Jam『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ』
本作は、Jゲームグラフィックデザイナー、イラストレーター、漫画家の三つの肩書を持つJamさんの著書です。
日常で怒る人間関係の悩みをかわいらしいネコちゃんを中心に描いた漫画がたちまと話題になり、それが本書『多分そいつ、今ごろパフェでも食ってるよ』です。
人間関係をめぐる、めんどくさいこと、しんどいことへの対処方法をいろいろと学びました。
それをいくつか紹介したいと思います。
基本的にかるーく描かれているので、すごくゆったりとした気持ちで読むことができました。
1.SNSのモヤモヤ
・SNSに写る幸せな姿。うらやましいと思う。しかしSNSで見る部分は氷山の一角で、一番きれいな部分だけを切り取っているにすぎない。映画で言えばハイライトの部分だ。主人公が波乱万丈な映画でも、一番いいシーンだけ抜き出して途中のシーンをカットしてしまえば、いい部分しか見えない。そこには写っていないだけで、そのキラキラとした一枚の写真になるまでに本人はすごく大変な思いをしたり、陰では血のにじむような努力をしてきたのかもしれない。そこに至るまでの過程を知ったら、「絶対に代わりたくない!」と思うかもしれない。だったら人の幸せをうらやましがる間に、自分の幸せのために頑張る方が早く幸せになれるかもしれない。
(インスタはやっていないんだけど、たぶん、インスタやってたら私死んでいる。なぜなら、インスタに投稿されているキラキラした日常の一コマは私にとって大いなる精神ダメージを与えるからである。しかし、そういったキラキラした日常の一コマの裏には、不断の努力ゆえの汗と涙が隠されているのだろう。……まあ、インスタは見ないな、きっと)
・SNSでは声を大にして自分の自慢や主張をアピールしたがる人がいる。そういう投稿を目にしては、「わざわざ書かなければいいのに」といちいち反応し、イライラしてしまう。しかし、ほんとうに嫌ならば見たらその場でブラウザバックでもすればいい。それでも無視できないでいるのは実は自分がそれを求めているからではないか。「忙しいアピール」を見る人は仕事に不安があったり、「幸せ自慢」を見る人は将来を焦っていたり、「愚痴大会」を見る人は自分も本当は言いたかったり。相手は自由に書いているだけだ。自分も自由に見るものを選べるはず。イライラするために、見る選択をしているのは自分だ。
(今度はTwitterの話。前のブログにも書いたけど、Twitterなんかやるもんじゃないよねってこと。インスタが幸せの詰まった宝石箱ならTwitterは愚痴のゴミ捨て場(言いすぎか?)。ひとって嫌な気持ちになると、その気持ちを外に吐き出したいと思うようになる。それがTwitterにおけるツイートとしての表現だ。だから、愚痴のゴミ捨て場と化してしまうのは致し方ないことなのだ。それが理解できれば、わざわざ酸鼻をきわめる愚痴のゴミ捨て場に来て、嫌な気持ちになる必要などないだろう。)
・何を言ってもつっかかってくる人がいる。何を言っても気に食わない人はいる。匿名なので好き勝手言える。そんなときは「いろんなひとがいるしね」と軽く流す。
(世の中いろんなひとがいる。信じられないような考えをもつ人間もいれば、神の権化のような優しいひともいる。いろんなやつがいる。「リンゴが好きだ」とツイートすれば、「俺、ミカン好きなんだけど」とつっかかってくるようなやつがいたり、「リンゴ好きにろくなやつはいない」と聞いてもないのに言ってくるやつがいる。そんな世界。だから、性善説を信用するのはもうやめて、逆に「いろんなひとがいて、おもしろいなあ」くらいの、ゆるい気持ちでいた方がいいのかもしれない。)
2.人間関係のモヤモヤ
・嫌なことをした相手は何をしたかも覚えていない。嫌な相手のためにどんなに真剣になっても、自分が気にした分だけ、相手も真剣に自分のことを気にしているわけじゃない。「あいつは今ごろパフェとか食ってる」と呟いてみる。
(いじめにおける被害者はいじめを受けたことをいつまでも覚えているが、加害者はいじめた事実をすぐに忘れるといった典型例。基本、ひとが嫌がらせをするとき、いつだって軽い気持ちでやっている。だけど、やられた側はそれを忘れない。忘れることはできない。今回の話はいじめじゃなくて、嫌味っぽいことを言ってくる相手への対処法だ。嫌味っぽいことを言うやつのことをいつまでも根に持つのは、なんだか人生損した気分にならない? ってことなのだろう。相手は「したこと」なんてすぐに忘れてしまっているんだから、こっちは真剣に考える必要なんてないよってこと。これは「嫌なことを言われた」レベルならいい対処法だろうが、いじめの問題になると話は変わって来るだろう)
・怒りを抱えているときは、自分の頭の中では相手と戦っているイメージだが、実際はシャドーボクシングで自分だけが頭の中で架空の相手と戦っている。
