松本俊彦『自分を傷つけずにはいられない 自傷から回復するためのヒント』

 小学生の頃にリストカットを繰り返す女の子がいた。

 当時の自分がどう思っていたのかはもう覚えていない。

 かわいそう、という思いよりも、なんでそんなことするの? と思っていた気がする。

 大学生のころにひょんなことからSNSのTLにリスカ跡の写真が流れたのを目撃し、眉根をひそめた記憶がある。

 自分つらいですアピールじゃん、そんなことを思った気がする。

 

 ようは私はリスカに対して不快感情を募らせるような人間だったのだ。

 だが、今は教師という立場上。今後生徒の中でリストカットに走る生徒がいたら、どう対応すべきなのかということを考えないといけない。

 ということで、本書を手に取り、読んだ。

『自分を傷つけずにはいられない 自傷から回復するためのヒント』

 自傷行為をする人のための本だ。

 筆者の松本俊彦さんは精神科医の先生で、たくさんの心の傷を持った子どもたちと接してきたという。

 いったい、自傷する人たちはどんなことを考えているのだろうか。どんな言葉がけをすればいいのだろうか。そんなことを考えながら、読んだ。

 

 

 

1.自傷とは

 まず、自傷の方法について。

 以下のような例が挙げられる。

・刃物で皮膚を切る

・火のついたタバコなどで自分にやけどをさせる

・自分を殴る

・自分の身体を噛む・かじる

・鋭利なもので皮膚を刺す

・手や指をホチキスで傷つける

・頭を壁にぶつける

・硬い家具などに身体の一部をぶつける

・注射器で瀉血する

 自傷する身体部位については、手首と腕が多い。「掌」「手の甲」「太もも」「脛」「胸」 「腹」などもある。道具については「カッター」「カミソリ」がオーソドックスで、「ナイフ」「壁」「コンパス」「筆記用具」「爪」「歯」などが挙げられ、どれもいのちに関わるような方法ではない。ここが自殺とは違うところだ。自殺の方法は「縊首」「飛び降り」「乗り物に飛び込む」などの一瞬で死ねる方法が一般的だろう。

 自傷は「死ぬという目的を成就させるには効率の悪いもの」である。つまり、「死んでしまいたい」という思いから自傷に走るわけではない。だから、「ほんとは死ぬ気なんてない」というの正しくて、むしろ、自傷する人自身、死ぬことはないと予測して自傷しているのである。

 では自傷する理由は何だろうか?

 よく「つらいアピール」だとか「かまってちゃん」だと言われる。関心を集めるために自傷をしている、と。果たしてそうだろうか?

 研究によると、繰り返される自傷の約96%はひとりぼっちの状況で行われるということがわかった。そして自傷を行ったことは誰にも報告されないのだ。

 つまり、自傷は周囲の関心をひくのではなく、むしろ、周囲の目を避けて行われるものであると言えるだろう。

 では、今度は自傷行為の理由について述べていく。

 筆者の調査によると、約6割の人が「不快感情をやわらげるため」と挙げている。

 不快感情とはつまり、「激しい怒り」「不安感」「緊張感」「絶望感」「名状しがたい感情」など、自分では手に負えないつらい気持ちのことで、こういった感情を吐露する人は少ない。つまり、誰にも助けを求めない、相談しない。自傷とは周囲へのアピールというより、孤独な対処法だと言える。

 相談しない理由は何か?

「自分には価値がない」「自分は生まれてくるべきではなかった」「自分なんか生きてちゃだめだ」という思い込みが彼らにはあるからだろう。誰かの時間を自分のために費やせてはいけないと考えている可能性もあるし、過去に助けを求めたが、何も助けてくれなかったという過去があるのかもしれない。

 筆者のもとにたずねてきた患者さんの中には、「自傷は安定剤」とか「血を見て安心する」と言う人もいるという。

 自傷がもたらす、苦痛が和らぐ感じ、安堵感・解放感と思う、それくらいに毎日の日常がつらいのではないか?

