書くことの虚しさ
ここにどれだけ能弁に世の中の事象を書き出し、問題点を指摘しようが、
ここにどれだけ饒舌に自他への警鐘を鳴らし、生きることへの戒めを記そうが、
ここにどれだけ流暢に自分の趣味嗜好を書き連ね、自己満足に浸ろうが、
最後に残るのは虚しさだったりする。
書いた事柄は、インターネットの海に漂うきりで、何にも影響を与えない。
虚しさ。
どれだけいい作品でもAmazonレビューに低評価はつくもの。
例えば、私が好きなクレヨンしんちゃんのオトナ帝国の映画でも評価1とかある。
家族にいいイメージを持たない人はクレしんやサザエさん、ドラえもんなどの作品に苦手意識をもつことだろう。
母のよさをとく作品、歌。
それはよき母を持たなかった人にとっては見たくもない、聴きたくもないものになり得る。
そう考えると、世に溢れる書物に書かれる主張は誰かにとっては聞きたくもない、理解したくもないものになり得るのではないか?
だとすると、書くことが虚しい。
あまりに虚しい。