氾濫する批判

最近、何が正しいのか間違っているのかわからなくなっている。


今回の政府の対応について俺も思うところはあるが、なんか何でもかんでも批判しようとする人が多すぎじゃない?と思う。

マスク配布に批判、まあわかるが

10万円給付で文句言う人、その給付が申請制であることに文句言う人、学校の長期休暇に文句言う人、自粛要請に文句言う人、テレワークに文句言う人、自粛しない人に文句言う人。これは正しい批判、これは間違ってる批判と峻別するのが億劫なくらいたくさんの批判が氾濫してる。


もう何が正義かわからなくなって来た。

結局、蟄居生活のストレスをぶちまけたいという心理的カニズムが働いているのだろう。みんな必死なのは分かってる。

最近見た批判の中で驚いたのは、自粛要請が人々の性善説に基づくものだからダメみたいな批判だ。

もうどうすりゃいいんだよ。

昨日の梅沢富美男の批判には首傾げるし、今日の尾木ママの批判にも首傾げる。具体的に書くのも憚られるくらい、エネルギー奪われるような内容だから中身は書かない。

批判は誰でもできるんだよ。 

問題は代替案を提示できるかってことだと思う。

原発廃止とか言いながら原発をなくした後どうやって電力を賄うのか代替案を示さないやつらとかいるけど、そういうのってただ批判したいだけじゃない?って思ったりする。

批判するにはある程度責任を持つべきだと思う。最近はツイッターとかで気軽に呟けるようになったから思考停止でも批判できるようになってしまった。中には確かなソースもなしに批判するやつもいる。まあそれが判明したらツイート消せばいいからな。でもテレビに出て批判する人はそれができない。だからツイッターの中でしかしゃしゃりでることのできない自称批評家なんかより、テレビに出て批判してる人の方が偉いと思う。そういった意味でも梅沢富美男とか尾木ママは、匿名のチキンよりも上。ツイッターで粋がって世界を知悉したかのようになって批判批判批判の人間には軽蔑する。

 

まあ俺もこうやって匿名であれこれ書いてますが。こういうのってダブスタの範疇?  グレイゾーン?  批判マンを批判だけどこれはあくまで批判マンを悪玉と捉えた結果の批判だから、と色々考えたら頭痛なってきた。

 

もうやめよう。


愚痴ばっかいってもしんどいだけ。

 

楽しいこと考えよう。

例えば、家に大きなミケ猫がやって来て「キャツミー!」と言い出し、気がつけば猫の世界にいて、スレンダーなペルシャ猫に「お願い猫の世界に希望を取り戻して」って言われて、一本の巨大な猫じゃらしで、なまぐさいネズミたちを排除する、そんな夢想をするとか。