自分の世界の狭さ

人間は自分という人間でしか生きられない。

 

だから、自分が今まで生きてきた範囲でしか、基本的にはものごとを語ることはできない。

 

だが、書物や動画などで、別の誰かの見た世界を見ることができる。だが、誰かの人生を追体験したところで、その誰かが肌身で感じたことや思考まで追うことはできない。だから、結局なところ、自分が誰かの人生を追って、自分が感じ取るものは、自分の体験の範囲内に収まり、自分の世界の一部でしかないわけだ。

 

それなのに、自分の世界こそすべてと思い(無意識のうちに)、その狭量な世界観で、ものごとを判断する。

 

たとえば、先生は授業しかしなくてよくて、偉そうな態度をとることができるといった考えや、社長は毎日豪遊しているという認識、これらすべて、自分の目に映る狭い世界からそういう発想に至ったのだ。

 

また、かりに親が教師で、散々食卓で保護者対応や生徒対応の大変さなどを話していたら、その家庭の子供は、教師を授業してるだけの偉そうな人とは思わないだろう。

 

以上のことから、ふたつのことが言える。

 

まず一つ目は、自分の世界と他人の世界は違うということ。

 

二つ目は、生まれ育った環境と人格形成、身につく世界観・価値観は大きな相関関係がある。

 

他人を理解できない原因解明の一助となりそうだ。