 筆者はそう思っている。(ここに自傷の危うさがあるのだが、これについては後で言及する)

 実は自傷する人の中にはアピールをする人もいる。

 筆者の調査によると、2割ほどが〈ひとにわかってもらいたい、気づいてもらいたい〉〈誰かに自分のつらさを思い知らせたい〉〈誰かの行動を変えてもらいたい〉といった思いを持って自傷をしているそうだ。

 他人の存在を意識した自傷

 これは人に言葉で伝えるのが苦手で、自傷の方が楽だと考えているからだろう。

「自分には価値がない、自分は誰からも必要とされていない」

 そう思っていたら、周囲が自分の意を汲んで動いてくれる状況をうれしいと感じる。

 自分はここにいてもよいのだと思うようになる。

 自分がつらい状況にあっても言葉で人に助けを求められないという人ならば、自傷することで助けが得られる可能性もある。

 だが、もともとは「不快感をやわらげるため」に自傷していたはずだ。

 アピール的な自傷はあくまで孤独な対処策としての自傷エスカレートする中で、二次的に派生するものであり、本質が「孤独な対処策」であることに変わりはない。

 自殺が「最終的な唯一の脱出口」だとすると、自傷は「正気への再入場口」だ。

 自殺は苦しみから逃れられる方法である。意識活動を終わらせれば、今抱いている苦痛や悩みから逃れることができる。それはちょうど出口を巨大な岩石でふさがれた暗い洞窟の中でやっと見つけた一条の光に似ている。その光の差し込む穴は外界に続いている。その穴を掘り広げれば、光に満ちた安心できる場所に行ける。意識の視野は〈死という脱出口〉に向けて収斂し、ほかは一切目に入らない。周囲の声かけや心配の声も届かなくなる。これが自殺であり、自殺者の心理である。

 対して、自傷は〈正気への再入場口〉である。

 死にたくなっても、つらいと感じる意識状態を変化させることができるのだ。

 冷静さを取り戻すための行動。激しい感情をコントロールするための行動。周囲に自身の苦境を伝え、援助を要請する行動。それが「自傷」。

 意識状態の変化と同様、一時的に困難を解決もしくは緩和する効果が期待できる。

 ただし、死ぬためにリストカットする人もいることも忘れてはならない。

 また、小学生や10代前半などの、今まで大きなけがや病気をしたことがなく、どれくらい自分のからだを傷つけたら生命的な危機に瀕するかが十分に理解できていない子たちは、客観的には軽傷の傷であっても死ねると思っている。この場合は自殺だと言えるだろう。

 以上のことから自傷と自殺の区別は「生きるため」が「自傷」、「死ぬため」が「自殺」だと言えよう。

 最後に自傷の定義について。

 

 自傷とは、自殺以外の目的から、非致死性の予測をもって、故意に自らの身体に直接的に軽度の損傷を加える行為のことであり、その行為が心理的に、あるいは対人関係的に好ましい変化をもたらすことにより、その効果を求めて繰り返される傾向がある。

 

2.心の痛み

 飲酒・薬物乱用・ギャンブルがやめられない理由は「そうした行動が本人に何らかのメリットをもたらす」からである。

 メリットとは、快感・陶酔感・痛みや不安、不眠、つらい感情、苦痛をやわらげるといったものだろう。

 同じように自傷も何らかのメリットがあるからやめられないのだ。

 典型的な自傷の理由は「不快感情をやわらげる」ためであった。つまり、見方を変えると、「自傷は鎮痛薬のようなもの」だと言えそうだ。

 過去のつらい記憶(思い出したくない記憶)に縛られ、振り回されている人にとっては、自傷は頼りになる頓服薬である。パニックを自傷によって落ち着きを取り戻すのだ。

 

 自傷する人の信念は以下のようなものである。

 

「人に助けを求めても無駄だし、人なんかあてにならない。というのも、人は必ず私を裏切るからだ。でも、リストカットは決して私を裏切らない。カッターナイフさえあれば、私は何があっても自分を見失わず、自分をコントロールできる」

 

