渡部泰明ほか『国語をめぐる冒険』

前置きなしで書いていきます。

 

 

第一章 国語は冒険の旅だ

 

 理想と現実。

「理想」は「こうなったらいいなという状態」で、「現実」は「実際にあるこの世のこと」。対義語だ。

 でも、「現実」とは言い換えれば「理想の実現を邪魔するもの」であると言えて、そもそも「現実」の前提に「想念」や「理想」というものがある。逆にいえば、「想念」「理想」があるから「現実」がある。

 そういうことを考えると「理想」は「実際にはかなえられないもの」「目指されるもの」「現実には存在しないもの」というニュアンスをはらんでいる。

 だが、我々は「現実」で「理想」をかなえたいと思っている。

 そういった我々は文章の中に「理想」と「現実」を入れ込んでいる。

 文章のほとんどは「理想」と「現実」との関係から成り立っている。

「理想」は「想念」「抽象」と言い換えることができ、「現実」は「事実」「具体」と言い換えることができる。

 これが大事である。

 

 願いをかなえたい、つまり理想を実現したいと希望し、理想の世界に入り込もうと行動を起こしたとき、そこには必ず境界がある。現実と理想の境界だ。境界を乗り越えなければ現実の世界へはたどりつかない。だからこそ、その境界には厄介な問題が待ち構えている。そんな「境界」にまつわる物語が、この世に多く溢れている。それも昔から。

 主人公が鬼や怪物と闘う物語。ずいぶんステレオタイプな物語なのだが、主人公に苦難(敵)が降り注ぎ、成長を経て、その苦難に打ち勝つ。そういった物語には、まったく新しい自分になりたいと願う、私たち人間の切なる望みがあるとうかがえる。

 

 昨今不要論が唱えられつつある「古典」。

 古典作品にはこういった「境界」を装置とされた物語が多くある。

 たとえば、『伊勢物語』。平安時代にできた最古の歌物語。

 在原業平をモデルとした主人公の男が旅をする物語。

「男」は、三河の国(愛知県)の八橋というところまでやって来た。

 川が四方八方に伸びていて、しかも橋があちこちに架かっている。

(そもそも八橋の地名の由来が「川の水が蜘蛛のように八方に流れているから」で、しかも「橋を八つ渡しているから」だそうだ)

 ここに「境界」がある。川だ。川は、こちら側とあちら側を隔てるもの。

 そんな「境界」を乗り越えて、橋の向うに行くとそこには「別の世界」があると考えるのが普通だ。

 いわゆる「境界」には「苦難」が待っているのだが、待っていたのは「カキツバタ」であった。

 そのカキツバタを見て、ある人が「男」に「「かきつばた」という五文字を句頭に置いて、旅の心情を詠んでみて」という無茶ぶりをしてくる。

 これはまさしく「苦難」(?)だ。

 

 で、読んだのは……

 

 から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

 

 この和歌、冷静に考えるととてもすごい。

 旅の心情を詠めているだけでなく、和歌の五つの句の最初の字が「か・き・く・け・こ」となっているだけでなく、「褻れ」「褄」「張る」「着」と「慣れ」「妻」「はるばる」「来(き)」と掛詞と縁語をちゃっかり入れ込んでいる。

 冷静に考えると、すごい。

 いや、興奮していても、すごいって思う。

 こういったところも古典の面白さなのかもしれない。

 

「男」が旅を始めたのは、自分の居場所がないと感じたからだった。自分を認めてほしいのに、認めてもらえないという悲しみを抱いていたからだった。

 彼はあらゆる苦境の果てに、とうとう人から認められる和歌をつくった(『伊勢物語』は歌物語なので、「から衣…」以外にも多くある)。結果的に千年のときを超えて、人々に迎え入れられた。千年のときを経て、「男」の「理想」は「現実」になった。

「男」は決してひとりで旅をしていたわけではなかった。何人かの仲間といっしょに旅をし、出先でいろんな人と出会った。人とのつながりの中で、「男」は「理想」を実現しようとしてきた。

 

 国語で学ぶものは「自分の壁を取り払い、人とつながり、理想を現実するための道筋」であると言える。

 

第二章 言葉で心を知る

 

