長沼睦雄『10代のための疲れた心がラクになる本』
10代にはさまざまな悩みがある。
精神的な疲れであったり、それが身体的な疲れであったりもする。
まずは、身体の不調について述べるが、私は医学に関する知識は皆無であり、それなのに「〇〇症」などと訳知り顔で書くという蛮行を、今回私が紹介する『10代のための疲れた心がラクになる本』に免じて、お許しください。
- 1.身体の不調について
- 2.つらさを伝えられないのは「結びつかない」から
- 3.不安でたまらない心の悲鳴
- 4.10代は友だち関係に敏感になる時期
- 5.傷ついた心との向き合い方
- 6.言葉を変えると、心も変わる
- 7.自分をラクにする方法
- 8.自分を好きになろう!
- 9.まとめ
1.身体の不調について
【症状】朝、起きられない。頭痛がひどくて、立ち上がろうとすると、めまいでフラフラしてしまう。頭がぼーっとして調子が悪い。頭痛。胃痛。腹痛。顔色が青白い。食欲がわかない。吐き気がある。身体がだるい。すぐに息切れする。乗り物に酔いやすい。
【原因】学校のストレス、家庭のストレス、社会上のストレスが原因とされている。
(実は、私、起立性調節障害についてなじみ深いのだ。というのも身近にいるのである。彼女は朝はまったく起きられず、また起きたとしても体調が悪く、機嫌が悪かったりする。しかし、午後になると人が変わったように明るくなる。傍から見れば、確かに寝起きが悪いとか、朝はしんどいから仮病をしているとか思われかねない。しかし、本人は仮病をしているとか、そういった意識は毛頭ない。起立性調節障害について正しい知識を持たねばならない。)
【対処法】
・しっかり水分を飲む。
・起き上がるときはゆっくり。
・毎日三十分ほどの歩行。
・決まった時間に布団に入る。
・ふくらはぎをゆるませて血行を良くする。
【症状】おなかが弱い。緊張すると、おなかが鳴り、差し込んできて苦しい。下痢。便秘。腸に炎症や腫瘍はなし。腹中がグルグルと鳴る。
【原因】ストレスが原因。いい人は敏感にいろいろ気付いてしまい、それがストレスになる。
(いい人であるがゆえに、敏感であるがゆえに、あれこれと考えてしまい、かえってストレスになってしまう。なんとなく理解できる。常に人のご機嫌をうかがっていると、精神をすり減らしてしまう。これはたしかに体に悪い。私はIBSではないと思うのだが、年がら年中、お腹の調子が悪い。)
【考え方・対処法】IBSはいいひとにしかならない。だから、自分はいいひとだと自覚してみる。ストレス回避のためには「言語化」:メモに書いてみる。下腹部にドライヤーを1分ほど温める。
③睡眠障害
【症状】昼間、眠くて仕方ない。
【原因】睡眠不足が原因。過緊張の反動か。
【対処法】同じ時刻に毎日起床。規則正しい生活。刺激物を避ける。など。
【症状】ときどき、息が吸えなくて苦しくなって、このまま死んでしまうのではないかと不安になることがある強い緊張や興奮、恐怖があったときに発作的に起こる。めまい。ふらつき。胸痛。しびれ。テタニー(手足のしびれ)。
【原因】ストレスが原因。また過呼吸を起こすのではないかという不安がストレスとなる。負の連鎖になりやすい症状。
【対処法】非薬物療法。腹式呼吸。安心させる(命に別状はない)。
→これら①~④は不登校、ひきこもりのきっかけになりやすい
(特定を避けるため、具体的には述べられないが、実際に上記の症状を持つ生徒はいる。確かに学校休みがちだが、なんとか登校しているのでとても偉いと思う。)
2.つらさを伝えられないのは「結びつかない」から
①「身体と心がつながっている」ものだという意識がない。
体調の問題は身体に起きているトラブルで、心の悩みは気持ちの問題だととらえてしまう。
②「うまく言葉で表現できない」ということ
10代の脳は未成熟だ。自分の感情、思考、あるいは状況を、大人のようにうまく言い表すという回路が完成していない。頭でわかっていても、感情、感覚と言葉がむずびつかない。言語化が弱い。思春期のモヤモヤ感のなかには、自分が感じていることを的確に表現できない、という感覚がある。
だから、感情の言葉とか、身体感覚の言葉とか、意識的に語彙を増やしていくようにすると、自分の感情が少しずつ伝えやすくなっていくことに気付く。
3.不安でたまらない心の悲鳴
①視線恐怖
【症状】人の視線がすごく気になる。
【対処法】マスク・サングラス → 視線を免れるためのアイテム
