藤岡陽子『いつまでも白い羽根』

 「ネタバレ」があるので、ご注意を。

 

 乃木坂の与田ちゃんのカバーにつられてかった作品。

 内容が内容なだけに(看護学生の話)読むことはないだろうと思いながら、一年半くらい積読状態になっていたが、三週間前に読み始め、そこからは一気呵成。

 

 あらすじ

 大学受験失敗と家庭の事情で不本意ながら看護学校へ進学した木崎瑠美。毎日を憂鬱に過ごす彼女だが、不器用だけど心優しい千夏との出会いや厳しい看護実習、そして医学生の拓海への淡い恋心など、積み重なっていく経験が頑なな心を少しずつ変えていく……。揺れ動く青春の機微を通じて、人間にとっての本当の強さと優しさの形を真っ向から描いた感動のデビュー作。

 

 心の底から看護師を目指したい!と思っているわけではない主人公。

 不器用だが、看護師になりたいという思いは人一倍強い千夏。

 三十代半ばで家庭を持ち、子どもも育てている佐伯さん。

 教員受けがよく、美人だが、少し性格に難ありといった感じの遠野さん。

 基本的に主人公プラスその三人をめぐる物語だ。

 

 看護学校は途中で辞める人が多く、入学した数の六割しか卒業できないそうだ。辞めさせられたり、ストレスでやめてしまったり、理由はさまざまだ。

 数奇にも、四人の中で、結果として卒業できたのは瑠美なのだ。入学したてのころは仮面浪人をしていたのに。(余談だが、私も教育大学に入学してから三ヶ月ほどは仮面浪人みたいなことをしていた。当時はとにかくネームバリューのある大学に進学したいという気持ちでいっぱいだった)

 

 以降、ストーリーの展開を書いていくだけでは退屈なので、ここは痺れたとか感銘を受けたとか、そういったシーンを紹介していく。

 

「無理をして自分の生きたい人生が生きられるなら、私は無理をしたいと思う」

 

 自分の子供が入院していて試験を受けられないということについて教員の波多野が佐伯さんにほかの看護学生もいる場で問い詰める中、瑠美が放った台詞。波多野は前々から佐伯さんに対してよく思っていない部分があった。そこで波多野は「そんなに無理をして看護師を目指す必要があなたにはあるの? あなたにとって一番大切なのは家族でしょう、まずそれを第一に考えてって私、前にも言ったわよねぇ」と言った。決して親切心からではなく、佐伯さんに打撃を与えるために。そこで正義心の強い瑠美は前に書いた台詞を放ったのだ。

 無理をして自分の生きたい人生が生きられるなら、私は無理をしたいと思う。

 瑠美自身、自分が本気でやりたいことを見つけられていないのだ。だからこその言葉だと思う。無理をしてでもやりたいことがあるなら、進みたい道があるなら、無理をしたいと彼女は言っているのである。

 人生一度きりであらゆる道に進みたいと思うのが自然だ。だが、その中で無理をしないようにほかの何か「したいこと」を切り捨てるのはどうなのだろうか、と考えさせてくれる。

 実際、佐伯さんが看護師の資格を取りたかったのは、経済的にも精神的にも自立するためだった。夫と離婚するから。

 

「ねえ瑠美、人の好き嫌いってなんだと思う? 特別に自分に何かされたわけじゃないのにどこかいけすかない人がいたり、逆に親切にされたわけじゃないのに好きだなと思う人がいたり。そういうのなんでだと思う?」

(略)

「あたしはそのことばかり考えてた時期があって、あたしなりの答えがあるんだ。それはね、生きる姿勢なんだと思うんだ。その人の生きる姿勢が好きか嫌いか。それがその人を好きになるか嫌いになるかなんだよ」

 

 実習で口が悪く厄介な老人の千田(もう命は永くはない)を相手にすることになった瑠美。だが、最終的に瑠美は千田のことを親切にしたいと思うようになった。その理由を、千夏は、瑠美が千田はしっかりと生きてきた人であると見抜いたからだという。つまり、瑠美は千田の生きざまに感銘を受けて、好きになったのだというのだ。

 だけど、その人その人が今までどんな人生を歩んできたのか目に見えるものではない。その人の人生の片鱗を知るためには、やはりその人に寄り添い続ける必要がある。

 きっと教師の好き嫌いもそういったところにあるんじゃないかと思う。生徒はスペシャルな両眼で、教師の過去を見抜き、いい生き様だとかこんなひどい生き方をしているのか、と判断して、「いい教師」「悪い教師」を分別しているのではないか。

