サメくんの苦悩

 
 キンコンカンコン

 

 チャイムが鳴りました。予鈴です。

 ボクは急いで教室に向かっています。

 

 ウウン ウウン ウウン

 

 間に合いました。

 

 ボクの席にイカくんがいました。

 

イカくん。そこはボクの席だよ」

「ああ、ごめん。サメくん」

 

 イカくんの姿を見るのは久々で、約二週間ぶりです。白い体に10本の足。うねうねと体を動かしています。ボクはみんなに見られているのに気づき、教室を見渡しました。すると、みんな、見てはいけないものを見てしまったかのような反応をして、すぐさま目を背けました。

 

 仕方ないことです。

 

 ボクは怖い顔をしているのだから。

 

「元気出してよ。サメくん」

 

 イカくんだけが唯一の友達です。

 

 担任のアンコウ先生が教室に入って来ました。

 

「今日もいちにち頑張るんだぞ」

 

 そんなことを言いました。

 頑張るんだぞ、と言われても困ります。

 

 ウウン ウウン ウウン

 

 ボクが眉をひそめていると、イカくんは「元気出して」と言ってくれました。

 

 アンコウ先生はボクとイカくんを見て、困ったような顔を向けました。

 やはり、ボクの味方はイカくんだけです。

 

 昼休みに入りました。

 隣の席のタコくんがどうやら弁当を忘れてしまっているようです。

 

「ボクの弁当食べる?」

 

 ボクはそう言いました。

 するとタコくんは怯えたような顔をして、「いいよ」と言いました。話しかけて欲しくないみたいです。

 

「それならボクにちょうだい」

 イカくんは能天気なことを言います。イカくんもまた弁当を忘れたようです。

 

「ごめんね。昔は仲が良かったのに」

 タコくんは言いました。

 

 そうです。ボクとタコくんは親友でした。

 

「じゃあ、ボクの足でも食べる?」

 

 イカくんはまた能天気なことを言いました。

 

イカくん!」

 

 さすがに怒りました。すると、タコくんはビクッと身体を震わせました。

 

「ごめん。タコくん」

 

 それ以降、会話はありませんでした。

 

 全部、この怖い顔がいけないのです。

 

 ボクは、ボクから遠い席に座っているアサリさんを見ました。口をずっと閉じていて、とても静かだけど、ボクはそんなアサリさんが大好きです。

 

 でも、こんな顔じゃ、告白なんてできません。

 

 これも全部全部、この顔がいけないのです。

 

 ウウン ウウン ウウン

 

 帰り道、イカくんと帰りました。

 

「久々に帰るなぁ」

 

 イカくんは言いました。イカくんが言うには、二週間あまり机の引き出しの中にいたようです。

 何も驚くことはありません。だって、それがイカくんだから。

 

「怖い顔に悩んでるんだね」

 

 イカくんは言いました。

 

「うん。どうしたらいいかな?」

 

「うーん。やすりで、そのエラを削ったらどうだい?」

 

 エラはそこまで怖いものではない気がしますが。

 

「あと、目かな?」

 

「やっぱり、怖い?」

 

「うん。左右非対称のところが」

 

 イカくんは笑って言いますが、ボクの一番の悩みが『目』なのです。

 

「家、お邪魔していい?」

 

 イカくんは突然、そんなことを言います。

 

「いいよ」

 

「やったー」

 

 イカくんは無邪気に喜びます。

 

「ただいま」

 

 ボクが言うと、それを真似てイカくんも「ただいま」と言いました。

 

お母さんが部屋から出てきて、ボクの方に来ます。いつも優しい顔をしているのに、今はとても恐ろしい顔をしています。怒っているようでも悲しんでいるようでもあります。

 

「お母さん?」

 

 お母さんはイカくんをぎゅっとつかみ、床に叩きつけました。イカくんはぴろーんとのびて、そのまま動きませんでした。

 

 ウウン ウウン ウウン

 

 すると、お母さんはせきを切ったように泣きました。

 

「ごめんね。ケンゴ。ごめんね」

 

 ボクの名前は健吾。鮫島健吾です。

 

「さっき安藤先生から電話をいただいたの...。ケンゴがまたおかしくなったって...。ぬいぐるみに話しかけたりするようになったって」

 

 イカくんはボクの友達です。ぬいぐるみなんかじゃありません。安藤浩介先生(通称アンコウ先生)はひどいことを言うものです。

 

「辛いのはすごくわかるの。だから、健吾にはほんとうにごめんなさいって思うの」

 

 お母さんは泣いています。

 

 ボクはお母さんから目をそらそうと横を見ました。大きな姿見がありました。ボクの顔にはぐるぐる包帯が巻かれ、ミイラみたいです。唯一、肌の見える目の当たりが悲惨なことに片方は窪み、片方は出目金みたいに突き出ています。

 

 ボクは1年前に大きな事故に遭いました。友人の多古くんと遊び、その帰りに車に轢かれたのです。ボクの顔は車輪によってぐしゃっと潰されたのです。顔面は崩壊しました。息もできず、とても苦しかったです。

 

 ボクは怖い顔になったのです。

 

 家は貧乏だから整形とかはムリなのです。ボクの手術代で家は借金を背負うことになったのです。だからグロテスクな顔で過ごしていかないといけないのです。

 お父さんとお母さんが毎日毎日お仕事を頑張って、ボクの顔を元どおりとまではいかなくても、見られる顔にしようと言ってくれてます。ボクはその日まで我慢しなくちゃいけないのです。でも、ボクは今日一日を生きるだけでミジメな思いになります。

 

 こんな顔じゃ誰も近づいてはくれないのです。あんなに仲の良かった多古くんも、ボクの好きな浅利さんも。

 

「サメくん、元気出して」

 

 イカくん

 

 じゃなくて、ボクはボクに言います。

 

 でも、元気なんてでません。顔というのは、人間関係を築くための大事なツールです。その大事な顔を欠損したということは、ボクはみんなから疎外されること必至です。現に、クラスメイトはボクを奇異なものを見る目でみているではありませんか。

 

 ボクは今すぐにでも魚になりたいと思っています。魚はきっとボクのこの醜い顔を気にすることはないでしょう。ボクは自由に生きていきたいのです。

 

 でも、どれほど現実を逃避しても、この身が現実にある限り、ボクはボクです。その事実が今日もまたボクの中で不穏な音となって、響き渡るのです。

 

 ウウン ウウン ウウン

 

 サイレンのようです。

 何となくですが、よくないことが近々起こりそうではあります。

 それが何であるかは、ボクが一番よく知っていることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 昔書いた小説晒してみました。