②自己臭恐怖
【症状】自分が「くさい」のではないかと気になって仕方ない
※ほかにも似たような恐怖症はある。
・容姿にコンプレックス=醜形恐怖
・完璧にできていないことへの恐怖=不完全恐怖
・自分は太っている=摂食障害
これら恐怖症の原因は、偏桃体の過剰反応と不安の回路の強化である。
【症状】感情や感覚が自分から切り離されたような状態。子どものときにたいへんつらい体験をしたことが心の傷になって、脳と心と身体とがひとつにまとまった自分ではない、と感じるような症状。
しかし、解離は脳がもっている防衛システムのひとつ。生存のための適応策なのだ。
※ほかにも似たような「解離性〇〇」がある。
・ハッと気づくと、記憶が途切れていることがある=解離性健忘
・自分とは異なる記憶や性格をもつ人格が表に出てくる=解離性同一性障害(多重人格)
自分が「安心していられる居場所」がどこにもないと強く感じている。そして自分のなかで「もう限界」という状況が訪れると、脳が自己防衛のためにのシャットダウンをしてしまい、自分でも不可解な症状が出るようになるのだ。
【対処法】自分だけじゃないことを知ろう。とにかく、みんな何かに悩んでいる。いろんなアンテナを張って、とにかく情報を得る必要がある。
(YouTubeで「トランスジェンダー」について検索してみると、その仲間を見つけることができる。など。)
ひとりで悩んでいると、「この世で自分だけがおかしい」という思いに取りつかれる。世の中には同じような人、同じような思いをかかえている人がいる。悩んでいるのは決して「自分だけではないんだ」と知ることがすごく大事だ。
「これはひとつの個性なのだ」と胸を張って言えるようになるには、自分には仲間がいると思えること、それが大きな心の支えになる。
4.10代は友だち関係に敏感になる時期
つねに友だち関係を「つなげておく」ことに心を支配された生活をつづけていると、「友だちに認められていることに、自分という存在の価値がある」という発想になってしまう。
「友だちがたくさんいて、頻繁にやりとりできている自分」が自分らしいのだという思いに駆られてしまう。
他人に認められていないと、自分が自分であるように感じられなくなる。
「友だち関係がすべて」「もし友だちから嫌われたら、自分はもうおしまいだ」という気持ちになってしまう。
友だちに認められる。 → うれしい
友だちから認められなくなる。 → 不安
嫌われるのが怖い、人から好かれる自分でいたい。仲間外れにされるのが怖い、見捨てられるのが怖い。 → 言いたいことがあっても、我慢する。みんなと同じようなことをしておけば「安心」する。
自分は内側にあるのに、外側からつくられていない?
そういった人はしばしば「自分がない人」になってしまう。
※自分がない人
【原因】生育環境
・過保護・過干渉で育ったケース
(親の言いなりになる。反抗期がない。)
・幼いときにトラウマ体験をして、それを引きずっているケース
(深く心が傷つけられる経験をしていると、大事な人に対して、「自分がいうことをきかないと、見捨てられるのではないか」という強い不安を感じる)
・もともと気質的に敏感で人の気持ちを読み取りやすいというケース
(自分自身の感情は押し込めて、相手に合わせようとするのが心の習慣になっている)
→うつ病・パニック症の原因
とにかく「いい子キャラ」「お人よしキャラ」が危ない
キャラを「自分にはそういうものが求められているのだろうな」と考える。そのため、自分の役割を演じる。つまり、空気を読みすぎるのだ。だから、根は真面目なタイプに多い。
まずは自分のものさしをもとう。
例えば、「これほんとうに好きか?」「これほんとうにやりたいことか?」と、疑ってみる。そして、自分の中にある「うれしい」とか「楽しい」とか「迷惑だ」と感じる気持ち、それを自分のものさしにする。「どう見られるか」ではなくて、「自分はどうしたいか」を尺度にする。
5.傷ついた心との向き合い方
家族がどんなに親身になって心配してくれても、自分の体調、自分の心の状態、そのつらさ、苦しさは、自分しかわからないものだ。
だから、「自分事として、主体的に向き合う」意識を持とう。
心の傷の治す方法は、身体と心がつながっていることに着目すればいい。心がつらければ、身体もつらくなる。つまり、心のつらさが身体的な症状をもたらすということは、逆に言えば、身体の状態を整えることで、心も回復させやすくなるということだ。