嫌な奴のために憎んで恨んだら、自分の方こそ嫌な奴になってしまう。だから嫌いな奴はできるだけ忘れた方がいい。
(憎しみは憎しみを生む。Aに何か嫌なことをされて、Aに復讐をしかけたとて、今度はAにとって自分が嫌な奴になる。そして、Aは自分をまた迫害しようとする。憎しみの連鎖は止まらない。これが大規模な形で現れているのが「戦争」なのだろう。)
・人を偏見で決めつけてしまうことがある。それは自分の真意ではない。だから、そんなときは、顔も名前も塗りつぶして、まったく知らない人のつもりで、もう一度その人の行動や言動を見てみよう。
(これができたらどんなに楽だろうか。どうしても嫌いな人と会うと、その人の嫌いな側面ばかり見つけてしまうものだ。その人がどんなにいいことをしていたとしても、その人が嫌いである以上、アップデートされることはない。なぜなら、その人への評価が固着してしまっているからだ。その評価がたとえ偏見で糊塗されていたとしても。一度、そのひとをまったく知らないひとと想定して、接してみる。難しいが、やってみる価値はあるか)
・キャラの決めつけはそのひとの見える範囲の言葉でしかない。決して相手のことをほんとうに理解したうえでの言葉ではない。
(「あなたは~だから」と決めつけられるのは気分的によくないことだ。相手よりも絶対に自分の方が自分のことを理解できているはずだ。そういう決めつけを言われた時は適当にあしらうのが一番なのかも)
・人に理解されたいと願う自分が、人を理解できているか考えると、正直理解できていないことがあると思う。
(これも前のブログで書いたが、100%自分のことを理解してくれるひとはいないのだ。逆にいえば、自分もまた相手を100%理解することはできない。それなのに、自分のことをちゃんと理解してよ!というのはおこがましい?)
・すべてのひとから「いい人」と思われる方法はない。万人に好かれなくて当然だし、自分もまたすべてを好きにならなくていい。そもそも人の評価なんてあいまいなものだし。
(私は「いい人」であろうとする。しかし、100%好かれる人なんていない。だから、「いい人」を演じ続けたってしんどいだけだ。ときには自己チューになってもいいんじゃないか?)
・もし本当に周りが常にあなたを噂していたり悪く思っているとしたら、それはもう有名人である。いつもあなたのことを考えてくれているということなので、あなたは超人気者ということになる。でも自分がそんなふうに誰かのことを常に考えていることなんてないだろう。
(この考え方いいな。道を歩いていて、誰もが自分を見てひそひそと悪口を言っている、といった妄想を抱くひとがいる。被害妄想のたぐいだ。実は、私も少し前、被害妄想が強い時期があった。しかし、今思えば、もし道を歩いているだけで、自分のことをあれこれ言われているとしたら、私、すげー有名人だな。ありえないな。)
・ひとりでいるときも優しい言葉を使うことを習慣化させる。犬に対して花に対して。そうすれば別の誰かに対しても自然と優しい言葉をかけられるかも。
(普段から、「氏ね」とか「うざ」とか「ふざけんな」とかひとりごとを言っているとすれば、ふとした瞬間にそういった言葉を使いかねない。だから日頃から、言葉の取り扱いには注意した方がいいだろう。)
3.職場のモヤモヤ
・話しにくい雰囲気を相手が作り出していることもある。(周りの方が未熟)だから、まず身近なひとに話しかけていくことが大切かも。
(わかる。話しかけんなオーラをめっちゃ出してくるひととかいますもんね。)
・目標は、目に見える高さからでいい。できるだけ自分に近い人を目標にしてみるといい。
(自分より上の人と比べると、自分の力のなさに絶望する。そりゃそうだろう。まずは、自分より少し上かなって人と比べてみよう。)
4.自分のモヤモヤ
・人から褒められても、素直に受け取らないのは、「お前は見る目がない」と言っているのと同じ。ありがとう、でいいいんじゃない?
(謙遜のし過ぎはよくないってこと。「あなたすごいね」と言われて、「そんなことないですよ」と言ってしまいそうになるけど、その言葉の底には「私はすごくないですよ、あなたの目は節穴ですか」という意味が内包していると捉えられかねない(まあ、まずないとは思うが)。だから、褒められたら素直に「ありがとう」と言えばいいんじゃないかな)
・気持ちが落ち込んだら、ここへ行けばすっきりするみたいなお気に入りスポットを見つける。
(神社とかね。そういう心のよりどころみたいな場所を開拓してみよう。)
・何もしない時間も、人生の大切な時間
(これはそう。ぼーっとするのも大事な時間だよ)
・過去を引きずったり、先の見えない未来が不安。だが、過去はもうすでに起こったことで、変えられない。しかし、未来を変えるために行動できるのは今しかない。
(未来の自分を変えたいなら、今の自分を変える必要がある。そういうことだ。世界は変えられないが、自分は変えられるはずなんだから。)
以上です。