鈴木裕介『メンタル・クエスト』

 人生ハードモード。

 親ガチャ。

 人生周回遅れ。

 

 などなど、よく人生は「ゲーム」にたとえられます。

 

 たとえられるどころか、「ゲーム」を心のよりどころにして、現実世界から目をそらそうとしているひとも多くいます(それがいいか悪いかは今の時点では述べません)

 

 今回紹介する『メンタル・クエスト』は、「人生」を「RPG」にたとえ、自分を脅かす存在を「敵」にたとえたり、うまく生きる方法を「攻略」といったり、そのために必要な事柄を「キーアイテム」と呼んだり、もうゲーム要素がてんこもりです。

 

 私はゲームに通じていない人間なので(ドラゴンクエストファイナルファンタジーなどの有名作品は一度も遊んだことがない)、本書のよさを十全に紹介できずに終わってしまうかもしれないが、まとめていこうかと思います。

 

 

1.ハードモードを抜け出す最重要アイテムは「三つの信頼」

①三つの信頼

「人生何とかなる」と思えるようになるためには、三つの信頼が必要です。

 それは…

A自分は大丈夫(自分への信頼)

B他人は信頼できる(他人への信頼)

C世界は安全で、怖くない(世界への信頼)

 

 A、Bは理解できると思いますが、Cは理解しづらいだろうから説明します。

 世界への信頼がない状態とは、いわゆる見通しがつかない状態のことです。

 ゲームに例えると「バイオハザードの街」のようなディストピア観。

 というか、今のコロナ禍もいつウイルスが収束するかもわからない状態なので、今はかなり世界への信頼がない状態であるといえそうですね。

 

 次の例を考えてみましょう。

「地元で迷子するのと、ブラジルの密林で迷子するの、どっちが不安?」

「インフルエンザに罹患するのと、未知なるウイルスに罹患するの、どっちが不安?」

 当然、どちらも後者の方が「不安」です。

 ある程度の予期があるからこそ、日々をつつがなく生きているです。

 しかし、今のコロナ禍もそうだが、見通しのつかない状態というのは、人の心に不安をもたらします。今でこそコロナに関する情報が広がっていますが、コロナが出始めたときは未知なるウイルスとして非常に怖がられていました。(今や、もうコロナなんて恐ろしくないかのように人出が多い)

 

②予測誤差の原因

 ずっとこの人といられるだろうという予測や、ずっとこの人と一緒にいたいという期待。しかし、それらは裏切られるときもあります。

 筆者はこのような予期を裏切る出来事を「予測誤差」と呼んでいます。

 私たちが生きていくことは予測誤差の経験の連続でもあります。たしかに予測誤差は快楽になることもありますが、予測誤差は痛みもともなうものです。だからなるべく小さい方がいい。予測誤差によって私たちはショックを受け、悲しみ、落胆し、そして驚く。それだけではありません。一定以上の予測誤差を経験すると自分の予期自体が信じられなくなります。

 

 この「自分の予期が信じられない」状態こそが、まさに「生きづらい」状態です。

 こんな危険な世界を生き抜く自信がないと感じたり、こんな裏切りばかりの世界は生きるに値しないと葛藤を抱える。これが「世界への信頼」がない状態。

 

 世界への信頼がないと、すぐ近くにいる他人も怖く感じることでしょう。

 しかし、だからといって対人関係を避けていたら、ますます他人との交流がなくなり、対人関係の中で必要な「スキル」を得られないことになります。そうなると、ますます他人が怖くなります。

「どこに行っても人とうまくいかなくてしんどい」

「こんな自分はダメなのではないか」

 という不全感を募らせてしまいます。

 

 自分の予測や感覚が信じられない危険な世界の中で、安全を確保して生き抜いていくためには、「他人のニーズ」を満たし続けるしかありません。

 こうして自分のニーズよりも他人のニーズを優先し、「他人の人生を生きる」図式がなりたつ。そんな人生、どうですか? 献身的に生きることを、喜びに感じるひともいるかもしれませんが、それではいったい誰のための人生なんだってことになってしまうことでしょう。

 

 ですが、そういうことが起きてしまうのは、「あなた(自分)のせい」ではなく、環境によるシステムエラーのせいなのです。

 環境によるシステムエラーのせいというのは、要は「世界」が悪いのです。

 世界、世界、世界のせいなのです。

 