 まあ、妄想に限りなく近いのだが。

いずれにせよ、それなりの年齢になれば、その人が今までどんな人生を歩んできたのかといったものが滲み出るのかもしれない。だからこそ、今をこれからをしっかりと生きねばならないのだろう。

 

「私は瑠美さんみたいな人が、看護師になってほしいと思うから」

(略)

「感じた疑問を口にして、きちんと答えを求めるような人よ。おかしいことをおかしいと言える人。常識というのはその場にいる人間で作られるの。だから常識が正しいことだとは、限らない。その場の常識だとか雰囲気に流されないでいられる人は、とても貴重だと思う」

 

 悲しいかな、常識に囚われないで生きている人は、世間では忌み嫌われる。

 そういう人間が社会に大きな革新をもたらすのだろうが、会社員にしても、教師にしても、看護師にしても、古い考え方をする人間が上に立っている限り、「おかしい」と抗議しても、組織の改善はきっと図られないのだろう。

(自分自身、まだ若く、社会経験がないに等しい人間なので、口だけ立派に「旧式の上層部はクソ。もっと頭を柔らかくしろよ」なんて言えない。言える立場じゃない。だから、控えめに)

 

 免許を手にして働きだすと、学生の間に感じたことを、日々忙殺される中で少しずつ剝がされていくのだろうか。剝がされて削られていくうちに、つるつるの何も感じない心の部分ができてくる。

「そうして心の無いナースのできあがり……」

 自分だって長い間仕事に追われて身体を酷使していると、いつかつるつるの心を持つのかもしれない。どんなこともひっかからないつるつるの心……。感情のこもらない目で患者を眺める医療者に、自分もいつかなるのだろうか。

 

 慣れは怖い。

 カミュの『ペスト』にて、「絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪い」というフレーズがあった。

 今時分、コロナウイルスの陽性者が毎日すごい数を記録しているというのに、外には多くの人が出歩いている。みなが自分は感染しないと思っている。なかにはマスクもしないひともいる。

 彼ら彼女らを私は批判できない。私自身、慣れている部分があるから。

 そういうふうに、慣れは思考を変える。

 大阪で初めてコロナウイルスの感染者が一名が出たと報道されたその日、マスクを忘れて京都まで行った。私はビクビクしながら車内にいた。

 そんなにも恐れていたコロナを、今はそこまで過剰に恐れてはいない。

 手洗いをときたまおろそかにすることだってある。

 

 看護師は常に患者の死に立ち向かう仕事である。

 懇意にしていた患者が死んでも、すぐに立ち直ってもらわないと仕事にならない。

恐ろしい。

 

 私が教師をしていて、似たようなことを思った。

 初めは生徒ひとりひとりの学力の向上のため、提出させたプリントを細かくチェックしてから、ハンコを押していたが、最近はその作業を怠っている。その理由はどれだけこちらが頑張っても、彼ら彼女らは勉強しようとしてくれないからである。もちろん、こちらにも非がある。もっと質のいい授業を提供しなければならないのだが、私自身、何だか折れちゃったところがあって……。ようは、初心を忘れてしまっているのだ。この状態が続き、これに慣れてしまったら、行きつく先はひどいものになると思う。

 

 ほかにも千夏が看護学校を退学するとなったとき、彼女は「ゼロになる」と言った。瑠美はゼロにはならないと言った。

 たとえば、教育学部に四年間通ったが民間企業に就職するとなったら、それは「ゼロになる」と言えるのか?

 いや、言えないと思う。

 どんな経験も、これから何らかのかたちで生きるのだと思う。

 

 でもって、最後の瑠美の答辞。

 引用だけさせてもらう。

 

 私たちはこの三年間、学生という立場で医療の現場に立ち合い、その清さも濁りも、この目で見てきました。医療の現場は壮絶です。人の生き死にの場ですから、もちろんきれいごとではすみません。その中で、自分がどういう仕事をするかということは、看護師としてというよりも人として、という問いかけになってくると思います。同じように看護師を目指していた友人に言われたことがあります。白衣は白い色をしているが、その白は潔白の白ではないと。どんな色にでもなり得る白なのだと。その友人は不幸な事故で一か月前に亡くなってしまいました。彼女の言葉を私は忘れることなく、社会に出ていこうと思います。今日卒業する六十二名の学生たちが、この先、何色の白衣をまとっているかは、それぞれの生き方にかかっているのです。

 

 勇気を与えてくれる一冊でした。

 

いつまでも白い羽根 (光文社文庫)

いつまでも白い羽根 (光文社文庫)

  • 作者:藤岡 陽子
  • 発売日: 2013/02/13
  • メディア: 文庫