沈殿を見よ

 カルガモの親は子を殺すことがある。

 

 トリビアの泉みたいな書き方をしたが、事実だ。

 YouTubeで検索をかけたらヒットする。けっこうショック。

 種の存続のために必要な行為だというが、実際、それを目の当たりにしたら衝撃だろう。

 しかし、それはあくまで人間サイドがカルガモの親子を「かわいい」ものと勝手にとらえていたせいであり、カルガモサイドからすれば子殺しは恒常的に行っていたのであって、人間がカルガモの子殺しを知り、裏切られたような気持ちになるのはきわめて滑稽である。

 事実として、ずっとそこにあったのを、ある一面だけの景色を抜き取って、それを「かわいい」と評し、それこそ「すべて」だと思い込んでいた人間側に問題がある。

 まさに試験管のきれいな上澄みばかり見て、沈殿物を見ないような……このたとえどうだろうか?

 

 Instagramにしても、きれいな景色を撮った写真をアップしたり、楽しそうなパーティーの写真をアップしたりしているが、その一瞬の画に幸せが詰まっていて、現状の生活に納得がいってないひとがそれを見れば憂鬱まったなしなのだが、Instagramを撮った側は日々しんどい思いをしてきて、やっとたどり着けた「至福のとき」を撮影したのかもしれない。

 

 とても楽しそうに笑うあの人も、ついさっきまでは失意のどん底にいたのかもしれない。

 

 抜き取られたものがいかに幸せに見えようと、それが永遠に続いているであるはずがない。それなのに抜き取られたものが永遠であると勘違いしているひとが非常に多い。