 そうは言いましても、何の解決にもならないと思いますので、次は「では、どうしたらいいのか?」ということを考えてみましょう。

 

③予期の修正

 世界への信頼感を回復するには、「予期」を修正するしかありません。

 

 人間は「自分がこう動いたら、周りの反応はきっとこうなる」という予測がうまくいく体験を積み重ねることで「ここにいても大丈夫だ」という安心を得ていくものです。

「どうせこうなるだろう」という悲観的な予測を持って行動してみたものの、周囲の反応がその予測より「いいもの」であることもあります。予測がいいほうに外れると、「あれ? そういうこともあるのか」と書き換えられます。そうした経験をもって、「世の中とはこういうものなのか」というふうに予測がリニューアルされていくのです。

 過度に悲観的にも楽観的にもならず、現実の反応に基づいて自分の予期をアップデートし、精度を上げていくことで、予期誤差は減っていきます。

 

「話しかけた人が思ったより親切だった」「落とした財布が戻って来た」「努力が報われた」などの経験を積み重ねることによって、「世界は思ったよりも安全かもしれない」と感じることができれば、それが世界への信頼を取り戻すことにつながるのです。

 

 そのためにはやはりTwitterなんかやらない方がいいのです。

 Twitterでは「社会への愚痴」のツイートにあふれています。

「どこそこはブラック企業だ」とか「社会の仕組みは○○だ」とか「努力したが無駄だった」とか、そういったネガティブな情報が氾濫しています。

 けっこう前にマツコ・デラックスが言っていたことを紹介します。

 

インターネット内の書き込みについて――

「100人中2人の批判を気にする必要はない」

 

 だいたいそんな意味のことを言っていました。

 98人の普通に応援しているひとはわざわざ「頑張れよ」とは書き込まないものです。

 それと同じように、ホワイト企業に勤務するひとは自社がいかにホワイトなのかはわざわざネットで書き込むことはほぼないのです。心に余裕があるからでしょう。ですが、ブラック企業に勤めていると、自社がいかにブラックであるかめちゃくちゃ書き込みます。そうでもしないと精神を保てないからです。

 だから、ネットに溢れるのは基本的には悪い情報なのです。

 そういう情報を見ると、生きづらさを感じてしまうのです。

 

 食べログとかでもそうでしょう。

 店について何の不満も持つことがなかったら、わざわざレビューはつけないでしょうが、少しでも不快に思ったら、すぐに悪口レビューをつけることでしょう。その店を利用している客の割合として、何の不満も持たない方が多いというのに、レビューだけ見ると、不満に思ったひとの方が非常に多いという印象を受けてしまいます。

 

 ですので、SNSで嫌な情報はなるべく見ないようにしましょう。

 世界への信頼がどんどんなくなっていくに違いありません。

 あくまで自分が生きているのは自分の周りの世界で、SNS上の世界ではないのですから。

 

④信頼と安心

 信頼と安心には大きな違いがあります。

 

・信頼:相手がいい人であり、自分に好意を持っているから裏切らないだろうと、期待することを指します。つまり、相手の人間性や自分との関係性をポジティブにとらえ、相手を信じて関係性を結ぶのが「信頼」に基づいた人間関係だということになる。

 

・安心:自分を裏切ると、相手自身が損をするから裏切らないだろうと期待することを指す。

 

 以降、こちらの意味での安心を“安心”と示すことにします。

 

 集団主義的な社会のもとでは、対人関係における不確実性をなくそうとするために、相互監視や異端を制裁・排除するようなかたちで、お互いが“安心”できるようにしています。しかし、対人関係にはそもそも不確実性が伴います。その不確実性を排除しようとするのではなく、飲み込んだうえで関係を結ぼうとするのが「信頼」です。つまり、誰かを信頼するということは、“安心”に比べて裏切られるリスクが高い行為なのです。

 そういった信頼と“安心”の違いをよく理解することが人生を攻略するキーとなりそうです。

 

⑤自己効力感と自己肯定感

 自己効力感と自己肯定感という言葉があります。

 

・自己効力感:仕事で成果が出ているときや周囲の期待に応えられているうちは大丈夫だという感覚。“安心”の感覚に基づいた自信のことです。ですが、これは非常に揺るぎやすいもので、自分の状況や相手の状況、自分の能力の変化の影響を強く受けます。

