働くって何?
なぜ働くの?
この問いに対して、いろんな答え方ができるでしょう。
今回は、「なぜ働くのか?」という大きな問いをテーマに、つれづれなるままに記述していきたいと思います。主に、高校生・大学生に向けた話になると思います。
1.仕事って何?
そもそも、「仕事」とは何でしょう?
この問いについて、『なぜ僕らは働くのか』という本が簡潔に答えてくれています。
仕事は誰かの役に立つこと
私たちの生活はたくさんの人に支えられています。
たとえば、あなたがコンビニエンスストアで買い物をしたとき、そこで働いている店員さんを目にすることでしょう。
しかし、もっと視野を広げてみましょう。
コンビニに商品を届ける運送会社。商品を開発する会社。商品を生産する工場。その工場の部品を製造する工場。
そういったところで働く人たちがきちんといることで、私たちはコンビニで買い物をすることができるのです。
つまり、私たちの生活はたくさんの人たちに支えられていると言えます。
また、あなたが何かをしたいと思ったとします。
なんでもいいです。
例えば、映画が見たいとかでいいでしょう。
映画を見たいと思えば、電車に乗って、映画館に行く必要があります。
その過程の中でどれだけの「人の支え」があるでしょうか?
駅で働く駅員。電車の運転士、車掌。映画館で働くスタッフ。映画の制作会社で働く人たち。
そういった人たちがいなければ、「映画を見たい」と思っても、その願いは叶いません。
やはり、私たちの生活はたくさんの人たちに支えられているのです。
見方を変えれば、これは「私たちは助け合いの中で生きている」ということでもあります。
つまり、私たちは助け合いのネットワークの中で生きているのです。
こう考えると、「仕事」が誰かの役に立つことだというのは理解できるでしょう。
同時に「働く」という行為が「助け合いのネットワークの一員になる」ということだというのも理解できるでしょう。
※
内田樹『期間限定の思想 「おじさん」的思想2』では、こんなことが書かれています。
仕事の本質は他者を目ざす運動性にある。
仕事を通じて私たちがしようとしているのは「パスを出す」ことである。多彩で予測不能の攻撃の起点となるような絶妙の「パス」を「次のプレイヤー」の足との送り込むこと、それだけである。
少しややこしい言い方をしていますが、要は仕事は「自分のため」ではなく「他者のため」にするのだということです。
内田さんは仕事を「自己実現のため」だととらえている若者を「思慮がない」とこきおろしているくらいです。同氏の著書『困難な成熟』においても、以下のようなことを言っていました。
今の若者は「やるべきこと」「やりたいこと」に関心を持つけれど、自分が「やれること」にはあまり関心を持ちたがらないようです。しかし、これからの世の中で生き残るために必要なことは、「自分は何をやれるのか」を知ることではないでしょうか。
「自分がやれること」とは何でしょうか?
それは「何かを欠如させて困っている人に出会ったら、ためらわずにその懇請に応え」るということです。
この行為を内田氏は「民話の主人公のような生き方」だと述べています。(王女が拉致されると、王女を取り戻そうと主人公が立ち上がる。こういったストーリーの型が民話ではよく見られることから。)
「あ、ちょっと、自分がやりたいことがあるので……」といって退場する主人公なんていないでしょう?
そういったところから「自分がやりたいこと」にとらわれて生きてはいけないというのが理解できるでしょう。
内田氏の「仕事」に対する考えをまとめると以下のようになるでしょう。
・仕事をするとは、他者を目ざしてパスを出すこと。
・自分がやりたいことを優先するのではなく、助力に応じるといった民話の主人公的な生き方をすべきだ。
難しい言い回しだが、結局は「働く」という行為が「助け合いの精神」の上で成り立ち、他者との関わり合いの中でしか存在しない、ということを意味しています。
※
内田樹氏の著書からの引用は、あくまで「働く」という行為が「助け合いのネットワークの一員になる」ということだということへの理解促進のためにしたのだが、かえって「働く」ことに対しての嫌悪感を増長させてしまったのではないかと危惧しています。
「自己実現」とか「自分探し」とか言っていないで困っているひとを助けるという「自分がやれる」ことに焦点を置きなさい!
