思弁癖
「蛇がにゅうめんを飲み込む様子というものが活写されてんね。田ア耕すとき、牛がサルを抱くようにやれなんちゅうけど嘘やで、丁目が出るか半目が出るかちっとも分からん状況で、わが銭を全部、突っ込む。そんな気持ちでひと鍬、ひと鍬、精魂こめて田アにうちつけていく。それがわいら無職の野良よ。ああん。どうも口から蛇が出てきて空に昇っていくわ。その蛇がにゅうめんを。回る回るシャッポ―が……」
熊太郎は不器用な男である。
町田康の代表作『告白』。
明治に起こった大量殺人事件、通称「河内十人斬り」をモチーフにした作品。
「人はなぜ人を殺すのか?」という重いテーマが、饒舌な語り手によって軽妙な筆致で描かれるおかげで一気呵成に読むことができる。
熊太郎は不器用な男である。
冒頭に引用した台詞は物語の主人公「城戸熊太郎」のもので、女の子たち相手に話した台詞である。
気持ち悪い、気味の悪いことを言っている。
これだけを見ればそう思うかもしれない。
だが、熊太郎は不器用な男で、何も女の子たちを怯えさせようと思って言ったわけじゃない。
熊太郎は単に女の子と話をしたかっただけなのだ。
「おお」と親しげに話しかければ、警戒されて、
「なにしてん?」と気楽に聞こえるように留意して話しかければ、恐れられて、
自分は怪しい者ではないと主張しようと、
「いまわしは、おい、っていうてへんで。おお、ちゅたんやで。おお。久しぶりやなあ、みたいなね、そんな挨拶。へてから、なにしてん? ちゅたんも咎めてんにゃあれへにゃで。それはごく、気軽な、なにげない人間としての興味でなにしてん? てたんねただっきゃで(後略)」
ますます女の子たちを怖がらせることになる。
熊太郎は頑なに怖がる女の子は、この前自分が奇妙な行動をとったからではないか? と疑い、そのときの弁明をする。
だからといって、女の子が安堵の息をこぼすことはない。
焦りに焦った熊太郎はその弁明に詳しい説明を加える。
そして、ついには冒頭に載せたような訳の判らんことを口走ってしまう。
俺は熊太郎の気持ちがよく判る。
「蛇がにゅうめんを飲み込む」などとキモいことは言わないが、自分の思ってもないようなことを口走ってしまうことがある。
熊太郎は子供の頃から「思弁癖」があった。
俺もひとりでいると思考ばかりしている。
語り手は熊太郎の「思弁癖」についてこう述べている。
まあ、子供のときに比べたら大分と言葉を覚えたが、それでも頭のなかでいろんな考えが渦巻いて、それが言葉をともなって口から出ていかないから、思いは不快に曲がりくねって、御所の蛇穴の蛇みたいなことになっている。
熊太郎の口から出た言葉は「思弁の毒」にまみれているようである。
俺も、頭の中であらゆる考えが渦巻いて、その思弁がねじ曲がったかたちで言葉が口から出ることが多々ある。
つらい。
最近は、俺がしゃべりながら、その一言一句変なことを言っていないか確認作業するための俺を心の中に用意している。
それでも変なことを口走ることがある。
熊太郎ほどではないが、突然、話の最中に「確定申告」と言ったり、「俺も最初は何時に家出たん?」と初対面相手の人に支離滅裂なことを言ったり……こわっ。
ホント何あれ?
頭の中にちりばめられた思考の断片があって、それらを集合させて、「言葉」を紡ぎ、それを声に乗せて出す。
俺は不器用だからそんな大層なことはできない。
だから、みんなすごいと思う。
トークがうまい芸人とかほんとすごい。
かといって、「話せない」ことを合理化してはいけないのは判っている。
じゃあ、どうすればいい?
俺なりに出した解決策は「素直な気持ちでいること」だ。
素直な気持ちの中には真っ直ぐな言葉が宿ると思う。
思考がめぐることない。
まっすぐだから。
そのためには「友情・努力・勝利」といった週刊少年ジャンプのスローガンを愛せるくらいの心の余裕を持つことからはじめようかな。
それで変わるか判んないけど。
でも、頑張る。
(引用文献)