 自傷する人にとってつらい記憶は蓋をされている状態にある。その出来事は自分の生活史から削除されてしまっているのだ。だから、その出来事は自分のなかで意味づけがされていないし、現実か夢かすら定かではないのだ。まさに意味不明の情景。その情景は心を凍りつかせ、パニックに陥れる。自傷する人が切っているのは皮膚だけではなく、意識の中で、つらい出来事や記憶やつらい感情の記憶も切り離し、何もなかったことにしていると言える。

 

 ここで「心の痛み」と「身体の痛み」について述べる。

「心の痛み」とは「自分では説明できない、そして、コントロールできない痛み」のことだ。それは一刻も早くその痛みから意識をそらさないと、混乱した自分が何をしでかすのかわからない、いますぐにでも死にたいという衝動に駆られかねないものである。

 そんなときに身体の痛み=自傷が役に立つ

 同じ「痛み」という強い刺激によって意識をそらすことができるようなのだ。

 この身体の痛みには、心の痛みには違いがある。

 それは「自分で説明することができ、コントロールできる痛み」であるという点だ。

 

3.自傷と他者

 

 自傷をしてしまった、という子にどんな対応ができるか?

 前述した通り、自傷するのは、少なくともその瞬間の苦痛を潜り抜けるのにほかによい方法、解決策がなかったからだ。だから、やむなく自傷をするわけで、死ぬよりはましな行為だと言える。

 だから、「自傷なんてやめろ」という声かけではなく、むしろ自傷をしたことを告白したことを評価してあげるべきだろう。

 だからといって、これから長い人生、つらいことがあればそのたびに自傷をするなんていう生き方はよくないことだろう。それは根本的な解決ではなく、一時しのぎだからだ。

 自傷をすることで一時は生き延びることができても、つらい現実が変わることはないのだから。

 

 そもそも皮膚を切るメリットとはなんだろう。

 皮膚を切ることで、つらい出来事やつらい感情の記憶も切り離すと述べた。

 切るメリット、それは短期的にも困難な現実を生き延びることを可能にするということだ。ただ、「短期的」。長期的に見れば、本人を取り巻く現実はかえって過酷なものになる。自傷エスカレートしやすいもの。麻薬と同じだ。同じところばかり切ることでやがて痛みを感じなくなる。そして刃は次なる傷のないきれいな皮膚を抉り取る。そうなってしまうと「切る」ことに慣れ、心の痛みから意識をそらすのに自傷が役立たなくなってしまう。そうなると、今度はカッターではなく、コンパスをぶっさすとか、火のついたタバコを押し付けるとか、新たな痛みを求めるようになる。

 自傷で自分をコントロールするつもりが、自傷に自分がコントロールされてしまっている事態。主客転倒。

 自傷が目立つようになると、やがて周囲をコントロールするようにもなる。「大丈夫?」と声をかけてもらえるようになるかもしれない。これまで攻撃してきた人は攻撃を躊躇するようになり、厳しい人が優しくなるかもしれない。そのとき自傷は武器として働く。こうなると、自傷している人はこれまで「自分は誰からも必要とされていない」と自己肯定感が地を這うレベルに低かったのが、「自分は誰かから必要とされているかもしれない」と考えが転換するようになるだろう。「消えたい」「死にたい」「いなくなりたい」という思いがふわっと消え、もう少し生きてみようかと思えるようになる。

 だが、自傷に慣れがあるように、周りも慣れてしまう。すると、「またあいつ自傷しているよ」的なリアクションに変わる。めんどくさ、とか思うようになる。武器が武器ではなくなる。

 そうなると危機だ。

 やっと「自分は誰かから必要とされている!」と思えたのが、急転直下。「生きるための」自傷が「死ぬための」自傷に変容する。危険な状態だ。

 以上のことから、自傷行為「死への迂回路」と言える。

 

 次に、自傷と他者の関係性について考えていきたい。

 自分を傷つける関係性について。3つある。

 まず、①否定される関係性。

 人はだれしも自分を否定される体験を繰り返しすると、自分を嫌いになりやすく、その結果、自分を大切にできなくなる。自分の身体を傷つけることに対するハードルもどんどん下がっていく。その意味では、そのような相手を否定する人との関係を続けること自体、自傷的である。

