落合陽一『働き方5.0~これからの世界をつくる仲間たちへ』

羅生門』を読む。

 感想。

 人間のエゴを感じた。

 使い古された感想だ。

 老婆にも正義があり、下人にも正義がある。正義はひとつではないことを知った。

 これまた使い古した感想だ。

 じゃあ、使い古されていない感想って何だよ。

 

 YouTubeを始める。

 メントスコーラをする。

 使い古されたネタだよ。

 寝起きドッキリをしよう。

 使い古されたネタだよ。

 じゃあ、使い古されていないネタって何だよ。

 

 まあ、とにかくこの世はたくさんのアイデアに埋め尽くされ、斬新なアイデアがもう生まれないように思えてならない。

 だが、今回のコロナ禍で、リモートワークという働き方が広く認知された。これはコロナ関係なく、時間を無駄にしない合理的な働き方として解釈されつつある。もちろん、このような働き方ができない職種もある。

 アイデアが生まれるのは、もしかすると不謹慎にも世界の状況がガラリと変えてしまう、そ歴史的な瞬間なのかもしれない。

 

 さて、今回は落合陽一『働き方5.0』という本の感想を書いていく。だが、各章ごとの感想を書いていくのではなく、第二章「いま戦うために知るべき「時代性」」にのみに絞って解説することにする。この章に私は感嘆した。

 

 落合氏は「魔法」という言葉を使いたがる。

 魔法……なるほどクレジットカードも「魔法」のひとつだ。

 手元に現金がないのにカードひとつで買い物ができてしまうということに「へえ、すごいなあ」という一言で済ましてしまう。彼/彼女はクレジットカードの仕組みを知らない。なぜクレジットカードなるものが現金の代わりになるのか知らない。彼/彼女はいわば魔法にかけられた状態に陥っているのだ。

「魔法」を仕掛けているのは、クレジットカードのシステムを考案したクリエイティブな人たちだ。彼らはもちろんのことだが、クレジットカードがどういう仕組みで現金扱いされるのか理解している。

 私たちの世界は「魔法」に溢れている。

 私たちはその魔法にかけられた状態でいる。

 Siriだって、よくよく考えれば不思議だ。なぜ機械が私の質問に答えることができているのか? まあ、そんなことをいったら、スマホなんてまさに魔法だ。あの小さな板だけでいろんなことができる。

 

 このように魔法に溢れている21世紀において必要なのは「他人にはコピーのできない暗黙知だそうだ。落合氏は「魔法にかけられた状態」でいるのはある意味仕方ないことで、自分の専門ではない分野では、別にそのままでもいいと述べている。この時代に世の中にあるすべての謎を理解するなんて、脳みそがいくらあっても足りないし、時間も足りない。

 他人にはコピーできない暗黙知

 他人にはコピーできない、とあるので、それは専門性の高い知識であるそうだ。

 専門性が低く、何でも器用に処理できる浅く広い人材より、これからはシェアできない暗黙知を持ち合わせている人材の方が重宝されるかもしれないというのだ。

 数学がすごいできる人間がいるとする。しかし、そういったひとは別に珍しくない。同じようにすごい数学ができる人間が何人もいる。そこで「ナンバーワン」を目指すとなると、至難の業だ。

 だが、誰もやらないようなことをやってみたらどうだろうか?

 自然と「ナンバーワン」になれるのではないか?

 これはかなり前に紹介した藤原和博『10年後、君に仕事はあるのか?』に通じるところがある。あちらには「100万人分の1の希少性を目指せ」といった旨が書かれてあった。

 20代に100人に1人(それくらい希少性の高いジャンルに得意になる)

 30代に100人に1人(同上)

 40代に100人に1人(同上)

 そんなふうに希少性を極めていくと、100万人の1の希少性を獲得できる。

  

zzzxxx1248.hatenablog.com

 

 だが、ここで問題なのがその「オンリーワン」がいまの時代に何の価値があるのか? ということだ。

 

 たとえば、「石器に詳しくなってやる」と意気込んだところで、「なぜ石器なんてつくるの?」と問われて何も答えられないようでは意味がないのである。

「希少性が高そうだから」とか「石器が好きだから」ってのは理由になっていない。また、「時代はデジタルだけどアナログに立ち返るってのもいいかな」と答えてしまった場合、それは単なる「頭すっからかんの逆張り野郎」なのでもはや救いようがない。