 この章では「和歌占い」という面白い占い方法を紹介していた。

 詳細は本書に譲るが、簡単に紹介するとこうだ。

 

①占って知りたいことを質問の形で具体的に考える。

②歌が書かれた絵図を開いて、目を閉じて、直感で一点を指さして目を開ける。

③指で押さえたところから一番近くにある歌が、質問に対する答えである。

 

 このように自分の状況と和歌とを重ねて解釈し、占うといった方法を「和歌占い」というらしい。

 和歌を解釈するという作業が一見難しそうに見えるが、案外やってみると面白い。

 

 たとえば、「隣のクラスの気になる人に話しかけて関係を進展させるのはどうしたらいいか?」という悩みをもって、引いた和歌がこれだとする。

(実際は和歌だけでなく絵もセットになっていて、その絵に描かれていることも材料に占いをするのだが、ここでは割愛する)

 

 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に

 

 有名な小野小町の和歌。

 

 春の長雨が降っているあいだに、桜の花の色はむなしく色褪せてしまった。それと同じように、わたしの美貌も、物思いにふけっているうちに時が経って衰えてしまったことよ。

 

 こんな意味だ。

 そして、前の悩みを解決するためにこういった解釈をしよう。

 

 話しかければ一瞬は「花」が咲くように盛り上がり、期待が高まるかもしれないが、「長雨」が降っているのだから、時間が「ふる」、つまり時が経ってしまうと、「いたづら」に何も得られないまま終わってしまうことになるだろう。

 

 もっと、和歌を分析することができる。

「花」の着目し、そのイメージの幅を広げてみる。

 開花を心待ちにしたり、落花を惜しんだり、桜に心をうばわれて春はのどかな思いになれないと詠んだ「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」のように、桜はざわざわと落ち着かない気持ちをかきたてるものである。

 すると、こんな解釈もできそうだ。

 

 それだけ魅力のある花もいつかは衰えてしまう。そう考えると、相手の小さな変化に一喜一憂せず、落ち着いて向き合うのが大切だ。

 

 和歌の多様なイメージを持つ言葉に親しみを持つ、これ大事。

 確かに従来の文法的な知識をもって和歌を読み解くいわゆる「教科としての国語的な読解」というのも大事であるが、和歌というイメージの幅を広げてくれるものに対して、自由に解釈するというのは新しい意味をつくるということでもあり、正解のない社会においてそれは大切な役割を持つことになっていくと思う。

 

 最後にこの章の最後の部分を引用しようと思う。

 

 

 冒険の勇者が旅をするのは、変化し続ける先の見えない世界。正解が一つではない場所で、自分を知り、その時々の状況にふさわしい答えを探しながら進んでいきます。

 そこで味方になるのは、身を守ったり、謎を解いたり、壁を壊したり、情報を得たり、現実を変えたり、七変化する言葉です。その武器をしっかり携えて、自分を鍛えあげていく。そうすれば、目の前に広がる世界がどんなものでも乗り越えていけるでしょう。

 

第三章 他者が見えると、自分も見える

 

 小説を読むとはどういうことか。

 文学研究に触れたことがある人はもはや自明の話かもしれないが、小説を読むというのは単に書かれていることを読むというわけではない。そういった行為を「表の物語」を読むというならば、小説を読むというのは「裏の物語」も読むということである。つまり、書かれていないことを読むということである。

 中島敦山月記』は高校国語の定番教材である。

 そこで以下のような文章がある(あらすじを書くのは割愛させていただく)。

 

 翌年、監察御史、陳郡の袁傪という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未だ暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。袁傪は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて、出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎もうこが叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。

 

 もちろん、その虎の正体は李徴である。

 授業では触れられないことだろうが、以上の文章で少しおかしな点がある。

 それはどこか?

 時刻は、残月の光にたよらないと進めないような薄明の早朝で、襲われた場所は「林中の草地」である。虎は草むらに隠れて、獲物を待っていたそうだが……。

 袁傪はひとりで道を行っているのではなく、団体で行動している。しかし、袁傪は最重要人物であるため、先頭に立つのはおかしい。つまり、彼は中間あたりにいたと考えるのが妥当である。

 ならば、李徴がばっと現れたのは、隊列がある程度進み、袁傪がいたと推測される中ごろになったときだと考えられる。

 おかしな話ではないか?

