ポリコレ配慮のなれの果て

 ノーマライゼーションという考え方が普及して、障がいを持つ子どもを公立学校でも受け入れているところはけっこうある。

 私の勤めている高校でも、障がい者を受け入れている。

 

 少し前だが、こういった事例があった。

 とある私立小学校で、発達障害をもった児童の問題行動を理由に退学させたというニュースだ。

 それに対して「差別的だ」ということで男児側が学校を提訴したのだ。

 学校側の意見では、「入学時から問題行動が繰り返され、椅子を投げるという非常に危険な行動があり、他の児童の安全確保に懸念が生じた。保護者の協力も得られなかった」とある。

 対して、男児側は学校側に対して「外部専門家の助言による事態改善を図らず、主治医との連携もしていない」と批判し、退学処分を差別的な措置だと訴えている。

 

 これ差別なのか?

 

 障がいのない児童が同じ行為をすれば、退学処分を言い渡されるのだから、平等に扱った結果ではないだろうか?

 昔、大坂なおみの発言に対して批判をしたことに対しても、誰かが「差別」だとか言っていたが、これと同じ匂いがする。大坂なおみ本人への批判ではなく、発言への批判である。

 このような倒錯がしばしば見られる。

 障がいやマイノリティーを「盾」にして、自分に不都合なことが生じたら「差別」だというのはおかしい。

 もちろん、そういったひとへの配慮がなかったりすれば問題である。

 しかし、それを武器にするのはどうだろうか? と思うのだ。

 

 さっきの私立小学校の話に戻る。

 障がいを理由に退学なんてひどい、というのは前の記事にも話題にした「影」の部分が見えていない人の意見である。

 発達障害をもっていたとしても、その児童がやったことは、ほかの児童を傷つけるかもしれない危険行為である。だったら、そういった危険が及ぶ児童を守るための対処として、退学は至極妥当だと思う。

 障がい者への配慮のために時間を捧げることで、ほかの生徒に対しておろそかになってしまっては元も子もない。教育の平等が実現されない。

 私の勤める学校でも似たような事案があるからこそそう思う。

 本校でも障がいを持つ生徒のためにいろいろ手を打つが、特別支援学校でもない本校にやれることに限りがある。それなのに保護者からは配慮が足りていないと言われるのだ。

 さっきの私立小学校でも「配慮が足りていない」と言われていたそうであるが、それだったら特別支援学校に入学させればよかったのではないか? と思う。特支では、あらゆる障がいを持つ児童・生徒がいて、そのための設備も整っている。むしろ、児童・生徒からしても、そういったところに行った方が幸せだと思う。

 しかし、そんな本音を吐くことは、きっと「ノーマライゼーション」の実現に反することなんだろうけど。

 

※補足

 私立小学校の件について。

 以上についてはメディアの情報をもとにした意見である。

 全貌を知らないため、実は私立小学校の応対に非がある可能性もある。

 そのことだけ付記しておく。