(ここでオードリー若林の名言を引用する。「ネガティブを打ち消すのはポジティブではなく、没頭だ」)
どれだけ他人が心配してくれても、心のケアをしてくれても、結局自分が自分と向き合わなければ治らないこともあるのだ。
(実は、私はある心の治療に成功した。なんてことない。何に対しても臆病になってしまうという病が治ったのである。(完全にではないが)その方法はいたって簡単。猫背を治したのだ。猫背になると、「胸がすぼむ」→「息がしにくい」→「体がふにゃふにゃ」→「歩幅が小さい」→「元気がなさそう」→「おどおどする」というふうに負のメカニズムが誕生する。背筋を伸ばせば、「背筋が伸びる」→「呼吸がしやすい」→「息苦しさがない」→「大きな歩幅」→「視界が広がる」→「堂々と振舞える」というふうに正のメカニズムが! 誇張表現でもなく事実である。ちなみに猫背を脱することで、声も大きくなる。いいことづくめなんです。)
また、不登校などの期間は「養生期間」だと思えばいい。
学校に行きたくない、しんどい、というのはいわば「心の洪水状態」であり、つまり、身体を休ませる必要があるということなのだ。
子どもが不登校になったとき、「仮病じゃないの?」という声かけはNGである。子ども自身、放っておいてほしくないと思っているし、かといって叱ってほしいとも思っていないはずです。だから、日常の話をしてあげるとベストなのです。テレビやネットからだけの情報しかなかったその子にとって、日常の話は「自分がこうしている間にも、世の中はふつうに動いているんだな」と思わせてくれるものなのです。
心の治療は、まず吐き出すことから。
つらいとき、ひとに何も言わない、言いたくない、という調子では何の解決にも至らない。だから、まずはLINEなりノートなりに書き出してみたり、誰かに話してみたりするのがいい。
「変われる」と常に声に出していれば、ほんとうに「変われる」。
(言霊というものは、ほんとうにあると思う。)
6.言葉を変えると、心も変わる
有名な話かもしれない……。
「コップに水が半分入っている」
このコップを見て、あなたは「もう半分」と思うか「まだ半分ある」と思うか。
前者なら、悲観的な考え方をするひとで、後者なら、楽観的な考え方をするひとだ。
前者は「まだ起きていないことをあれこれ心配してしまう」ひとで、いわゆるストレスを抱えやすいひとだ。後者は「自分がここまでやれてきたことを下敷きにして、なんとかなる」と強い気持ちを持てるひとだ。
ひとの気もちを変えるのは難しいかもしれない。
しかし、言葉を変えることで、気持ちや考え方を変えることは可能だ。
ふだん使っている言葉を変えると、考え方のクセ、ものごとの受け止め方は変わっていく。自分のよくない思考のくせを直せば、生き方も大きく変わっていく。
例えば、「自分の感情を表現する言葉のレパートリーが少ない」とする。例えば、怒りの感情を表す言葉を「むかつく」しかないとする。すると、何があっても「むかつく」ばかりで、息苦しくなる。しかし、「がっかり」とか「悔しい」など表現の幅を広げるだけで、気持ちが落ち着く。なぜなら、自分の感情が理解できることはすっきりすることだからだ。
また、「うざい」「死ね」などの言葉も同じだ。これらは相手を傷つけるためだけに発している毒にすぎない。自分のこまやかな感情をひとまとめにしてしまっているのだ。自分のなかのモヤモヤをうまく言語化できていないだけなのだ。また、そういった言葉は何度も使うから回路がつながりやすい。だから、言葉のレパートリーを増やす、つまり、言葉を豊かにするだけで心は穏やかになるものだ。
(自分のそのときの感情を的確にあらわす言葉が増えていくと、子どもでもおだやかになっていく。癇癪だってそうだ。これは感情を伝えたいのに、うまく伝えられない状態だ。
赤ん坊はまだ言葉を持っていないために泣くことによってしか感情を伝えられない。
しかし、ある程度言葉を自分の中に身につけることができたら、自分の感情に名前をつけることができ、落ち着いて自分の状態を理解することができる。よくむしゃくしゃするなあ、と言って、モノにあたったりするひとは、言語化する能力が乏しいのだろう。「俺は今日店長に叱られて、お気に入りのシャツを汚してしまって、朝からついてないなあ。悔しい思いと自分へのやるせなさを感じているよ」……などと自分の感情を言語化することで、なんとなく気持ちは落ち着きそう……かな?)