 褒めてほしいのにダメだししてくるとかそういった相手、といえばわかりやすいだろう。

 

 次に、②支配される関係性。

 自分の意見の主張を許さないタイプのこと。自分が相手の意見とは異なるものを突き付けてしまったとき、相手は不機嫌になる。そして、ものすごい勢いで反論する

 最終的に自分は相手に屈服してしまう。

〈否定+屈服・服従・隷属〉の構図。

 支配される関係性の相手は、しばしば嫉妬深く、束縛が強い人だ。

 他者からの支配を受け容れるということは、自分の感情や欲求を押し殺して、相手に合わせることを意味する。それはそのまま「つらい環境に過剰に適応するために、身体の痛みで自分の感情に蓋をする」という自傷と同じ構造だと言える。

 

 最後は、③本当のことをいえない関係性。

 否定されたり、支配されることで、最終的にそれらは人を嘘つきにする。

 嘘とは、自分を守ること。

 問題は、いつも嘘をつかないと維持できない関係性にとどまり続けることだ。

 はたしてそのような関係性は、あなたにとって安全で、安心できる関係といえるのか?

 ほんとうの自分を見せたら嫌われるのでは? と不安を口にしない

 自傷するひとのなかには恋人から優しくされると、裏があるのでは? と思う。

 いつか自分を裏切るのでは? と思う。優しくされるのに慣れていない

 ほんとうに自分を大切に思っているのか、どこまで自分を受け容れ、許してくれるのかを確認しようとわざとわがままをいったり、相手の嫌がることをしたりする。

 どうせこいつも私を捨てるのだと思い込み、ふられるくらいなら降った方がましと唐突に別れ話を切り出す。

 カウンセラーに対してもそう思う傾向があるそうだ。

 どうせこの人も自分を見捨てる、と。

 自分のような価値のない人間は優しくされる資格はないし、きっとこの人も迷惑だろう、そんなことを思うそうだ。

 孤立している女性は、自分を否定し、支配するような「問題を抱えた危険な男性」に引きつけられ、吸い寄せられてしまう傾向がある。

(トー横キッズというティーンエージャーが最近話題だ。量産型女子とか地雷系女子とかそういった系統の女子が多くたむろしている。ホストに大量の金を貢いだりしているそうだが、その異常性に気づくことなく、彼女たちはトー横を心を落ち着かせるサードプレイスだと思ってしまっている。彼女たちの生育環境の悪さも彼女たちをそうさせているのかもしれない。そして、そういった女子の中にはリストカット常習者も多くいる。そういった子たちがホストにはまる……「問題を抱えた危険な男」に引っ掛かる。)

 

4.自傷の観察

 

 自傷は「死への迂回路」と述べた。

 さて、今度は「迂回して稼いだ時間を使って、どうやって生き延びるか」ということを考えていきたい。

 

 まず、自傷の状況を観察するということ。

 

 自傷の動機は前向きであると述べた。(苦痛から意識をそらして、いまを生き延びるために、感情の暴発を押さえ、自分をコントロールするというメカニズム)

 一番の問題は、何よりも本人を取り巻く、自傷せざるを得ない現実の状況や環境であり、そのような状況や環境に激しく揺さぶられている、本人自身の不安定な感情の状態。

 まずは、自傷に対するコントロールを取り戻していかなければならない。

 だからまずは自傷の状況を観察するのだ。

 何がつらくて切ったのか、何が苦痛の原因なのか、が当の本人にもわからないことが少なくない。自傷する人は皮膚を切るのといっしょに、つらい出来事の記憶やつらい感情の記憶を意識のなかから切り離し、「なかったこと」にしている。また、そのようにして、いわば「心の痛みに蓋」をしてきたせいで、「悲しい」「さびしい」「ムカついた」といった感情語が退化している。表現する言葉がなければ、私たちはその感情を自覚することはできない。だから、言葉を探すのだ。感情の正体を具体的につきつめるのだ。

