話を聞かぬ野蛮人

 話を聞かない人がいる。

 

 Twitterでも話題になっていた言葉がある。

 

「バカでもわかるように説明に工夫したところで、そもそもバカは説明を聞いてない。」

 

 言葉は悪いが、まさにその通りだと思う。

 

 そうなってしまえば、言葉など無意味と化す。

 

 実際、人類みな話し合うということに真剣だったら、この世は平和であったろう。

 

 戦争など起こるはずもなかっただろう。

 

 戦争とは正義と正義のぶつかり合いだと人は言うかもしれない。

 しかし、それならば、双方の正義観を述べ、納得解を得られるまで話し合いをすればいい話ではないだろうか?

 

 別に私自身、戦争をなくすのは話し合いだ、などといった脳内お花畑なことを言いたいわけではない。

 理論上の話。

 机上の空論。

 

 ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』という小説をつい最近読んだ。

『十五少年漂流』のような無人島漂流ものの冒険譚と思いきや、人間の怖さを思い知らされる、なかなか残酷な物語だった。

 

 あらすじとしてはこうだ。

 

 

疎開する少年たちを乗せた飛行機が、南太平洋の無人島に不時着した。生き残った少年たちは、リーダーを選び、助けを待つことに決める。大人のいない島での暮らしは、当初は気ままで楽しく感じられた。しかし、なかなか来ない救援やのろしの管理をめぐり、次第に苛立ちが広がっていく。そして暗闇に潜む〈獣〉に対する恐怖がつのるなか、ついに彼らは互いに牙をむいた。

 

 

 あらすじからわかるように、登場人物(みな子ども)は二つに対立する。

 ラルフ派とジャック派である。

 ラルフ派は島で過ごすためにルールを取り決めたり、助けてもらうために火を絶やさず燃やし続けることを使命としていた。

 対してジャック派は狩りを楽しんだり豚の頭を掲げ血を求め始めたりしていた。

 いわば〈理性VS野蛮〉の構図。

 ラルフ派はジャック派に話し合いを求めるがジャック派はまったく取り合わない。

 こうなってしまえば、もうどうすることもできない。

 事実、ラルフ派はジャック派に迫害される。

 もうそうなったら逃げ回るしかない。

 

 しかし、残酷なことに、島の中で生き残るには、野蛮になるしかないのだ。

 どれだけルールを決めて、外部からの援助を待ったとしても、その援助がいつ来るのか(もしくは二度と来ないのか)わからない以上、島の中でサバイブすることが先決となり、ルールに意味を見出せなくなってしまうのは仕方ないこと。実際、ほら貝を持った人にのみ発言権が与えられるというルールがあったが、後半部ではまともに守られていない。

 

 し、か、し、だ。

 

 この世界は別に野蛮になることが賢い生き方ではない。捕まってしまうからだ。

(もちろん、島には刑罰はないが、どの国々でもだいたい刑罰はある。)

 ならば、理性的に生きた方が賢い選択だと思う。

 だが、理性的に生きるにしても、話し合いが成立しない相手というのはごまんといる。

『蠅の王』は架空の物語だが、ジャック派のように、自分のことだけを考え、ただ刹那的に生きる〈馬鹿〉は多くいる。

 そんなやつらに話は通じない。

(『進撃の巨人』の話。

 ライナーとベルトルトの秘密を知ってしまったために、マルコは立体機動装置(なんかすごい装置)を取り外され、その結果、巨人に食われてしまう。

 巨人に食べられる前に、放ったマルコの最期のことば。

 

 ――まだ……ちゃんと……話し合ってないじゃないかぁあああ

 

 このセリフ、なかなか重いんだよね。

 ほんと話し合うことで分かち合えるかもしれないのに、それをしようとしない。)

 

 人間に話し合いはできないのだろうか?

 ならば、なぜ人間に言葉が与えられた?

 コミュニケーションのためならば、ノンバーバルでも伝わる。

 人間以外の動物が感情剥き出しで喧嘩をしているが、人間も言葉いらずの感情剥き出しの喧嘩をしているんなら、言葉なんていらないんじゃないの?

 

 壮大な考えに至ったが、そんなふうにぼんやりと思ったのです。