 

・自己肯定感:たとえ成果を出していなかったり、周囲の期待に応えられていなくても自分は大丈夫だと思える感覚。信頼の感覚に基づいた自信のことです。

 

 獲得すべきは「自己肯定感」です。

 自己肯定感は「浮き輪」のようなものです。どんな絶望的なことがあっても、「自分は大丈夫」と思えていれば復活できるのですから。

 

⑥心の安全基地

 自分を肯定するためには、「この人だったら、否定的なことを言わなそう」と思える人を探して、気持ちを伝えてみたり、頼ってみるしかないです。

 自分を信頼するうえでも、よき友を得ることはとても大きな意味を持ちます。

 自分への自信が揺らぎそうなときに「自分を否定しない」という安心感を抱ける相手がいることは、命綱になる。これが「心の安全基地」です。

 安全基地をつくるために、リスクをとって自分のことを開示する勇気が必要となります。成熟した大人はそういった自己開示を聞いて、「自分を信頼してくれてこういうことを言ってくれたのはありがたいなあ」という気持ちを抱き、その信頼に応えたいと思うものです。(これを自己開示の返報性という ※返報性:相手から何かを与えられたときに、相手にお返しをしたいという心理)

 

2.自分というキャラクターの「タイプ」を知る

①自分のこと

A自分のことを深く知る

B自分がなぜ困難な状況に置かれているのか構造的に理解する

C自分を不幸に導く特定のパターンや思考のトラップの存在に気付く

Dパターンやトラップにハマらない、別のやり方を試してみる

 以上のようなステップで自分のことを知ることができればメタ認知スキルはなかなかなものだと言えることでしょう。

メタ認知…自分が「こんなことを知覚している」「こんなことを考えているぞ」という認知を、ちょっとひいた目で見て、客観的に判断する能力のこと。以前ブログで「メタ認知」について説明した)

 

 

zzzxxx1248.hatenablog.com

 

 

②三つのタイプ

 生きづらさの克服のために、まず自分という「キャラ」を知る必要があります。実は、ほとんどのひとが「自分のことを正確に理解していない」のです。

 さて、今から「生きづらさを感じている人が当てはまりやすい三つのタイプ」を紹介します。

 

1.うつになりやすい「真面目な英雄」タイプ(メランコリー親和型性格)

 ルールや秩序を守る/几帳面/責任感が非常に強い/完璧主義/他者を重んじる/親切・律儀・誠実/衝突や摩擦を避けるために自ら折れる 

 

 一見優等生に見えますが、実はこういうひとは「SOSを出すことができない」のです。

 

 秩序を重んじるあまりに変化に弱い/融通がききにくい/人に頼れない/うまく手を抜けない/他人の評価をきにしすぎる

 

 他人に本気でヘルプを求めたことが一度もないとか、心身の限界までやってしまうとか。

 

 対策方法は以下のとおりです。

㋐自分はストレス耐性が強いわけではないと自覚する

㋑相手が求める成果物のレベル感を確認しておく

㋒しょぼい頼み事でヘルプの練習をする(援助希求)

㋓他人の期待のみをエンジンとする運転をやめる(断る)

 

2.敏感すぎて生きづらい「魔法使い」タイプ(HSP)

  あらゆる刺激に敏感に反応してしまう/相手の感情に引きずられてしまう/ひらめきや直感が冴え、危険察知センサーが強い/ひとりの時間、自分のペースが大事

 HSPは、弱さや努力不足のあらわれではなく「生まれ育った気質」です。

 だからこそ、無理に気質を変えるのではなく、その気質への理解を高め、有効な対応策を知っておくほうが、はるかに難易度が低いといえるでしょう。

 生きづらさをうまく説明してくれるHSPという概念が浸透しているということは、自分の苦しみに輪郭が与えられるという意味で、「苦しんでいる人の心が楽になる」につながるのです。

 HSPも他者からの強い刺激を直接浴びるような環境では、自分自身がもっている能力を十分に発揮できない可能性があります。HSPは、他者の傷つきにすぐに気づいたり、周りが気づいたり、周りが気づいていない危機にいち早く気づき、その対処ができる点において優れています。

