生きづらさについて

「いい子」を演じ続けた結果、見失う生きる意味 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

 

 上の記事についてまとめていきたいと思います。

 まとめるだけです。

 自分の意見は排していますが、主に私はここに書かれていることに非常に共感いたしました。

 

【生きづらさについて】

 

 人間はつねに生存の危機と共にあった。戦争。飢餓、病気など、その生命をまっとうできない危険性がある環境で、「生きること」そのものが目的だった。

 しかし、社会が豊かになり、命に危険性がなくなると、「生きること」それ自体の意味を見つけることは難しくなった。

 社会が豊かということは、人が人生を賭して埋めるべき大きな「穴」がないということだ。そこで必要となるのが「自分の物語化」である。これまでの人生で連綿と起こって来たできごとに対して、自分なりの解釈をつけていく。(成功者はみな「生きる意味」を見出している。それは自分の物語の中で見出してきた。)

 誰からも褒められるいい子を演じてしまうと、一時的な承認を得られるが、それは自分のリアルな心根の部分を承認されているわけではないため、すぐにまた「誰かに褒められる何か」をしていないと不安になってしまう。このような、他人の感情を優先する生き方から脱け出す方法は、自分だけの「好き」を見つけて追求することである。

 明確な答えのない今の時代において、人の心を動かすのは「弱き者の物語」である。「弱い者」は支持されて、そこに登場するキャラクターは、どこか弱く、格好悪く、人間臭い。そのうそのないリアリティーこそが愛おしさの源泉であり、完璧でないわれわれに「それでも生きていていいのだ」と安心を与えてくれる。

「いびつさ」は、その人の真骨頂であり、本質的な魅力そのものだ。自分の弱さ、いびつさ、未熟で格好悪いところを認めて、それをも引き受けた「うそのない物語」は、ありのままの自分を「それでもいいよ」と肯定し、長きにわたって人生を支えてくれる「しなやかな強さ」をもたらすものになる。