そういった説教のように聞こえてしまったのではないでしょうか。
ですが、実際、仕事とは「誰かの役に立つ」ことです。
仕事がそういうものである以上、あなたが仕事をするというのは「誰かの役に立つ」ことをしている状態になります。
誰かの役に立っていないよりかは、誰かの役に立っていると思えた方が、人生は豊かになるのではないでしょうか?
誰かの役に立っている以上、「自己実現」「自分探し」はほんとうに心に余裕があるとき考えればいいと思えないではないでしょうか?
2.自分の適性を知るために
自分の強み・弱みをどうやって知ることができますか?
藤原博之『キャリアデザイン入門』にはこう書いてありました。
「働いたこともないのに、強み・弱みがわかるはずがない。自分に何が向いているのかがわからないというのが普通だ。20歳過ぎの若者が自分の強み・弱みを理路整然と語る姿を見ると、違和感を覚える。」
では、どうしたらいいのでしょうか?
藤原氏はこう答えています。
「わからないから動くんだ。わからないといって立ち止まっていては、何も見えてこない。すでに働いている先輩の話を聴いたり、会社紹介のイベントに出席したりして、情報を集まる。すると、だんだんと自分がやりたいと思う仕事が見えてくる。」
「自分に向いていないと思っていた仕事が、じつは自分に向いていたということは、しばしば起こる。こんな先輩がいた。その先輩は、自分は話すのが得意ではないので営業向きではないと思っていたが、会社の人事異動で営業部に配属になった。仕方なしに営業という仕事に取り組んだところ、その面白さが見えてきた。営業とは、ものを売る仕事ではなく、お客さんの問題解決をお手伝いする仕事だということに気づいたからだ。お客さんの声をしっかり聴いて問題点を明確にし、その解決のために自社製品の利用方法をご紹介したら、とても喜ばれた。」
つまり、何ごともやってみなければわからないということです。
自分が今まで好きではなかった、興味がなかったものだったのに、急にそれが好きになるといった経験はないでしょうか?
私はあります。
それは小説です。
高校生までずっと本が大嫌いでした。文章を読むことが大嫌いでした。
しかし、大学二年生のとき、とある講義で小説を読まなければいけない課題があり、苦心して読み続けた結果、小説を読むことへの抵抗感が薄れていったのです。
抵抗感が薄れたばかりではなく、小説が好きになっていたのです。
もしかすると、嫌いだと思っていたことをやり続けると好きになるということが起こるかもしれません。
私にはほかにもそのような経験があります。
私は教育実習で生徒たちとまったく関係をつくることができませんでした。
もともと、勉強が好きだから教師になろうと考えたのであって、生徒との関係作りに関しては正直苦手だとか嫌だと思っていました。
しかし、一年以上、高校で教員として勤務しているなかで、生徒との関係をつくることを「楽しい」と思えるようになり、生徒のために何かやってやりたいと思えるようになりました。
引用した藤原氏の話のなかでも営業が苦手だと思っていたひとが登場していますが、そのひとは何度も仕事に取り組むうちに、その楽しさを見出しましたが、これは嘘ではなく、ほんとうにある話なのだと私自身、経験的に理解できます。
よく入社したばかりの新卒社員がすぐに辞めるといったことが起こっていると話に聞きます。その理由が「ブラックだから」というならば、今すぐやめるべきだとは思うのですが、「自分に合わないから」という理由もけっこうあるそうです。
今でこそ、教員をやりたいという思いがある私ですが、去年の冬くらいまではわりと「転職したい」と思っていました。
その理由は、「自分には合わない」「別の道があるのではないか」と思っていたことです。
授業がうまくいかず、生徒との接し方をどうすればいいかわからないと悩んでいた時期で、「大学職員?」「大学の教授?」「フリーランス?」「予備校講師?」と身の丈に合わない夢想ばかりしていました。まったく恥ずべきことだと思います。
「石の上にも三年」ということわざがります。