 誰も気づかないような小さな変化に気付いたり、感情を敏感に感じ取れることは、他者を助ける大きな力になることでしょう。

 とはいえ、他者の気持ちに敏感に気づくからこそ、気を遣いすぎてしまっては、疲弊してしまう。だからこそ自分のストレス耐性の低さを自覚することも大切です。

 

※自分から変化や刺激を求める好奇心旺盛なHSS型もいる。

(人好きだけど、人疲れしやすい)

 

 自分がどういう状況に置かれると(どういう刺激を受けると)、「つらい」と感じるかを正確に把握することがまず大事です。

 

(例)音や光、におい、カフェイン(感覚)→先天的

   ストレスや環境の変化、頭痛や胃痛などの症状があらわれる(体質)→先天的

   対人関係、気を遣いすぎる→後天的(環境的な要因)

 

3.「心の間合い」における「近接型・遠隔型」タイプ(愛着スタイル)

 周囲の人たちとどんなつながり方を望むか、どのくらいの親密さが自分にとって快適と感じるかを左右する傾向のことです。

 

・安定型

 他人と仲良くなり、頼ったり頼られたりする関係を築くことに抵抗がないタイプ

※常に安定的な愛情を供給されてきた

 

・不安型

 常に相手から見捨てられるのではないかという不安を持っていて、いつも周囲に気を遣い、相手の反応に敏感になりがちな対応(恋愛モードに入りやすい)

※養育者の愛情が安定せず、優しくされるときもあれば、冷たくされるときもあるといった不安定な環境で育てられる

 

・回避型

 ひととの積極的な交流を避け、べたべたせず距離を置いた対人関係を好む一匹狼タイプ

 他人のことを「脅威」と感じ、人間関係で起きる葛藤を避ける。

 ひととのつながりや温かさと無縁

※養育者がいない 情緒的なやりとりに乏しい環境の中で育てられる

 

 愛着スタイルは後天的なかかわりによって変化します。

「4年間で愛着スタイルが変化するひとの割合は25%いる」と本書にはありました。

 

 自分を一人の人間として尊重してくれる人がたったひとりでもいれば、その人との交流を経て、人間関係の作り方は大きく変わります。

 

小池一夫の名言「人を傷つけるのも人だけど、癒してくれるのも結局は人」)

 

 すべての人間に絶望しないことが重要ですね。

 信頼すべき人物像/信頼すべきでない人物像を頭の中に少しずつ組み立てていきましょう。

 

【コラム】

○やりたいことやくざから逃げろ

「夢は何?」といった「やりたいこと」を執拗に尋ねる「やりたいことやくざ」。
 大きな目標や夢を掲げるのがいいことだという価値観を一方的に振りかざしているにすぎないので、それよりも「自分にとって納得がいく、幸福度の高い人生を送ること」こそが重要である。

 

 漫画『月曜日の友だち』にこんな言葉があります。

 

「何も足を踏み出していない状態で、それが『やりたいかどうか』を判断するのは難しい。『やりたいこと』は常に『やったことがあること』の近くにある」

 

3.頭に巣くう「見えない敵」に気づく

①不幸の「型」

 本人が気づかない間に、不幸の「型」にはまっていることはしばしばあります。

 生まれ育った環境によって、行動や思考のクセは自然と身についてしまうものであり、それはその人自身の責任とはいいがたいものです。

 しかし、生育環境によって培った「不幸の型」をずっと持ち続けている必要もありません。根本原因である行動や思考のクセに自覚的になり、少しずつそのクセを直していけば、不幸の型に陥らない道を見つけることができるのです。

 

 ネガティブな感情を感じること自体は悪くないのです。

 戦うべきは エネルギーを奪い、不幸に導くような「行動・思考のクセ」です。

 自然と生まれてくる感情自体を押し込めようとすると、心に負担がかかり、いずれ歪みが生じてしまいます。

 「行動・思考のクセ」に自覚的になり、冷静に変えていくイメージを持ちましょう。

 

 どうするのかと言いますと、そこで「メタ認知」が登場するのです。

 自分が何かを感じて行動したときに、「自分は今、何を感じて、何を考えてこういう行動をとったのか」を自ら把握できる能力を持ちましょう。

「生きづらさ」という、よくわからない漠然としたしんどさの集合体を、対処可能な「課題」に変化させることができます。

 

②見えない敵 

 見えない敵というものがあります。これは厄介なことに負のパターンをつくる原因となり得ます。それを紹介したいと思います。

 

1.「べき思考」

 こうしなければならないという思考

 

 他者から押し付けられた「べき思考」に気づかないまま、苦しんでいる人はたくさんいます。

 

「部下が毎回会議にギリギリに来るのが腹立たしい」

 なぜ?

