言葉と思考の乖離 村上春樹『螢』から
村上春樹『螢』という小説の中で、名前のない〈僕〉の恋人(元恋人といったほうが正確か)が言ったセリフ。
「うまくしゃべれないのよ」
「ここのところずっとそうなの。本当にうまくしゃべれないのよ。何かをしゃべろうとしても、いつも見当ちがいな言葉しか浮かんでこないの。見当ちがいだったり、まるで逆だったりね。それで、それを訂正しようとすると、もっと余計に混乱して見当ちがいになっちゃうの。そうすると最初に自分が何を言おうとしていたのかがわからなくなっちゃうの。まるで自分の体がふたつにわかれていてね、追いかけっこしてるみたいな、そんな感じなの。まん中にすごく太い柱が建っていてね、そこのまわりをぐるぐるまわりながら追いかけっこしているのよ。それでちゃんとした言葉って、いつももう一人の私の方が抱えていて、私は絶対に追いつけないの」
村上春樹の小説はなんか夢みたいでストーリーが面白いというより引き込まれる。
物語の世界に引き込む力がすごい。
その力の一端を担っているのが登場人物の象徴的なセリフなんだと思う。
恋人のセリフはなかなか共感できるものだ。
言葉と思考の乖離。
それを「まん中にすごく太い柱が建っていてね、そこのまわりをぐるぐるまわりながら追いかけっこしているのよ。それでちゃんとした言葉って、いつももう一人の私の方が抱えていて、私は絶対に追いつけないの」と表現しているのは、ほんとすごいなって思う。
『螢』は『ノルウェイの森』の原型となる小説である。
『ノルウェイの森』は読んだことあるのだが……、そんなセリフあったっけ?
あった。
直子のセリフ。
「うまくしゃべることができないの」
「ここのところずっとそういうのがつづいているのよ。何か言おうとしても、いつも見当ちがいな言葉しか浮かんでこないの。見当ちがいだったり、あるいは全く逆だったりね。それでそれを訂正しようとすると、もっと余計に混乱して見当ちがいになっちゃうし、そうすると最初に自分が何を言おうとしていたのかがわからなくなっちゃうの。まるで自分の体がふたつに分かれていてね、追いかけっこしてるみたいなそんな感じなの。まん中にすごく太い柱が建っていてね、そこのまわりをぐるぐるとまわりながら追いかけっこしているのよ。ちゃんとした言葉っていうのはいつももう一人の私の方が抱えていて、こっちの私は絶対にそれに追いつけないの」
少しの違いはあるが、ほぼ同じセリフがある。
『ノルウェイの森』を初めて読んだのが、四年前くらい。
だが、セリフはまったく印象に残っていない。
『螢』を読んだのはつい最近。
すごく印象に残った。
言葉と思考の乖離について、
私自身、すごく共感したのだが、自分は昔よくうまくしゃべることができなかったと過去を振り返ってのことなのだ。
正直、今は言葉と思考の乖離などない。
むしろ、『ノルウェイの森』を初めて読んだ四年前のときの自分にとってはすごく身近な問題であったはずだ。しかし、印象にまったく残っていない。
もしかすると、当時の自分は「言葉と思考の乖離」について、まったく自分の問題だと思っていなかったのだろう。
そんなことを考えさせてくれるのが、小説。