このことわざをよく私の勤務しているベテランの先生も使います。
就職して、とりあえず3年間その仕事に取り組んでみることで、自分にその仕事があっていないかどうかわかる、というものです。
一年も満たないうちに「自分に合わないから」と思ってしまうのは、おかしなことなのです。一年ぐらいでは自分がその仕事に合っているかどうかなんてわかりません。そんなふうに考えているようでは、転職先の仕事をしていても同じことを言い出すことでしょう。
そもそも面白い仕事などありません。
しかし、仕事を面白くすることはできます。
たとえば、営業職。
なかなか契約をとることができない日々は楽しくなく、面白いと思うことはないでしょう。しかし、初めて契約をとることができると「うれしい」と思います。そして、もっと契約をとるためにコミュニケーション術などを勉強したり、話し方に気を付けたりすることで、営業スキルを上げ、そして成果をどんどん上げていくことで、ますます「うれしい」と思いますし、「やりがい」を感じます。
そういった「うれしい」「やりがい」を得られないまま、「自分には向いていない」と早々と見切りをつけ、仕事をやめてしまうのはもったいないことだというのは理解できることでしょう。
仕事の面白さは、働いてすぐにはわからないことが多いのです。
働き始めがうまくいかないのは当たり前です。
しかし、仕事がうまくいったこともない段階で、仕事の一部しか知らない段階で、退職してしまうのはやはりもったいないことでしょう。
とはいえ、適当に仕事を選ぶのもいけないことです。
ある程度、自分に合った仕事とか、興味のある仕事とかをセレクトします。
では、次は仕事の見つけ方について書いていきましょう。
3.仕事の見つけ方
「好き」や「得意」、「やりたいこと」をベースに仕事を探すといったことが一般的でしょう。『なぜ僕らは働くのか』を参照にそれらについて考えてみたいと思います。
①「好き」なことから仕事を見つける
からだを動かすのが好き。
本を読むのが好き。
数学が好き。
いろんな「好き」があると思います。
そんな「好き」を入り口にして思い浮かんできた仕事について、本を読んだり、大人に聞いてみたり、インターネットで検索したりして、深く調べてみるといいでしょう。
この「深く調べる」というのは大事な作業です。
たとえば、「サッカーが好き」というひとが自分のやりたい仕事を考えるとまず真っ先に「サッカー選手」と言うでしょう。しかし、「サッカーが好き」なら「スポーツトレーナー」でも「スポーツ記者」でも「サッカーの用具開発者」でも「クラブチームの広報」でもいいわけなのです。
しかし、真っ先に「サッカー選手」を思い浮かべてしまうのは「好き」の気もちを活かせる仕事がもっとたくさんあるということを知らないということです。それはつまり自分の世界が狭いということなのです。
私が就職を考える際に「教師」以外の夢がなかったのは、私の世界がとにかく狭かったからです。「教師」という仕事は誰にとっても身近な存在です。小学校、中学校、高校と進学すれば、必ず接する存在です。
実際、ベネッセが調査した「中学生のなりたい職業ランキング」では、男子は「学校の先生」が一位にランクイン、女子は「保育士・幼稚園の先生」が一位、「学校の先生」が三位にランクインしている。
ほかにもランキングでは「医者」「警察官」「建築家」「薬剤師」などの身近な職業ばかりが見られます。
(高校生も「看護師」「保育士」「薬剤師」「高校教諭」などが上位にランクインしています。また、「システムエンジニア」「プログラマー」などの中学生では見られなかった職業も上位にランクインしています。これは高校生にもなると、職業に関する見識が広がっているという証左であると思います。)
近年、「YouTuber」になりたいって子が増えているのは、YouTubeが彼らにとって非常に身近な存在だからと言えることでしょう。
自分の狭い世界を広げるためにも、しっかりと情報を集めることが必要だと思います。
しかし、今の世の中、逆に情報が多すぎて集めにくいでしょう。
じゃあどうすればいいのでしょうか?