「集合時刻の5分前には集合するべきだ」「部下は上司より早く来て準備をするべきだ」→「べき思考」が隠されている

 

 人が怒る時というのは、自分が大切にしている「べき」が裏切られた時なのです。

 自分を幸せにしてくれる、人生に本当に必要な「べき」は片手に収まる程度しかありません。「べき」とは、しょせん他人の価値観がインストールされたものにすぎないのです。

 

 すべての「べき」は目玉焼きに何をかける「べき」かと同じ次元の話です。

 そう考えると、ちっぽけだと思うでしょう?

「べき」は強迫観念にとらわれやすいので、「~するのが趣味だ」と頭の中で変換してみるなどして、「べき」思考に陥らないようにしましょう。

 

2.反芻思考

 自分の欠点や不安、過去の失敗やつらい出来事を、何度も何度も繰り返し頭の中で考え続けてしまうこと

 

 なんとなく「建設的な振り返りをしている」ように思ってしまいますが、それ「勘違い」です。

 今後の自分に活かすために反省しているつもりが、気がつくと「自分のだめさ」だけに焦点が当たってしまっているのです。

 自己批判と自己否定は異なります。

 深い洞察をすることなくただ「自己否定のループ」にはまり込んでいるのです。まった

 

「なぜ自分は~なのだろう」系の問は、第三者とやったほうが、はるかに生産的です。ですので、内省の場に第三者を用意し、その思考のめぐりが妥当かどうかのツッコミを入れてもらうことで、初めて建設的な「自己批判」ができるものです。

 

 反芻は、過去と未来が大好物なのです。落ち込んだ「今」の気分を「過去」や「未来」と結びつけることでネガティブ回路をつくっているのです。

 ですが、必要なのは「今」の身体感覚を感じることです。その方法として、瞑想・ヨガ・深呼吸・有酸素運動などが効果的だと言われています。

 

3.自責思考

 自分のせいだ、と思うこと

 

 自分の責任はどこまでで、どこからは責任を負うべきではないかのライン(境界線)をしっかりと決めておきましょう。

 

(例)職場の仲のいい同僚のミス(自分は手伝っていない)

 →自分は手伝っていないのだから、彼の責任である。(他者の問題)

  しかし、今度、自分が手伝ってあげようと思う。(自分の問題)

 

 上記の場合、他者の問題と自分の問題をうまく線引きできていると言えそうですね。

 

4.完璧主義

  二分法的思考とも言い換えられます。

 例えば、「白と黒」「善と悪」というふうに二者択一的にとらえようとしたがる性質のことです。つまり、曖昧を嫌っているわけですね。

 この考え方を持っているひとは、自分の正しさを過大評価しやすく、攻撃性が高くなる傾向があります。自分の正義のおしつけ、相手の事情を察しできない、自分も肯定できない、どれだけがんばっても「よくできた」と思わない、と、とにかく七面倒!

 かといって完璧主義を脱するのは難しいことです。

 不幸中の幸いを積極的に見つけていく、つまり、悪い人にもいいところはあるんだよといった見方をしていくことが対策方法でしょう。許せないと思った相手に対して、相手の立場ではこう見えていたのかもしれないといった冷静的な見方ができたら、いいことでしょう。しかし、いきなりこう考えられるようになるのはまずないので、先に述べた「不幸中の幸い」を積極的に見つけていくことを続けていきましょう。

 

5.理想化

 相手の人間性を深く理解しないまま、こちら側の不足を埋めてくれる存在として、都合のいい理想像を相手に重ね合わせる行為のことです。

 だから、幻滅もするのです、「憧れ」と「幻滅」はセットです。表裏一体です。

 

「100%幻想」という言葉があります。「この世のどこかで、私のすべてを理解してくれる人がいるかもしれない」という考え方です。しかし、そんなひと世の中には存在しません。つまり、存在しない「100%の相手」を求めてしまうのはよくないのです。

