三部けい『僕だけがいない街』
『僕だけがいない街』って漫画を読んだ。
ジャンルとしては、ミステリー×SF(タイムリープ系)
(今はやりの『東京卍リベンジャーズ』もそうだな)
けっこうおもしろかった
といえば、上から目線っぽいので
すなおにおもしろかった
個人的に、登場人物の信念とか価値観がきっちり描かれている作品は好きだな
ネタバレになるのであまり書くのは気が引ける。
(なるべくネタバレにならないように書くが、間接的にネタバレしちゃっているかも)
まず、主人公藤沼悟が小学五年生だったころの担任・八代学のセリフ(卒業式での言葉)
楽しい事 悲しい事 成功も 失敗も いっぱいあったね
小学校は今日で卒業だけど みんなはまだまだ足りない事だらけだ
それは この僕もだ
だけどその足りない「何か」を
埋めていくのが「人生」だと僕は考える
これは八代学の人生哲学であるそうだ。
心のなかに空いている「穴」を埋める
しかし、この行為は必ずしも善に傾くわけではなく、ときには悪に傾くこともある。
心のなかの「穴」を埋める行為としての
「善行=正義」「悪行=悪」が、作中できれいな対比構造として描かれていた。
私はそこがこの作品のすばらしい点だと思った。
……あと、話はそれるのだが、片桐愛梨というヒロイン(?)がいるのだが、彼女の友人の言葉に心打たれたので、そこも紹介する。
片桐愛梨は写真を撮るのを仕事にしていたのだが、上司から仕事に向いていないと言われ、退職する。そこで愛梨は「ゼロ地点から出直しだよ」と言った。それに対し、友人はこう言ったのだ。
「失敗」はゼロじゃないよ
自分次第で10にも20にもなる!
何度でもスタート地点に戻って 失敗を糧にやり直せばいいんだよ
(中略)
失敗は失敗でいいんだって
無駄にしなければね
例えば、自分がずっと絵描きを目指していたとして、自分にその才能がないことに気付き、途中で絵を描くのをやめてしまったとする。
じゃあ、今までの絵描きになるための費やしてきた時間は、努力は、水の泡になってしまうのだろうか?
いや、夢のために費やしてきた時間、努力はきっと糧になる。
けれど、もし自分でその時間を、努力を「無駄」と言ってしまったら、「無駄」になってしまうだろう。
よく、人は努力した過去を忘れ、自分の選択は間違っていたと嘆くことがある。
しかし、幸田露伴『努力論』には
「努力を忘れて努力する、それが真の好いものである。」
とあるように、努力を忘れて努力をしている状態こそ、いいものである。
もしかすると、自分は努力してこなかったと、錯覚しているのかもしれない。
だから、私は過去の自分を褒めることにする。
努力をしてきた自分に。
……何の話やねんってね