 

 最初に着手すべきは情報収集。

 自身の自傷を観察し、その特徴に関するデータを集める。

 まず、傷つける部位。

 腕だったら「イライラを抑えるため」とか「不快感情をやわらげるため」とかいう理由がある。習慣性もあって、解離(記憶が飛ぶ)もある。

 対して、手首の場合、習慣性や解離はさほど目立たない。が、これまで自傷した回数が比較的少な傾向がある。つまり、死ぬことを目的にしている可能性が高いということだ。

 服で隠れる部位への自傷と服で隠れない部位への自傷の二パターンがあるが、後者の方が深刻だ。混乱した状態だと言える。人に見られるかも、とは思い当たらないのだから。

 

 次に、どのような方法で自傷をするか。

 カッター カミソリ タバコ ライター 壁 硬い家具 コンパス シャーペン

 次は、どういったふうに?

 切る 突き刺す やけどさせる 硬いものに身体の一部をぶつける

 

 傷つける前にみられる考えや行動はどうか?

 

 自傷のきっかけ:怒り・絶望・恥辱感

 認知:仲間外れにされている 私は汚い 私の存在は迷惑

 

 衝動を自覚してから実行までの時間は?

 自傷したいと感じてから実際に切るまでの時間はどのくらいか?

 短ければ短いほど、自傷に対するコントロールを失っている。

 学校で嫌なことがあっても、自傷にいたるのはだいたい自宅だろう。

(学校で自傷をするとなると、かなり深刻だと言える。)

 

 傷つけたあとの気分・感情の変化はどうか?

 不快感情がやわらいだかどうか 自責の念を感じていないか

 

 以上のようなことを観察し、言葉にして記録しよう。

自傷日誌」だ。

 自分の力で自傷をコントロールするには、自分がどんなきっかけ(トリガー)で、自傷してしまったのかを十分に把握する必要がある。だが、トリガーを同定するのは難しい。自傷の理由として何らかのつらい感情を自覚していた人も、自傷が習慣化するにしたがって、自傷のトリガーとなった出来事や、そうした出来事によって生じた苦痛を自覚しにくくなってしまうからだ。

  実際、習慣的に自傷を繰り返している人に、そのきっかけを聞くと、「何か強い感情に襲われて、急に『切らなきゃ』って考えで頭がいっぱいになってしまう」と説明する。

 だからこその自傷日誌だ。

 

「行動記録」「時刻」などの項目がある。

 行動記録:一日の状況を記録。

 時刻:何をしていた? 誰といっしょにいた? 自傷をしたくなったかどうか(また、自傷をしたか)→自分を大事にしない行動

 そして、「1セットごとの切る回数」なんていう項目もある。

 

 本人がどのような状況で、どんなことをした後に、あるいは、誰と会ったり話したりした後に、自傷したいという衝動に駆られたり、実際に自傷におよんですまうのか――つまり、自傷のトリガーが明らかになる

 1セットごとの切る回数から、さまざまなトリガーのなかで、特に自分に強い影響を与えるトリガーが何であるのかも、明らかになる。

 トリガーが同定されれば、どのような場面や状況を避けた方がいいのかが見えてくる。

 同時に、どんな状況ならば自傷したいと思わず、また、実際に自傷しないですむのかも見えてくる。さらに、トリガーに遭遇した場合には、自傷の衝動から気持ちをそらす試みに挑戦することが可能となる。

 

 自傷日誌により、トリガーを探すことが可能になる。

 浴室・トイレで自傷したとなると、それはひとりになれる空間を求めていることになる。感情が不安定なときはなるべくひとりにならないようにするという対策を立てることができる。また、深夜に自傷をしているとなると、朝型に切り替えるという対策が立てられる。

 そのとき自分がどんな感情を抱き、どんな考えにとらわれていたのかを思い起こしてみる。おそらくそのなかで、何が自分にとってつらいのか、何が自分を傷つけるのかが見えてくるはずだ。

 