 世の中には、きっちり完璧に理解してもらわないと気がすまないという人がいます。そういう人は、完璧に理解してもらえなくて、「そうじゃない!」とフラストレーションをためてしまう一方です。これはまるでピカソの抽象画を見せて、理解をさせようとするもの。かなり難易度の高いことを相手に期待してしまっているのです。

 相手への期待値は60%程度でいいのです。

 60%も理解してくれたら、もう御の字です。

 

6.見捨てられ不安

 親密な人間関係が断ち切られ、見捨てられてしまうのではないかという不安や孤立感のこと。

 

 見捨てられ不安を持つと、以下のような行動が見られます。

・狂気じみた努力➡自分がへとへとになるくらい人に尽くす

・試し行動➡あえて相手の嫌がる言動をとり、相手が離れないか確認する

・断れない、離れない➡不誠実な相手でも

・否定的にとらえる➡相手にも、自分にも

 

 見捨てられ不安から、恐怖により、激しく相手を非難したり暴言を吐いたりします。

 これは前に述べた100%理解してくれる人が存在するという幻想を持ってしまっているからです。相手が自分とは異なる人間である以上、信頼度が100%になることはありません。さっきも書いた通り60%も理解してくれたら御の字です。

 とはいえ、見捨てられ不安を持つ人は依存が強いため、60%理解してくれるようなひとを三人ほど持つことが求められるでしょう。

 

7.自己憐憫

  自分で自分をかわいそうと思う気持ち。「見捨てられ不安」「理想化」「完璧主義」の融合のこと(本書では「融合」ではなく「キメラ」と呼んでいる)。

 端的に言うと、「自己否定への酔い」です。

 もっとしっくり言い方をすれば、「悲劇のヒロイン気取り」(少々、言葉が悪い)。

 その心理の裏には、「希望を持った状態から絶望の淵に叩き落されるよりも、絶望的な気持ちのまま不幸な出来事があった方が、つらくない」という思いがあるのです。

 不幸への依存。

 しかし、皮肉にもこれがハードモードの人生を生き抜くための処世術になってしまっています。

自己憐憫」の人は周囲の人間を「強者と弱者」にカテゴライズします。

 自分が「弱い存在」であろうとするために、自分に対し「強者」を対置するのです。そうしないと、不幸への依存ができないからです。

 自分はダメだと思っている最中、誰かから助け舟を出してもらうと、そのひとをしばらくは頼ることになります。「自己憐憫」がめんどくさいのはここからで、その助け船がうまく機能しなかったら、助けた人を「悪者」にしてしまうのです。

 さらに、自己憐憫のひとは、自分の課題を放り捨てたとき、「自分は不幸である」ことを免罪符に、助けてくれなかったひとに対し、「あなたが悪い」といったふうに責めるのです。まさに究極の他責思考だといえることでしょう。

 弱者のふりして、弱者の正義をふりかざし、強い相手を操作する。

 まったくもってひどい話です。

 

 しかし、「自己憐憫」はいわゆる「酔い」みたいなものなのです。

「自分はだめな人間で、不幸な人間で、これからも不幸」という思考がずっと離れないでいる状態のことです。

 ならば、その認識を変えるしかありません。

「自分は変えられないと思っていたけど、もしかしたらこれは思い込みかもしれない」

 というふうに。

 また、「今、自分は本当に変わりたいと思っているか」を尋ねるのもいいでしょう。

「ここまで生き延びてこられた今、この先もずっとそうして不幸の物語を生きていきたいのかを、もう一度考えてみよう」

 というふうに。

「できるか、できないか」ではなく、「これから、あなたがそうしたいか」と。

 しかし、自分の中にある全部を刷新する必要はありません。

「変化すること」と「変わらなくてもいいから、受容すること」をしっかりバランスよくとっていくのです。

 

【コラム】

「ありえない!」って思うような深刻な事態が起こったり、なんとも理不尽なことを言ってくるひとがいたりすると、逆にこうつぶやいてみましょう。

 

「逆に、面白い」

 

 特に理不尽な言いがかりをしてくるひとは「こんな考えのひともいるんだ」と思うのがいちばんストレスがかからなくていいものです。

 また、雑談のネタが増えたとか、ブログに書くネタが増えたとか、創作のインスピレーションが湧いたとか、そんなふうに思えるならなおいいでしょう。

 