「好き」をベースにした情報収集をすればいいのです。
好きの周りにある仕事を、いろいろと調べてみると、「この仕事、面白そう」と思うものが見つかることもあります。
今の時代、スマホ一つでいろんなことを調べられるのですから、インターネットで検索したり、いろいろな動画を見たりして、いっぱい情報を集めましょう。ほかにも外を出歩いて、働く人たちを見たり、図書館で本を読んだりして、とにかく情報を集めましょう。
そういった情報収集は、そのひとの世界を広げてくれると思います。
今まで「好きを仕事に」と語っておきながら言うのは恐縮なのですが、逆に「好き」なことに縛られすぎるのもよくないことです。たとえば、「野球が好き」だからといって、仕事を「野球関連」に絞ろうとしなくていいのです。「野球が好き」なら趣味で野球観戦、草野球を楽しめばいいのです。趣味は趣味、仕事は仕事。絶対に「好き」を仕事にしないといけないというルールはありません。
②「得意」なことから仕事を見つける
仕事とは「誰かの役に立つこと」ですので、仕事の本質は「自分が得意なことを活かして人の役に立つ、自分の性格的に向いていることを活かして社会に貢献する」ということなのです。たとえば、英語が得意ならば「ツアーコンダクター」「通訳」「ホテルマン」などの選択肢がありますが、どれも英語が得意という長所を存分に発揮できる仕事です。
「得意」なことを考えると、どうしても「自分には得意なことがない」と思ってしまうひとがいます。
そこで以下の漫画を紹介したいと思います。
特技を言えない女子大生の話(1/6) pic.twitter.com/EQTr7xuiQr
— 奥灘幾多 (@hitotoseshiki) December 26, 2020
「私がやっていること全てにおいて周りに上位互換がいるからさ 特技とは言いにくいんだよね 趣味ですとなら言えるんだけど」
いわゆる主人公は「完璧」を求めてしまっているのと「自己肯定感」がきわめて低いということがうかがえます。その性格は自分だけでなく周りをも嫌な思いにさせてしまうということなのです。
「特技」というのはそんなに重く考えることじゃないのかもしれません。
それと同じように「自分の得意なこと」なんて何でもいのかもしれません。
私はテニスを小学生のころからずっとやってきましたが、私よりも何千倍もうまいひとたちがゴロゴロいるのを知っていますので、今まで「テニスが得意」とは言ったことがありませんでした。しかし、(少しスケールが壮大ですが)全人類の中で、テニス人口を考えると、私は「テニスがうまい」部類に入ることでしょう。
テニスが得意、ルービックキューブが得意、文章を書くのが得意……
なんでも「一番」を求めようとしてしまうと、一生「得意」は見つからないのです。
もっと気軽に「得意」を見つけましょう。
なんでもいいです。
勉強が得意、モノをつくるのが得意、作文が得意、みんなを笑わせるのが得意。
なら、その「得意」を活かせるような仕事を探してみましょう。
どうしても、自分では「得意」を見つけられそうでないなら、誰かに見つけてもらいましょう。
近所の人に「いつも弟のことを気遣っていて、面倒見がいいね」と言われたら、自分は「気遣いが得意」とわかりますし、先生から「作文よかったぞ」と言われたら、自分は「文章を書くのが得意」とわかります。
このように多くのひととのかかわりの中で、自分の長所を見つけてもらいましょう。
誰かからそう評価されることで、もしかすると「自分にも得意があるんだ!」と自己肯定感が上がるきっかけになるかもしれません。
ほかにも、有名な方法として「リフレーミング」というものがあります。
短所を長所に言い換えるという方法です。
例えば、「諦めが悪い」ならば「忍耐力がある」と言い換えられますし、「とても神経質」ならば「よく気がつく」と言い換えられます。
自己肯定感の低めなひとは自分の悪いところばかり見つけてしまいますが、それは見方を変えれば「自分の悪いところを自分のいいところに言い換えるチャンス」をいくつも持っているということです。
③やりたい仕事の見つけ方
やりたいことを見つけるためには、とにかく情報を集めるのです。
これに尽きます。
外に出て、いろんな職業の人を観察するのもいいですし、仕事が関連する漫画や小説を読むのもいいでしょう。
ちなみに仕事が関連する小説を少し紹介しますと、
池井戸潤『鉄の骨』→ゼネコン
木宮条太郎『水族館ガール』→水族館
瀬尾まいこ『図書館の神様』→高校教師
自分が「何か気になるな」とか「なんかこれ面白いぞ」と思ったことの裏側に、どんな仕事があるか調べてみましょう。
誰かが「これは面白い」「これは面白くない」と判断したものをそのまま鵜吞みにしてはいけません。「面白いと思うこと」「興味を持つこと」は人それぞれ違いますからね。
④好きなことは仕事にできない?
