瀬尾まい子『図書館の神様』

 なんか先入観でこの小説を図書館司書のおばさんが中学生の男の子に文学を通して人生の教訓を垂れる話だと思ってたけど、全然違ってた。

 主人公は若い女性教師(常勤講師)で文学に興味がないのに文芸部の顧問をもたされて不満に思っている。文芸部にいたのはもともとサッカーをしていたという垣内という男子高校生。

 なんとも主人公が厚かましい感じがして嫌だった。

 文学に没頭する垣内くんに

「ねえ、スポーツしないの?」

「何か運動しないの?」

「図書室でこんなことしてないで、野球とかバスケとかしたくないの?」

「野球とかサッカーとかバスケとか。そういうのやりたくなんないの?」

「サッカー部だったのに、どうして文芸部になっちゃったの? どうしてサッカー続けなかったのよ」

「普通、中学でしてたんなら高校でもサッカー続けるでしょう? 中学の三年間なんてウォーミングアップじゃない。運動って高校からが面白くなるのに、わざわざ文系のクラブに入るなんておかしすぎるよ」

 とかいう質問攻め。

 

 なんだろ、こういう質問やめとこうぜって読みながら思った。

 本人は好きで文芸部に入っているんだから、「運動部に入らない理由」なんか聞くなよって思った。

 

 さらにこの主人公、教員採用試験で、面接では首を傾げて考えている振りをしていたとか、集団討論でほかのひとの意見に賛同する以外のことはしていないとか、文字授業では十分間という制限なのに三分で終わったとか、それなのに試験は合格したという。

 いや、ありえねえって。

 

 この主人公が合格した理由は松井という講師(熱血教師)から

「結局、お前みたいな色のないやつが受かるんだよな。教師集団の中では、お前みたいなやつのほうが、熱血なやつよりずっと扱いやすいから」

 と言っている。

 

 にしても、ありえねえって。

 

 とまあ、フィクション相手に怒っても仕方ない。

 

 瀬尾まい子さんはなかなか教員採用試験に受からず9年間講師務めをしていることから、教員採用試験がそう簡単ではないことを知っているはずだから。主人公を試験に受からせたのは松井のセリフを持ってこさせたかったからだろう。

 

 あと、主人公が垣内くんに「ぶっ殺すわよ」と冗談めかして言っているんだけど、うーん、どうなん? 関係性ができているとはいえ……

 

 と、まあ、前座はおいておいて

 

 今回は、垣内くんの文学観を述べたいと思っていた。

 共感を覚えたセリフを引用する。

 

「文学を通せば、何年も前に生きてた人と同じものを見れるんだ。見ず知らずの女の人に恋することだってできる。自分の中のものを切り出してくることだってできる。とにかくそこにいながらにして、たいていのことができてしまう。のび太はタイムマシーンに乗って時代を超えて、どこでもドアで世界を回る。マゼランは船で、ライト兄弟は飛行機で新しい世界に飛んでいく。僕は本を開いてそれをする」

 

 

 誰だって自分の人生しか生きられない。

 しかし、文学によって自分は主人公の人生を体験することができる。

 マンガだと絵があるため、自分を主人公に投影するのは難しいが、小説ならそれができる。文字を読み、想像することで、自分は主人公と同じ世界を生きることができる。

 いろんなジャンルがある。

 ラブストーリー

 ファンタジー

 近未来

 いろんな世界を体験できる。

 

 垣内くんの言いたいことがすごくわかる。

 読書というのは閉ざされた活動と思いきや実はかなり開かれた活動なのかもしれない。