニーのようなずんぐりとした小さな馬であったそうだ。しかし、史実を忠実に再現してしまうとなんとも見栄えが悪い。だから、あえてかっこいい馬を用いるのだ。

 以上のような、物語化によるデメリットもあるということは理解しておいた方がいいだろう。

 もちろん、前に述べたように、物語化することによって記憶を定着させやすいというメリットもある。『あさきゆめみし』という漫画を読むことで、源氏物語を理解しやすくなったり、『はたらく細胞』という漫画を読むことで、生物基礎の細胞についての分野を理解しやすくなったり……、これはまさにトップダウンの処理がしやすくなっていることである。

 物語化は知識の大枠を与えてくれるという大きなメリットがあるのである。

 

5.メタ認知

 

 メタ認知という言葉がある。

 メタ=一段上の

 認知=知的な活動

 つまり、自分の知的活動を一段上から把握する頭の働きを指す言葉である。

 人の知的な活動には、実際の課題解決にあたる「認知レベル」の活動と、その認知レベルの活動を監視・コントロールする「メタレベル」の活動があるとされている。メタ認知とはこの「メタレベル」での活動を指す言葉である。

メタ認知は「ふわぁと肉体から離脱した魂と化した自分が肉体の自分を見つめている」状態に近いと思う。つまり、一段階上のところで自分を俯瞰してみている。)

 このメタ認知を働かせるというのは、頭の中につながりをつくると同時にそのつながりが途切れていたりねじれていたりするところがないかを確認していくという作業のことである。つながりをつくるのが「認知レベル」で、途切れやねじれのチェックが「メタレベル」である。

 

 じゃあ、以下の文を読んでみよう。

 

 すべてのアリには共通する点がいくつかあります。まず、アリには鼻がありません。アリは驚くほどの力持ちです。体重の何倍もの重さのものを運ぶことができます。ときには、自分たちの巣から離れて遠くまでえさ探しに行きます。遠くに行きすぎると、帰る道がわからなくなってしまいます。家に帰る道を見つける特別な方法を使います。行く先々で、体から特有の化学物質を出すのです。これは、目には見えませんが、特有のにおいを持っています。このにおいをかぐことで、彼らは迷わず家に帰ることができます。

 

 この文章に違和感を持たなければ、メタ認知失敗だといえる。

 つながりが変だなあ、おかしいなあ、と思わなかっただろうか?

 

 ……こたえ。

 アリには鼻がないのに、どうやってにおいをかぐの?

 これに気づかなければ、「つながりのなさ」に気づかないということなので、メタ認知失敗であるといえる。

 

 ほんとうの意味で読解力を向上させたいなら、この「メタ認知」をしっかり働かせる必要があるだろう。

 メタ認知を鍛えるためには、友だちに説明したり質問してもらったりするといいそうだが、この詳細は本書に譲る。

 

6.批判的読解

 

 情報氾濫社会においてどの情報が正しいのか間違っているのかわからなくなっている。どの新聞のいっていることが正しくて、どの新聞がいっていることが間違っているのか、もはやわからなくなっている。

 わからなくなっている、と判断できている時点で実はすばらししいことなのだ。

 一番ダメなのは、どの新聞を読んだときも「なるほど、そういうことなのか!」となんでもかんでもうのみにしてしまうことである。

 それではいつかだまされてしまう。(いや、もうすでにだまされてしまっているか)

 ここで重要なのが「批判的読解」である。

 

 たとえば、こんなアンケートがあるとする。

 

Q あなたはタケノコの里よりもキノコの山の方が好きですか?
A はい(40%) いいえ(60%)

 

 この回答を見れば、なるほどタケノコの里派の方が多いんだな、と思うだろう。

 だが、実は「いいえ」が「タケノコの里の方が好きである…30%」と「どちらでもない…30%」という構成だったらどうだろう?

 キノコの山派の方が多いということになるのだ!

 だが、前述のアンケート結果に嘘偽りはない。

 

 このような「嘘偽り」こそないが、裏があるんじゃないかと疑りたくなる記事というのはごまんとある。

 とある芸能人を一方的に悪者にしたいがために、わざわざそのひとの過去の悪行をさらして自分の論調を強めようとする記事とか、若者が悪いという風潮にしたくて都合よく若者のダメな側面ばかりクローズアップしていい側面を書かない記事とか、嘘偽りこそないが偏りに満ちたものがたくさんある。

 そこで必要なのが「批判的読解」なのである。

 批判的読解をするうえでの注意事項が以下のとおりだ。

・言葉の使われ方に注意

(事実:ジャーナリストの事実誤認→記事:ジャーナリストが捏造した)

・論理の飛躍

(フランスの大学入試は長大な論文と口頭試問によって行われている。日本のような短答式の筆記試験がメインの入試というのは時代に合っていない。

 →なぜフランス式の方が時代に合っているといえるのか、その根拠がなく、論理が飛躍している。)

・ほかの情報と比べる

・テキストの外にある知識との矛盾を見つける

(1999年に出版された「水からの伝言」という本の中では、水の入ったボトルに「ありがとう」「ばかやろう」と書いた紙を貼り付ける実験が紹介されています。その結果、「ありがとう」ラベルのボトルの水からは美しい六角形の結晶を撮影することができましたが、「ばかやろう」ラベルが貼られた方のボトルの水からは美しい結晶を撮影することができませんでした。 

 →自分の持っている知識や常識から、水に言葉かけをして、美しい結晶が見られるなんてありえないんじゃないの? と判断できる。

 ※しかし、これが少し専門的な内容になると、「そうなんだ」と流されてしまいそうである。コロナウイルスやワクチンへの正しい理解とか専門家ではない我々からすると未知な領域であるため、たまたま見つけたあらゆる情報をうのみにしてしまう。)

 

 今の時代だからこそこの批判的読解は求められるのかもしれない。

 

7.まとめ

 

 ほかにも有益になることがいろいろと書かれていた。

 しかし、今回はここまでにする。

 最後にまとめておこう。

 

1.読解力は必要か?

・AI社会が到来するからといって読解力が不要なわけではない。そもそもAIに読解力は備わっていないのだから。

2.なんで読めないのか?

・もともとの知識の枠組みがあるのとないとのでは、読解の難易度も変わってくるということだ。その前提の知識の枠組みの獲得のためにも、何事にもまず「知ってみよう」という気持ちでいろんな分野について学ぶ姿勢をもった方がいいのかもしれない。

・「要旨や背景知識に着目し、テキスト構造などの知識経験を活用して読解していくこと」をトップダウンという。

3.人の知識の形成

・意味がある情報はすごく憶えやすい。

4.物語化の功罪

・勉強のために漫画を用いるというのは記憶力の向上に一役買っていて非常に有効的である。

・物語化は知識の大枠を与えてくれるという大きなメリットがある。

・物語化は視点の偏りを生じさせるというデメリットもある。

5.メタ認知

・自分の知的活動を一段上から把握する頭の働きを指す言葉=メタ認知

メタ認知を働かせるというのは、頭の中につながりをつくると同時にそのつながりが途切れていたりねじれていたりするところがないかを確認していくという作業のことである。つながりをつくるのが「認知レベル」で、途切れやねじれのチェックが「メタレベル」である。

6.批判的読解

 批判的読解をするうえでの注意事項

・言葉の使われ方に注意

・論理の飛躍

・ほかの情報と比べる

・テキストの外にある知識との矛盾を見つける

・今の時代だからこそこの批判的読解は求められる。