 問題なのは「なぜ、それをするのか?」ということだ。

・それによって誰が幸せになるのか。

・なぜいま、その問題なのか。なぜ先人たちはそれができなかったのか。

・過去の何を受け継いでそのアイデアに到達したのか。

・どこに行けばそれができるのか。

・実現のためのスキルはほかの人が到達しにくいものか。

 この五つの問いを自分に行ってみるとよいそうだ。

 文脈を語ることができるから。

 

 まあ、何はともわれ「思考」はかなり大切だ。

 この思考は言語化によって育てられる。

 たとえば、政治批判する際に「あの政治判断は間違っている。けしからん」と憤然しても、なぜ「政治判断を間違っている」と言えるのか? どんな判断を下していれば納得していたのか? といったところまで考えることが求められる。それを考えることで、「思考体力」が身につく。

 忙しいから、そんなことを考えている暇がない

 とか

 めんどくさい

 とか言われるかもしれないが、正直「思考体力」を身につけるためには継続が必要だ。

もし、思考体力を身につけていなければ、「どうしたらいいんですかね?」「まあ、いろいろありますね」と、自分でアイデアを捻出するのがただただ苦手なひとになってしまう。

 

 私の場合、英語を勉強したい! という欲求がある。

 だが、「なぜ英語を勉強したいの?」と問われれば答えに詰まる。

 留学したいわけでも、TOIECを受験したいわけでもない。

 だが、英語はできるようになりたいと思っている。

 ……なぜだ?

 私は混乱している。

 私の行動の欲求の源泉はいつも不透明だ。

 いや、不透明なのではなく、単に言語化が苦手なのか?

 まあ、思考体力は子どものときから培われるって本書に書いてあるし……、小さいときにそれを怠ったから、仕方ないのかなあ……って言い訳

 

 ま、まあ、とにかく「WHY」を切り詰めて行かなければならないなと実感した。

 

 これと似たような話で、カウンセラーもよくこの「WHY」を用いるそうだ。

 たとえば、「学校に行きたくない」生徒がいるとする。

 彼/彼女はカウンセラーと話をすることで、ある程度気持ちが上向きになっていったとする(その過程はここでは省略する)。

 ここでカウンセラーは「どうして気持ちが変わったのだと思う?」と尋ねるそうだ。そうすることで、自分に向き合わせる。自己対話をさせる。

 自分と向き合うことはなかなか大変なことで、億劫なことのように思える。

 だが、自分という存在を知らなければ、自分がこれからどういう人間になりたいのかもわからなくなってしまう。だから、自分を知ることから逃げてはいけないのだ。

 

 自分がこれからの社会で活躍するオンリーワンになりたいと願っているひとが自分を知らないようではお話にならない。

 

 よく就活とかで自己研鑽を怠って、資格ばかりとろうとするひとがいるが、そういったひとは以下の動画を見た方がいい。(エフさんの動画はどれも皮肉が利いていて素晴らしいと思う反面、自分に思い当たる節があって心苦しい)

 

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 正直、「浅い知識」なんぞいつでも獲得できる。資格が浅い知識でとれると言いたいわけじゃないが、一年未満の勉強でとれるものならば、それは浅いとまではいかなくてもそれほど深いとまではいえない知識だろう。

 よく、就活前に簿記検定とか、プログラミングの勉強とか頑張ろうとするひとがいるが、そんなことをする前に「なぜをそれをするのか?」を考えねばならない。また、「それは入社したあとでもいいのではないか?」ということも考えねばならない。

 いや、でも、面接があ。

 と、嘆かれるかもしれない。

 だが、「〇〇検定」持っているとかいったことよりも、「〇〇をしました」といったその人が味わった経験の方が評価される。その経験は唯一無二のものだし、希少性も高い。対して、資格なんぞ持っているひとはごまんといる。

(まあ、最悪経験とかなくても、自分という人材がどういうことをしていき、将来的にはどんな仕事をしていきたいかといった未来を見据えたことをロジカルに説得力をもって話すことができればと、面接官はいい印象を受けるそうだ。某メンタリストが言ってた)

 

 まとめよう

・他人にはコピーのできない暗黙知を獲得しよう(専門性を高めよう)

・専門性を高め、希少性を高めよう

・思考体力をつけよう(「なぜそれをするのか?」を考えよう)

・自分と向き合おう

・優先順位は「自己研鑽」「経験を積む」のが上(資格をとるとかは後回し)

 

 さあ、自分を知り、自分にしかできないことは何か?

 考えて行こうではないか。