 次にアンカーもさがしてみよう。

 自傷していない時間帯・場所・状況・いっしょにいた人物を探すのだ。

 そういった情報から「自傷の衝動から気をそらしてくれる」効力のあるものを探し出すことで、少しでも自傷を遠ざける努力はできそうだ。

 

 以上のように客観的に自分を見ることで、自傷行為をやめる方法であったり、自分が何に対して悩んでいて、何がつらいのかといったことを理解することができる。

(思うに、結局、つらい気持ちって言葉にすることで救えると思う)

 

 次は置換スキルについて。

 自傷行為の置換。

 自傷以外におきかえるということはほかの方法で気持ちを切りかえるということだ。

 感情の波から一時的に意識をそらし、置換スキルによってその強烈な感情をあなたに扱える程度に小さくするということでもある。

 置換スキルには二つある。

 まず、刺激的置換スキル。

・思考ストップ法(トリガーに遭遇したら心の中で「ストップ」と叫ぶ)

・スナッピング 手首に輪ゴム 輪ゴムでパチン

・香水をかぐ

・紙や薄い雑誌を破る

・氷を握り締める

・腕を赤く塗りつぶす 血を見るとほっとするタイプ

・大声で叫ぶ

・筋トレ

 

 もう一つは鎮静的置換スキル。

 これは過去や未来へのとらわれを離れ、自分が『いま、ここに』存在していることに集中している状態(マインドフルネス)を得ることを目標とする。

①筋トレをしながら深呼吸

②深呼吸をしながら瞑想

③気持ちを文章にしてノートに書く、絵を描く、楽器を演奏する、音楽を聴く

 以上のような方法が本書には書かれている。

 

 最後に、いろいろ対処してみたけど、結局切ってしまったらどうするか? 考えてみる。

 まずは早急に手当だ。

 だが落ち込まなくていい。

 最初からうまくいくわけではない。それよりも、すぐに自傷してしまうのではなく、ほかの方法を少しでも試そうとしたということは、それだけで確実に回復へと近づいている。まずは最初の一歩を踏み出した自分のことを褒めてあげよう。

 

5.自傷からの回復

 現在の生活を見直すことについて。

 自傷の背景にある過去から連綿と続く問題を、時間を遡ってひとつひとつしらみつぶしに解決していくのは不可能だ。過去のつらい体験やつらい感情の記憶は、蓋を開けようとして開けられるものではないし、強引に蓋を開ければ、その強烈な痛みのせいで、これまでなんとか生活をしてきたのに、できなくなってしまうかもしれない。

 過去にさかのぼっての根本的な解決には、時間とタイミングが必要だ。

 しておくべきなのは、現在の状況を整備すること。

 脳と心のコンディションを整え、生活の状況を安全で、安心なものにすること。

 これに尽きる。

 

 自傷するひとにがんばり屋が多い。

 自傷する人は褒められ依存症の傾向があるのだが、それは「周囲の期待を裏切ってはいけない」「期待を裏切ると、自分の居場所がどこにもなくなる」という切迫した気持ちがあるからだ。それによって、どんどん自分で自分にプレッシャーをかけることになる。なかなか難しいかもしれないが、60~70%くらいの力で、もっとエコに仕事や勉強をこなすくらいの心持になれたらいい。

 

 人付き合いはどうするか?

 まず、嫌な人に対して。

 怒りを感じるのは当たり前。

 逆に怒りの気持ちを押さえつけ、何も感じなかったことにしてしまうのはイケナイし、そんな「悪い感情」を抱いてしまった自分に罪悪感を抱いたり、自分を責めたりすることこそ、異常で不健康だ。

 怒ることはきわめて健康的な行為だ。

 

 苦手な人に対して。

「褒められ依存症」が顔を出し、「こんなに頑張っているのに全然褒めてくれない」と、内心腹を立てるとともに、「私はあの人を失望させているのだろうか」という不安も抱いていて、それが苦手意識として自覚されている。

 だから苦手な人を同定し、その理由を自分で分析してみよう。そういったふうに客観的に相手を見て、心にゆとりをもつが何よりも大事なのだ。

 