4.「自分のクエスト」を生きるための攻略ヒント

①得るべき仲間

 得るべき仲間は、二タイプあります。

 白魔導士黒魔導士

 ごめん、ゲーム用語よくわからないんで、現代語訳(?)します。

 

 白魔導士:「どんなときでもあなたの味方でいてくれる、安心を提供してくれる人」

 

 こういう人は直接利害関係のない人間関係の中から、健全な依存先候補を探すこと。利害関係のある相手だと弱みを見せると不利益を被るかもしれないという心理的ハードルがあり、自己開示が難しいからです。

 精神科医の松本俊彦先生はこう言います。

 

「信頼できる大人は10人のうち3人くらいしかいないから、1人に話してダメでも8人目までSOSを出し続けてほしい」

 

 今目の前にいる人は、もしかしたら今までの大人とは違うかもしれないという可能性を捨てずにいてほしいということです。

 

 次に、黒魔導士についてです。

 

 黒魔導士:「自分の課題を明らかにしてくれるひと。」

 

 愛のある批判者とも呼ばれます。

 人間の心を知悉していて、こちらのことを考えたうえで、言いにくいことを正直に伝えてくれるというコミュニケーションリスクをとってくれるひとのことです。

(自分、絶対黒魔導士にはなれないや。いつだって言葉の使い方に気を付けて、率直に、歯に衣着せぬ物言いができないんです)

 

 こういうひとはなかなかいません。

 いわゆるレアキャラです。

 しかし、もしそういうひとが身近にいれば、大切にしないといけません。

 課題に向き合うということは「できていない」ということを認めることであり、それには勇気と謙虚さが必要です。謙虚であるとは、自分の足りないところや至らないところから目を背けないことであり、「弱点」を認めることです。

 変われる人というのは、誠実なひとが多いです。

 自分に誠実になるとは、自分の不完全さを受け入れることなのです。

「自分のことは一番自分がわかっている。だから、口出しするな」

 そう声を荒らげてしまうのは、心の余裕がない証拠です。もしかすると、じつはその指摘が当たっているのかもしれません。

 

②分人主義

 平野啓一郎氏が提唱した「分人主義」という概念についてです。

 

 分人主義:人間の基本単位を「個人」ではなく「分人」の集まりだと考える概念

 

 ひとは接するひとによって仮面を使い分けるものです。

 家族の前のときの自分、会社の同僚の前のときの自分、恋人の前のときの自分、学生時代の旧友のときの自分

 おそらくですが、会う人によってその「自分」を使い分けていないでしょうか?
 その「自分」がいわゆる「分人」なのです。

 一貫性がないわけでも、嘘をついているわけでもなく、全部同じ「自分」であり、違う「自分」なのです。

 

 自分が嫌い。

 そう思っているひとはいるでしょう。

 しかし、どんな「自分」も嫌いなんでしょうか。

 たとえば、学校でふるまうときの自分は嫌いでも、放課後の部活での自分はうまくいっている、とか、そういうのがあれば、その放課後の自分を足場にすればいいのです。

 そういう理論で、自分のことが嫌になるような相手とは距離を置き、「この人といっしょにいるときの自分は好き」という人間関係の割合を増やすことだってできるでしょう。

 そういった考え方ひとつで「自己嫌悪」から脱することができるのではないでしょうか。

 

小確幸

  村上春樹『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた』において、こんなことばがあります。

 

 小さいけれど、確かな幸せ

 

 略して「小確幸」。

 道端の花がきれいとか、お風呂が気持ちいとか、そんなレベルの小さな幸せを見つけていこうということです。

 ソシャゲのガチャの沼にはまってしまうのは、大きな快楽を求めようとしているわけですね。たしかにそれが得られたときの快楽は最高なものでしょう。しかし、得られなかったら?

