しろやぎ秋吾『10代のつらい経験、私たちはこう乗り越えました』

 これは作者であるしろやぎ秋吾さんがSNSで『10代のつらい経験、私たちはこう乗り越えました』と、エピソードを募り、それを漫画化した作品です。

 

 本書がいいところは、数あるエピソードを通して、「10代の○○の悩みについてはこう解決すべきだ」といったふうなことを書いていないところだ。

 また、本書のタイトルと相違して、その悩みを乗り越えることができなかったというエピソードもある。

 作者自身も言っているのだが、本書は実際のエピソードを通して、10代という多感な年ごろの子の悩みについて、どう考えたか? ということがキーになってくる。

 私自身、10代の子を相手とする職業に就いている身として、いろいろ考えないといけないと思っている。

 実は、けっこういろんな生徒の悩みについて聞いてみたりしている。

 しかし、その悩みを解決する言葉なんて全然浮かんでこない。

 だから、私はその子の悩みをしっかり聞くということを徹底している。話を聞き、共感的姿勢を示す。解決策はない。

 それでいいのか? と自分でも思う。

 でも、今の自分にはそれしかない。

 実際、そういった悩みを持った子の話を聞いてあげることで、すっきりしたと言ってくれることがある。

 だから、自分は子どもたちの声を聞くことはこれからも徹底したい。

 これが自分の教育の軸。

 

……と、まあ、自分語りはこれくらいにして。

 

 本書を読んで、特に印象深かったのは、エピソード8。

「実の親に会いに行こうとした話」

 

 小さい頃に虐待・ネグレクトにあって、里親の元で暮らすようになった女の子(高校生。以降Aさん)の話。

 Aさんの里親はとてもやさしく、「家族だから」と言って、契約がきれても(里親の契約は子が18歳になると切れる)、いっしょに暮らそうと提案してくれた。

 しかし、Aさんは「他人にお金を出させている」という罪悪感があり、自分の大学の学費だけは誰の負担にもならないように給付型の奨学金を申し込んだ。その際に、Aさんが社会的養護を受けた身である証明書が必要となり、児童相談所に行き、その書類を受け取ると、そこに実母の住所が書かれてあった。

 好奇心から、Aさんはその住所に足を運ぶ。

 そこには無邪気に遊ぶ5歳くらいの男の子がいて、洗濯物も干してあり、カーテンも開いている。この様子から、実母は再婚してうまくいっているのがわかったAさんは、実母の姿を見ないまま、帰ることにした。

 帰りのバスでAさんは「私だって愛されたかった」と泣く。

 その夜、里親はAさんをやさしく抱きしめた。

 

……

 

「私だって愛されたかった」という言葉に強く胸をうたれた。

 

 ほんとうの家族のぬくもりをAさんは得たかった。

 里親はたしかにやさしいけど、ほんとうの家族にはまさらないのだろう。

 里親側の心情が描かれていないが、きっと何らかの事情で子どもが産めずにAさんを迎え入れたのだろう。Aさんを「家族」として。Aさんは里親にやさしくされ、感謝の気持ちももちつつも、罪悪感があって、ほんとうの家族の愛情を受けなかったことを悲しむ。

 どちらも報われないように思える。

 それがせつなくて、つらい。

 親を忌み嫌う10代がいる中で、実の親から愛情を受けていないことを悲しむ10代もいる。

 今まで頭で理解していても、どこか浮世離れしているような感覚でいたけど、教師になって、子どもたちの生育環境や背景を知るようになり、自分の育った環境がいかに恵まれているかを知ったと同時に、そんな自分に何ができるのだろう? と思うようになった。それは自責の念にも似ている、そんな思い。

 

 だから、まず自分はいろんな背景をもった子がいることを知ろうと思った。

 その子たちのもつ背景がリアルであって、自分の生育環境は参照にならないものだと理解し、私は子どもたちと接しないといけないと思った。

 

 だから、真の意味で共感はできない。

 たとえば、虐待・ネグレクトのつらさを安易に〈わかる〉と言ってはいけない気がする。

 

 でも、理解しようと思う。

 絶対に。

 

 そんなことを考えた。