とはいえ、「好き」と「やりたい」だけではやっていけないのが、事実です。
どんな仕事であれ、「好き」や「やりたい」をすぐに実現できると思わない方がいいでしょう。長い目で自分を見て、まずは目の前にある仕事を一生懸命するのがよいでしょう。
前にも書きましたが、仕事を面白くすることはできます。
仕事を面白くすれば、その仕事を「好き」にすることができます。
『なぜ僕らは働くのか』に書いてあった話をご紹介します。
オシャレが好きでファッション業界に興味があったGさんですが、仕事は小学生向けの参考書の編集職についていました。新しい参考書の企画を考えているときに、「自分が小学生だったらオシャレな参考書が欲しい」と思ったGさん。ファッションブランドとコラボレーションした参考書を企画し、大ヒットしました。
このように、自分の仕事に「好き」を混ぜ込んで成功する事例もあります。
また、趣味でブログを発信し続けていたら高収入のブロガーになったり、趣味で城廻りをしていたら城の評論家になったり、可能性としてはかなり低いが、今の時代、まったくありえないわけではないでしょう。
そう考えますと、大人になっても「好きなこと」を突き詰めた方が、人生が豊かになると言えることでしょう。
4.幸せに働くって?
姜尚中『悩む力』にて、こんな例示がありました。
かなりの資産家の息子さんがいて、突然父親が亡くなったため、一生食べていくのに困らない遺産が入りました。おかげで、その方は四十歳近くまで、仕事ではない学問の研究をして暮らしてきました。
果たして、この資産家の息子さんが幸せに暮らせたかというと、実はそうではないのです。息子さんはずっとコンプレックスの塊だったそうです。
どんなコンプレックスかと言いますと、それは「自分は一人前ではない」という意識だそうです。
要するに、「働かない」と、他者から承認されること、ねぎらわれることがないため、そのことを負い目に感じてしまうのだということです。
「働く」という行為はコンプレックスを抱えないため、というのはやや消極的な理由すぎるため、もう少し好意的な見方をすると、「働く」という行為は誰かから感謝されるため、とでも言っておこう。誰かから感謝されるというのは、誰かの役に立っているという証拠です。誰かから感謝されるとうれしいし、誰かの役に立っていると感じることは幸せだと思います。
こんな例があります。
建築現場でレンガ積みの仕事をしている3人組がいます。
彼らに「何をしているのですか?」と尋ねると、ひとりは「レンガを積んでいる」とこたえ、ひとりは「レンガを積んでお金を稼いでいる」とこたえ、ひとりは「レンガを積んで多くの人が喜んでくれる教会を造っている」とこたえたそうです。
誰がいいとか悪いとかではないですが、やはり最後のひとが一番仕事に対するモチベーションもあり、幸せな気持ちをもって働いていることでしょう。
自分の仕事が誰かの笑顔をつくることができる、と想像しながら働ける、それは理想なのかもしれませんが、やはりそうでありたいですよね。
さて、仕事上つらいことはたくさんあります。
つらい、と感じてしまうのは、もしかすると、そのひとの行動に問題があるのかもしれません。
例えば、以下のような行動が仕事でうまくいかない例です。
・やる気が出ない
・人任せにする
・考えず場当たり的に行動する
・自分さえよければいい
・くよくよ悩み続ける
・横柄で成功すると調子に乗る
・完璧な人間であろうとする
当たり前ですね。
以上の欠点はこう変えていきましょう。
・やる気が出ない → 仕事熱心で向上心をもつ
・人任せにする → 責任感をもって仕事をする
・考えず場当たり的に行動する → よく考えて行動する
・自分さえよければいい → 人への思いやりをもつ
・くよくよ悩み続ける → うまくいかなくても引きずらない
・横柄で成功すると調子に乗る → 謙虚で感謝を忘れない