逆さま思考というものがある。
「無理、できっこない」と思ってしまいがちなら、「無理じゃない。できる!」と声に出していってみる、といった逆のことを考えようというものだ。
(例)
「試験まであと三日しかない」→「まだ三日あるんだから覚えられることがたくさんある」
「引っ込み思案→あえて会長」
「優柔不断→あえて提案する」など。
(正直、そんなに簡単なもんじゃないとは思うけど…)
言葉を変えることで、違う自分に変われるという「うまくいった例」は成功体験として脳に記憶される。だから、たった一度でもいいので、そういった逆さま思考を利用して、行動を変えてみよう。難しいことは承知だが、自分から変わらないといつまでたっても「変わらない」のだから。
これは嫌な奴相手にも利用できる。
嫌な奴に何か言われたらこういうのだ。
「あなたの言うとおり。いいことを言ってくれてありがとう。」
自分に逆らってくると思っている相手が同意してくれると、相手はそれ以上責め立てようという気にならない。
「ありがとう」と言われたら、その関係を悪化させたくないと思うものなのだ。
また、これは有名な話だが、リフレーミングも逆さま思考のひとつだ。
短所を長所に言い換えるアレだ。
自分には短所がいっぱいと思っていても、短所の数だけ長所になるのだから、考えようによってはたくさん長所をもっているひとにもなりうる、
(例)「優柔不断」→「慎重で思慮深い」
「暗い」→「落ち着きがある」
「飽きっぽい」→「集中力がある」など。
言葉が豊かになると、視野が広がり、考え方も自由になるというものだ。
7.自分をラクにする方法
自分をラクにするためにどうすればいいか。
5つだけ紹介する。
1.マイナスの感情を吐き出す
前の章で言語化することの大事さについて述べたが、心のモヤモヤを内にためこめるのではなく、それを言葉に変換して、書きだしたりする必要がある。
これは例えば何かむかついたことや腹が立ったときにも有効で、「なぜむかついたのか」「腹が立ったのか」を考えて書き出すことで、冷静になることができ、気分が落ち着いてくるというものだ。
それと同じように「自分のこのモヤモヤはなんだろう」と考えて、その正体をつきつめることで、自分を客観視して、自分の状態を理解できるものかもしれない。
(このブログでも一回書いたことなのだが、林真理子氏のこの言葉に感銘を受けた。
読書で得られるメリットについて
「読書で得られるいちばんのメリットは、心の中のモヤモヤを言語化してくれることだと思います。ドロドロしていた感情が頭の中でしっかりと形づくられて、これからの生きる指針のようなものになるんです。/とくに古典文学を読むと私が探していた言葉がいくつも見つかるから、人生を重ねる中で何度となく読み返すという作品も少なくありません。/今まさにコロナ禍で心を痛めている人に、「本を読めば救われる」とまでは言えません。でも、つらい状況を客観的に見るきっかけにはなるのではないでしょうか。/歴史に名を残す指導者はどう動いたのか。激動の時代を生きた世界の人々は何を考えていたのか。読書を通して学ぶことは多いはずです。」
読書経験を通じて、語彙力を増やすのもいいでしょう。
自分の中に言葉がなければ、それを探すのにはやはり本を読むのが良いと思う。)
2.思い込みやこだわりを手放す
『メンタル・クエスト』にも書いたことなのだが、「完璧主義」は要注意ということだ。
100点をとらなくちゃいけない、と思ってはいけないのだ。
常に完璧を求めてしまうと、とても息苦しいだろう。
(こんなとき、私は村上春樹『風の歌を聴け』の有名な冒頭を思い出す。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」
流麗な文体で知られる村上春樹ですらそう言うのだから、この世に「完璧」なんてものはないのだ。)
そんな完璧思考と同じように「学校には行かないとダメ」といった固定観念があってそれに縛られているひともいる。学校には行かないとダメかもしれないが、毎日行く必要もないし、ときには息抜きだって必要だろう。
本当につらいときは「逃げたらいい」のだ。
(学生は平日は朝から夕方までずっと学校にいて、その多くの時間が授業を受けるための拘束時間だ。冷静に考えれば、なかなかのことを学生はやっている。大人ですら、ちょっと働いたら休憩時間が欲しいと思うものなのに。)
ただ、誤解をしないでほしいのは、「逃げていい」の言葉をかけられているのは「追い詰められるくらいしんどい思いをした」という背景をもった人間に限るというものだ。言い方は悪いが頑張っていないひとが巷にあふれる「逃げてもいい」という言葉を安易に呑み込み、都合よく「自分は逃げていいんだ」と思っては、ますます堕落の一途をたどることになる。
3.先の見通しをよくする
先が見えないというのは不安なものだ。
たとえば、不登校になってしまって、「もうおしまいだ」と思ってしまう生徒がいるとする。しかし、はたして学校に行けなくなったから人生終了というものなのか?
