傲慢な悩み

 俺は比較的恵まれた家庭で生まれ、両親は仲が良く、何かしたいと言えばさせてくれるような環境の中で育ってきた。

 だから、母子家庭や貧困家庭、両親が不仲といった家庭で育った子の悩みや、家族内にケアを必要とする人がいてそのケアをしなければならないヤングケアラーや両親が高学歴であるがゆえにいい大学へ進学することを期待されている子、教育虐待を受けている子などの悩みを、俺は心から理解することはできない。

 

 もし仮にそういった子たちから悩みを告白された際に、俺はどんな言葉をかければいいのだろうか?

 

 かわいそう、なんて言葉は上から目線だし。

 大変だね、なんて対岸の火事だと捉えられかねない無責任な言葉だし。

 わかるよ、なんて口が裂けても言えない。その子の悩みをほんとうに理解できるのはその子か同じ境遇で育ってきた人だけだ。俺のような環境で育った人間に「わかる」はずがない、

 

 でも、俺は誰かの助けになりたいと思っている。

 教師という仕事を通して、子どもたちの心に寄り添っていきたいと思っている。

 だからこそ悩むのだ。

 子どもたちの悩みが、俺が生きてきて抱えてこなかった悩みであることに。

 

 足枷をはめられ不自由を強いられる中、苦しみ喘ぎながら歩く、そんな経験がない自分に、苦境の真っただ中にいる子どもに何と言葉をかければいいのだろう?

 俺が吐いた言葉はすべて、「お前に何がわかるんだよ」という言葉によって潰されてしまう。気がつけば、その子の抱える悩みと同種の悩みを抱える人が横からすっと現れて「わかるよ!」と言い、その子の悩みを解決している。

 

 じゃあ、いらないじゃん俺。

 

 よくインフルエンサーが「自分の好きなことをしよう」と言う。

 だが、家庭環境が束縛となって自分の好きなことができない人だっている。

 だから、適当なことを言うな、といつも思っている。憤慨している。

 それくらいのことしかできないね、俺。

 

 いつか、この自分の傲慢な悩みを解決できる日が来るまで

 

   To Be Continued