 失意のどん底、自己嫌悪。

 そこまではいかないにしても、気分はだだ下がりですよね。

 だから、大きな快楽は求めなくていいから「小確幸」を求めなさい、という提案なのです。

 

④批判との戦い方

 批判とどう立ち向かうか。

 ポイントは、「大事にすべきかどうかではなく、あなた自身が大事にしたいかどうか」でしょう。あんまり大事にしなくてもいいとか、合わないなあ、とか思うのであれば、わざわざ批判に立ち向かう必要はありません。

 そう考えると、ネット上の匿名の批判の大半は、真摯に向き合うべきではないということがわかるでしょう。

 たとえば、自身のツイートに批判的なリプが送られてきたとします。

 そもそも、こっちは頼んでないのに、なんで? と思うのであれば、わざわざそれに構う必要はないでしょう。

「同じ土俵に立っていない相手とは議論できないし、話し合う余地もない」

 つまり、そういうことです。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」

 というヨーロッパのことわざがあるように「善意」というのは場合によっては、とてもめんどうなものになるのだということです。

 

⑤コーピング

 コーピングとは、しんどくなったときに自分を助けるために自ら行動することです。

 簡単な例を出すと、イライラして、壁を殴るなどの行動がそれです。

 

 コーピングのレパートリーとしては以下のことが本書で書かれてあった。 

・裸足で海辺を歩き、水や砂の感触を感じる

・近くの寺社仏閣に行き、深呼吸や瞑想をしてみる

・髪を切る、いらない服を捨てる

・賑やかな曲をかけ、部屋でダンスをする

・人から聞いた「自分のいいところ」をメモにまとめておき、気分が落ちた時に読む

 

 また、自傷行為の代替案は以下のとおりです。

・自分の手で氷の塊を持ち、痛みが感じられるほど強く握り締める

・腕にはめた輪ゴムをはじく

・スポンジのボールや丸めた靴下を、できるだけ強く壁に投げつける

・枕に顔を埋めて、できるだけ大きな声で叫ぶ

・切りつけようと思っている場所を、赤のマジックやマニキュアで傷のように描く

→その後、黒のマジックで縫い目を描く

・自分が憎んでいる相手や、傷つけられた相手に、恨みの手紙を書く。

→その手紙は出さずに破って捨てるか、後で読むために保管しておく。

 

⑥自己決定

 ハードモードな人生を歩むにあたって、非常に重要なキーポイントです。 

 生活の中で自分で決めるという経験をなるべく増やすということです。

 人間の幸福を規定するものは「お金」ではなく「自己決定」なのです。

 逆にいえば、相手の自己決定を奪うことは、相手の幸せを奪うことに等しいのです。

 

 人生はRPGに似ていますが、RPGにあらゆる選択肢があり、そこにはどれかひとつ正解というものがありますが、人生には「正解の選択肢」が存在しません。

 この世に絶対解などないのですから、誰かに選択を委ねたりするなどちゃんちゃらおかしいということがわかりますでしょうか?

 必要なのは絶対解ではなく納得解なのです。

 苦悩や迷いのある中でも、その都度現れる選択を、自分自身で納得しながら決定していく。これがうまく生き抜く秘訣だと、筆者は考えています。

 

5.まとめ

 人生はハードモードです。

 常に予期せぬことが降り注いできます。

 幸福に永続性はないし、嫌なことばかり身に起こるものです。

 何かを得たと思えば、すぐに何かを喪失します。

 そんなふうに幸せが不安定な時代だからこそ、そんな現実から目をそむけようとアニメやゲームにはまるのでしょう。

 私の場合、現実世界がいやだと思えば、すぐにこうやってブログなどに文章を書いたり、小説にふけったり、芸人の漫才やコントをみたりしています。最近、櫻坂46への愛が戻ってきています。どれも自分がつらいときの心の支えになってくれています。

 物事を合理的に考えるひとがけっこういますが、そういうひとは私たちの精神的支柱である娯楽を無駄だといって切り捨てようとします。

 まったくひどい話ですよね。

 人生はハードモードとはいえ、娯楽にあふれている今の時代、その功績は偉大なものではないでしょうか?

 ですが、コロナ禍は私たちの娯楽を奪いつつあります。

 いつ収束するか見通しのつかない不安定な時代。

 そりゃ、この世界への信頼はなくなってしまいますよ。

 

 こういう時代だからこそ、もっとひととのつながりは重要視するべきなんですよね。

 SNSの普及で、友だち関係が希薄なものになっていると言われています。

 ネット上のつながりではなく、もうすこし肉薄というか生というかそのリアルなつながりを持つことができれば、案外、人生をうまくひょいひょいと生き抜けるのではないでしょうか?

 

 かくいう、私には心の安全基地となるようなひとがいないのですがね……