 李徴が本気でこの袁傪一行を襲撃をするとすれば、先頭か、最後尾であるべきだ。しかし、自分が逃れにくく、不利な状況で襲撃をしたのはなぜか?

 そもそも李徴が虎として、袁傪を襲撃し、今まさに爪牙をかけようというときになって、「危ないところだった」と急に「人間の心」を取り戻すのは、不自然だ。

 

 以上のことから、李徴は旧友を認識し、彼を襲うべきではないという判断がきくくらいに、明瞭な意識と理性を持って行動していたんだと結論付けられる。

 じゃあ、どうして李徴は隊列を狙ったのか?

 李徴がもともと秀才だと評されていたのに、失敗してやむなく下っ端役人まで成り下がり、ついに獣にまで身を落としてしまった。鬱屈した不満やうらみがたまりにたまって、その嫉妬を晴らすべく、隊列の中で一番位の高そうな人物を襲ったのだと考えられる。

(これは本書に載っていた意見である。

 私はこうも考えられるのではないかと思う。

 李徴が冷静に判断できるくらいの人間の心を持っていて、袁傪と再会するためにあえて彼のところで襲撃をしかけたと。孤高の虎として過ごしていたが、人間の心もあって、鬱屈した気持ちや孤独をまぎらわせるために、さらに未公表の詩を言うためにも、聞き手が欲しかった。そう思っていた最中に旧友の袁傪を見かけて、それを実行した。と)

 

 このように「裏の物語」を読むことで、新しい見方が広がっていく。

 言葉の端々から隠されたも斧語りを見つけ出す面白さと、知的興奮が、小説を読み、学ぶことの大切な意味をよく示している。「裏の物語」には、たいていは登場人物が意図的に隠していたり、本人も気づいていなかったりする内容で、書かれた言葉のいあだいや、略されている出来事をみつけていかなければならない。それが小説の面白さである。

 昨今、クリエイティビティが重要だと言われている。

 そんな中、小説を字面通り読むばかりでは「創造性」など身につかない。

 小説を多角的にとらえて、固定観念に縛られず見つめ直そうとする。それは「ひとり」での読書で得るものではない。対話によってはじめて得られるものである。小説を題材に、クラスメイトと話し合うという経験は重要になってくる。様々な見方に触れ、時として互いの意見をぶつけ合うことを通じて、自分の壁を破り、考えの幅を広げていく。(私はこういった対話的な学びは諸刃の剣だと思っている。話し合うメンバーがしっかり自分の意見を持っていれば、あおの活動は有益だが、そうでなければ適当なことを言い合うだけで何の学びにもならない。ブログで何度も書いていることだが、こういった活動は偏差値の高い学校でしか成立しえないものである)

 

 4月に変わる「高校国語」に学者から怒りの声 「人の気持ちがわからない子が育つ“改悪”」〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

 

 今、以上の記事で国語教師から山口氏が非難を受けている。(私のTwitter上では)

 非難を受けている点は「文学は論理を超越する」というのが意味不明だというところや、そもそも山口氏は教育に造詣深いわけではないのに教育に口出しをしてくるなっていうところだ。

 山口氏の非難されている点はさておき、以下の話は重要だと思う。

 

 

――文学に触れないことで、ほかにどんな弊害が生まれますか。

 

「自分の範疇を超えた他者の気持ちがわからない人」に育つに違いありません。

 小学校のころに国語の教科書に載っていた新美南吉の「ごんぎつね」や「手ぶくろを買いに」を思い出してください。その人物の気持ちになって考えよう、と授業で習いましたよね。文学は、感情や情緒にかかわる教育も含んでいるのです。

 また、現代社会では、カタカナ言葉のように、わかる人同士しか通じない言葉が増えていますよね。自分の知っている範囲だけ、自分のお気に入りの人、同じコミュニティーの人としか会話・交渉できない若者が増え、分断社会を助長するでしょうね。

 

 