今の時代「通信制」「フリースクール」という選択もある。実際、私の勤めている学校でも、不登校になってしまった生徒がそういった道を選んでいるケースも大いにある。
先の見通しを明るくするためには、やはり自分の殻に引き込むるのではなく、もっと広い世界を知っている大人に頼ればいいんだ。(そういった意味で「相談」も大切)また、実際に不登校になったが、今は元気で生きているというひとを探し出せばいいんだ。
4.環境は自分で選べる
友だちは多い方がいいかもしれないが、その多さゆえに振り回されたりしていないか?
本音で語り合える友だちがひとりでもいればいいものだ。
つらいとき、哀しいとき、それを打ち明けるひとがひとりでもいれば、救われる。
(しかし、本音で付き合えるひとがいないとなると、それは哀しいことになる。)
まず、自分にとって「安心・安全」といえる居場所をまず確保すること。
それは自分自身で探し出すこと。
(ここで少し重い話をする。私は家庭でも学校でも居場所を失ってしまった子を知っている。本来、子供というのは両親からの庇護を受けるものだが、その両親は子に対して、強く当たっていたし、学校でもいろんなひとから嫌がらせを受けていた。その子は「安心・安全」といえる居場所を持っていなかったということなのだ。でも、その子には友だちもいた。その子には家庭環境のことや、いじめについて、赤裸々に話していたそうだ。いわば、本音で語り合える友だちはいたのだ。しかし、教員はそういったことを知らなかった。ここに教員と生徒との間に距離があったのではないかと今思うと、ある。)
5.人間以外に目を向ける
ストレスを種はいつだって「人間」にある。
友人関係のトラブル、家族間のトラブルなどなど。
いつだって、人間関係によってストレスというものは抱えてしまうものだ。
だったら「人間以外のものに意識を向ける時間」を大事にしよう!
(ここから語るのは完全に自分のこと。動物とかかわるのはいいよね。動物は言葉を使わないし、感情についても理解しやすいし。私は犬とか猫とかペンギンとか大好きだ。心が癒される。人間を見て、心が癒されるなんてことはめったにない(アイドルは別)。人間はいい表情してても中身はドロドロだったりするので信用にならないが、動物の場合、そんなことないし、そんなことを考えなくていい。ただ脳死で「かわいい!」って思えるから、ほんとラク。癒される。
自然に目を向けるのもいい。ありきたりな表現だが、たとえば宇宙について考えをめぐらせると、いつも自分という存在がいかにちっぽけで、自分の抱えている悩みはいかに小さなものだったかと思い知らされる。私は田舎の風景とか大好きなのだが、空気がおいしいと、自然と気分がよくなるし、目の保養にもなる。だから、自然について考えをめぐらせたり、眺めたりするのは、自分の心をラクにするのにもってこいのことだ思う。)
8.自分を好きになろう!
自分を好きになるためにどうすればいいか?
答えは単純明快だ。
これは前にブログで紹介した「分人主義」と共通しているが、「自分のいいところや悪いところ、すべてをひっくるめて、自分なのだから、ありのままの自分でいい!」という考えを持てばいいのだ。
自己肯定感が低い人は総じて「自分はダメだから」と思ってしまっている。しかし、その自分の弱さを引き受け、「できなくても、これが自分」と思うことができるようになる、これこそほんとうの「自己肯定感」なのだ。
ひとは評価してくれなくてもいい、自分自身が自分のことを認めてあげればいい。
そうやって等身大の自分、現実の自分を受け入れられるようになると、自分を好きになっていくことができるのだ。
自分の軸は決して他人によって規定されるものではない。
自分のものさしによって自分で判断することだから。
9.まとめ
この本を読んで、一番「なるほど!」となったのは「言語化することの大切さ」である。
やはり、心の中にあるモヤモヤはモヤモヤ状態であればしんどいものだ。
幽霊が怖いと感じるのはその正体が不明であるからだ。
カメラに映った白い靄のようなものが幽霊ではないかと騒いでしまうのもわかる。しかし、その正体がカメラの不具合だったとしたら安心できるだろう。つまり、不明だったものが、その正体が分かれば、心は安心するものなのだろう。
心の中のモヤモヤに名前をつけることができたら、きっとラクになるはずだ。
そのためには語彙力とか文章力とかが必要になってくる。
国語科教員と、私の自分軸である「生徒の役に立ちたい」「悩みの解決に尽力したい」というのは案外いいバランスをとれているのかもしれない。