 SNSを見ても気分が沈む

(これはわかるわ)

 きれいな写真、楽しそうな写真というのは「おしゃれ」で「はなやか」なものだったり、「仕事・私生活の好調ぶり」が遠慮なく写し出されていて、見るだけで辟易する。そして劣等感に苛まれる。

 しかし、だ。それらの写真は現実を公平かつ客観的に反映したものではない。多くの人たちが、インスタグラムなどで発信している情報は、本当の現実ではなく、明らかに「盛った」現実、自分の生活の中で人に自慢するに足る題材、自分の幸せさをアピールできる一場面だけを慎重に厳選して投稿している。少なくともTL上では、みじめなエピソードや失意の体験、平凡で退屈な日常は、周到に隠蔽され、最初から存在しなかったことにされているのだ。

 そう思ったらどうだろうか?

 気持ちは少し楽になるだろうか?

 

 SNS関連でもう一つ話がある。

 自傷を売りにするSNSはやめた方がいい、ということだ。

 理由は、「周囲の期待にこたえることが自傷になるから」だ。

 自傷の写真、自傷する様子を克明に記録した動画や。自傷を礼賛するブログはみない。

理由は、自傷したい衝動を刺激するから、だ。

(私はかつてTwitterリスカを毎日載せている人のツイートを目撃したことがある。不特定多数の人間が見るTwitterでそんな投稿をしているのを見ると、正直不快感はあった。だが、リスカをしてしまった人たちからすれば、助けて、のSOSのサインをインターネットの海に投げ出したのかもしれない、と今なら思っている。)

 

6.最後に

 最後は周囲の人間へ。

 

・「自傷をやめなさい」はやめる

 自傷する人は、誰かから頭ごなしにいわれたり、決めつけられたりするのが苦手である。管理的・支配的な発言が苦手なのだ。あくまでも対等的な立場で、そして本人が体験している苦悩に関心を抱いていることが伝わるような姿勢で「何があったのか?」と静かに尋ねていこう。

※初めて、その子が自傷をしていると知ったとき、難しいことだが、驚いたり、怖がったり、怒ったり、拒絶的な態度をあまりとらない方がいい。なるべく医学的な反応――外科医のような態度を見せないといけない。つまりは、冷静に対処せよってこと。難しいけど。

 

・「正直に話してくれてありがとう」

 自傷の本質は「誰にも相談せず、誰にも助けを求めずに、感情的苦痛を緩和すること」にある。自傷を繰り返す人は援助希求能力が乏しく、自傷経験のある人が将来における自殺志望のリスクが非常に高いのは、自傷そのものが原因ではなく、つらいときに誰にも助けを求めないという行動パターンが原因である。

 自傷を告白するということは「自分を傷つける生き方」から一歩前進するということだ。だから、自傷を告白されたら、「正直に話してくれてありがとう」と言おう。

 

自傷の肯定的な面を確認したうえで共感 

 自傷の効果的な作用(前述)を認め、承認する。

「そうやってつらい毎日を過ごしてきたんだね」と言ってあげる。

「困難を生き延びてきたこと」に肯定に力点を置くのだ。

(共感は人を救う)

 

自傷エスカレートする懸念を伝える

 自傷の効果的な作用を認めたとしても、自傷を続けていいとはならない。

「あなたのことが心配だ」と伝えよう。

 自傷で一時しのぎを続けることの危険性を伝えるときは、謙虚に伝えよう。

 自傷の効き目が弱くなって、自傷エスカレートすると、「身体の痛み」で「心の痛み」に蓋をすることを続けることになり、感情語が退化して、ますます消えたいとか思うようになる。死んでしまいたいと考えてしまう。

 あなたがそうなったら、心配だという意志をしっかりみせよう。なるべく謙虚に

 

 自傷とのかかわり方というのは、教育者の立場からすると、押さえておきたい事柄なので、ここまでなるべく丁寧にまとめてみた。

 だが、本書にはまだまだ細かい話がずらりと載っている。難しい話もけっこうあったので、また本書をじっくり読み返さないとな、と思った。