 小説の中の登場人物たちは、みんないろんな性格を持っている。

 良くも悪くも、自分ではしない行動をしたり、考えを持っていたりして、共感したり、共感できなかったりする。

 今の社会で生き抜くために社会とのかかわりは必須事項である。

 小説の中でそういった他者と出会うことで、彼らの思考や主張を聞き、理解して、その裏側にある心情を読み取るトレーニングは、今の社会を生き抜くために必要な練習だろう。

 

 小説を読むという行為は非常に重要だということが述べられている章だった。

 

第四章 言葉で伝え合う

 

 私は職業柄「わかりやすく」説明しようと努めている。

 ほんとうなところは衒学趣味を披瀝し自分を韜晦するような文章を叙述し他者の諫言に耳を貸すことなく一介の狷介者を演出し慊焉とせぬ面持ちで完成せし晦渋な文章を俯瞰したい。

 しかし、現実で以上のような文章を使えば白い目で見られる。

 世間は「わかりやすさ」を求め、難しい語を使う者を忌避する。

(それはそれで使われなくなった言葉たちが浮かばれない! と思う)

 さて、社会で求められる「わかりやすさ」とは何か?

①相手が理解できる言葉を互いに使っているか。

②情報が整理されているか。

③構成が考えられているか。

④互いの知識や理解力を知ろうとしているか。

⑤聞いたり読んだりしやすい情報になっているか。

 本書であげられていた「5つの観点」。

 ①に関して、相手が誰かによって言葉の使い方は変えないといけない。 

 たとえば、年配の人に対して「エモい」なんて言っても伝わらないし、小さい子どもに対して「マジョリティ」と言っても伝わらない。

 ②はプレゼンテーションのときに大事なことだ。パワポに情報が多すぎると内容が入ってこない。学校で使うプリントもあまり情報を詰め込み過ぎない方がいい。

 ③に関してはSNSを使用する際、とても重要だ。

 たとえば、相手からLINEで「終わったわ」といきなり言われても、「何が?」と思うだろう。でも、「やらかした」と言われたら、何か失敗したんだなと思える。伝える順序や優先順位を考えることで、相手への伝わり方が変わる。そのとき、聞き手の「知りたい」順を考え、それをもとに考えた方がいいだろう。

 ④に関して、相手がどれくらい知識をもっているかを把握して話すべきだと言うことだ。たとえば、私の勤める教育困難校に近い学校では難しい言葉を使ってはいけない。自明のルール。難しいことを言えば、生徒たちはすぐに眠りの世界に落ちる。

(突然だけど、「お笑い」って見ている人の知識の差で笑えるか笑えないかが変わってくると思う。2021年のM1では真空ジェシカが「2進法」と言っていたが、2進法を知らないと笑えない。そんなふうに笑うためにもある程度の知識・教養はいるよね、とふと思った)

 ⑤に関しては割愛しよう。

 と、まあ、人にはさんざわかりやすさを強要するが、教科書に載る文章は「わかりにくい」、試験に出る文章は「わかりにくい」。当然、わかりやすい文章を載せたところで、誰もが読解できてしまうから試験として成り立たないのだろうけど。

 でも、その「わかりやすさ」と向き合うことも大事だ。

 たとえば、中島敦山月記」の「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」という語が出てくるが、一見するとよくわからない。字義は理解できても本当の意味で理解できたという感じにはならないと思う。でも、こういう「わかりにくさ」は、心の底に澱みたいに残る。実際、私は「山月記」を読んでからけっこう月日が経ったにもかかわらず、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」というワードが心に残っていた。そして、プライドばかり高くなるが、それが傷つくのが嫌で、人から避けるという李徴の気持ちを理解できるようになり、初めて「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」という言葉の意味をきちんと理解できた。

 このように、自分の置かれた状況や、今、感じていることと「先人」の言葉が何かしら接点をもつことがある。そのときになって、初めて自分の中で言葉が息づくのだ。

 

(「書けない」ということに関して。これも一応紹介しておこうと思う。

 国語教育研究者の田中宏幸氏は「文章が書けない原因」を六個あげている。

①相手…読み手が不明確で、書いても反応がもらえない。

②題材…適切な題材が見つからない。題材の焦点が絞り込めない。

③視点…自分の立場が定まらない、自己を客観的に見るのが難しい。

(以上①~③までを「発想・構想に関する問題」)