・完璧な人間であろうとする → できないことは仲間に頼る
私は「くよくよ悩み続ける」人間で「完璧な人間であろう」としていました。
しかし、働く中でこのふたつは仕事上の足かせになることに気づき、今では「悩んでも仕方ないことは悩まない」「完璧な人間はいないんだから、誰かにどんどん頼ってしまおう」と思えるようになりました。
5.なぜ勉強をするのか
急に「勉強」についての話をします。
無関係な話を始めるのではないです。
勉強と職業は深く結びついていると思うのです。
私は先日、生徒の職業見学の引率に行ってきました。
その見学先の方がこのようなことをおっしゃりました。
勉強はしておいた方がいいですよ。
国語とか数学とか英語とか、そういった専門的な知識を身につけることが大切だというより、勉強をするという習慣を持つこと、勉強をして知識を増やすことの喜びを知ることが大事なのです。
社会に出ると、いろんなことを勉強しないといけない。
資格をとるために勉強は必要だし、仕事上でスキルアップするためにも勉強は必要。
だから、学生のうちで勉強する姿勢を身につけたり、知識を増やすことの楽しさを見出してほしい。
答え合わせをするわけではないのですが、『なぜ僕らは働くのか』においても「勉強する理由」が書かれているので、紹介しましょう。
学校で勉強するのは、「社会に出るための基礎体力を身につけさせるため」「将来の選択肢を広げるため」「学校の勉強にしっかり取り組み、いい成績をとって、自信を得るため」などが書かれていました。
私はいちばん最後がなるほどと思いました。
例外もいますが、勉強ができるひとはわりとみんな自信家な気がします。勉強ができるようになりますと、スポーツの方にもいい感じで打ち込めるようになるとも聞きます(実際、勉強ができる学校ほど、部活が盛んだったりします(公立高校限定))
では、勉強ができない子はどう救済すればいいのでしょうか?
その解答は「学歴がすべてではないから大丈夫だよ」というものです。
勉強ができなくても、自分がやりたいことが明白であれば、これからどういうルートで人生を歩めばいいかはっきりしていますし、その夢に向かって走るために努力はいとわないことでしょう。しかし、勉強ができても、将来することもないというひとは、とりあえず難関大学の経済学部なり法学部なりに入学しましたが、何の面白さも発見できず、将来やりたいことも見つけられずに大人になってしまう、というのは大変つらいものです。
(勉強ができることは結構で、自信家であることも結構なことです。ですが、『山月記』の李徴状態になってはいけません。自分は天賦の才を備えた、天地開闢以来の神童であると自惚れ、傲岸不遜を極め、尊大な態度で他者を籠絡するようになってしまえば、何かその人の自尊心を傷つける失敗経験ひとつすれば、その人のメンタルが砂上の城の如く簡単に崩れ落ちてしまいます。ですが、そういうひとはプライドが高いので、そうとは悟られまいと必死に「スゴイ私」という虚構を貼り付けようとしますから、もう救いようがありません。ですので、勉強は大事ですが、それがすべてではないということも重々承知しておくべきでしょう。)
この勉強に関する話題は過去に何度かとりあげました。
6.最後に
『なぜ僕らは働くのか』を主軸に、「働く」ことについて考えましたが、私自身、「働く」ということがどういうものかまだわかっていません。
自分の仕事が向いているかどうかもわかりませんし、これからもこの職業を続けていくのかどうかもわかりません。
そんな右か左かもわかっていない自分が「働く」ことについて書いてしまったことに恥ずかしさを感じます。
ですが、私は職業柄、「働くこと」を伝えなければなりません。
そのものずばり「キャリア教育」です。
私は今まで書いてきたことをそっくりそのまま生徒たちに伝えていきたいと考えています。