④語彙…様子や心情を表す語句が見つからない。具体的な描写が説明できない。

⑤結束性…文や段落が繋がらない。段落や文章がまとまらない。

⑥筆速…書くのに時間がかかる、日頃から書きなれていない。

(以上④~⑥までを「文章化に関する問題」)

 本書では②を中心に取り扱っていた。

 だが、①~③からわかるように「作文」における「書けない」についての六項目だ。

 私としてはそもそも文章を書くのが苦手な子について書かれていたらよかったのに、と思った。しかし、④~⑥を見たらわかるように「語彙力がない」「文をつなげるのが下手」「遅筆」ということが「書けない」原因であるというのはもはや自明の通りなので、だから本書ではあまり触れられていなかったのだろう。

 私の意見であるが、④~⑥どれもあまり文章を書いたことがないという経験のなさが起因しているように思う。とにかく文章をいっぱい書く。この鍛錬に尽きるのだろう。)

 

第五章 言葉の地図を手に入れる

 

 私たちが国語科として学ぶのは「現代日本語」だけではない。「古典」も習う。

 まず、歴史を紐解いてみよう。

 明治時代に国家による学校教育が開始して以来、「国語」(当初は「国語及漢文」)という教科の中では古文・漢文が教えられてきた。明治初めのころの古文・漢文を学ぶ理由は、今とは少し異なっていた。それは当時「言文一致」の試行錯誤の渦中にあったという歴史的背景が関係している。当時の書き言葉は文語文(古典文法にのっとって書かれた文章)で、日常的な読み書きにおいて古文との接点をもたない現在の私たちとは違って、当時の人たちにとっては、古文は書き言葉を学ぶ際に直接お手本になっていた。

 平安時代頃は書き言葉と話し言葉の間にそこまで違いはなかった。しかし、時代が下るにつれ、話し言葉はどんどん変化していったが、書き言葉はそれほど変化しなかった。明治時代になってからは、話し言葉と書き言葉の差がありすぎる、ということになり、「言文一致運動」がなされたというわけだ。

 ただし、書き言葉はさほど変化がなかったとはいえ鎌倉時代頃に重要な変化があった。

「和漢混淆文」だ。和語を中心とした和文体(ひらがな)と漢文体の融合。それは平家物語の有名な冒頭部からうかがえる。この鎌倉時代以降の和漢混淆文の古文が、明治時代前半ではふつうに書き言葉として使われていた。しかし、「言文一致運動」によって、言文一致が達成することで、今度は古文と現代文の間に距離が生じてしまった。

 これにより、現代における「古典」は歴史的な価値をもつものとして「国民性の涵養のため」という名目をもとに学ばれるようになった。

 では、なぜ古典を学ぶことで「国民性」を育てることになるのか?

 それは、古典を読むことを通じて、私たちが共通の文化的ルールを持っていると信じられるようになるからだ。

源氏物語」「枕草子」「平家物語」「徒然草」を書いたのは、私たちと同じこの土地に住んで日本語を使っていた人たちで、漢文で「論語」や「史記」を読んでもいた。今の私たちもそれを読んで理解し、共感することができる。この感覚が、私たちを共同体のメンバーとして結びつける。

 まあ、学習指導要領では「国民性の涵養」などといった胡乱な物言いはせず、「伝統的な言語文化」を継承するためといった言い方をしている。今まで読み継がれてきた作品をこれからも読み継いでいくこと。そういうことなのだろう。

 

 第五章ではもう少しスケールの大きな話が書かれていた。「国家としての言葉」という視点からいろんな方向に話が展開していった。だが、私は「古典を学ぶ意義」を求め続けているため、「古典」を歴史的背景から読み解き、「古典」の立ち位置について叙述されていたので、紙幅を多く使ってまとめてしまった。

 第五章を読んで、私は「言葉というのは歴史の足跡」だと思った。言葉一つ一つに過去の記憶がある。やはり言葉は生き物である。

 言葉というのは誰かが受け止め、後世へ繋げていくものである。どこかでバトンが渡されないと言葉は消滅してしまう。

「古典」を学ぶのは、日本の歴史を守るためでもあると思った。