『舞姫』『普請中』はなぜ書かれたか ~エリーゼという女性をめぐって~(大学のレポートで提出したもの)

舞姫』『普請中』はなぜ書かれたか ~エリーゼという女性をめぐって~

 

. はじめに

 

 『舞姫』は、一八九〇年一月、『国民之友』に、『普請中』は、一九一〇年六月、『三田文学』に発表された小説である。『舞姫』は鴎外の代表作と言ってよい作品である。そして、『普請中』は、しばしば、その『舞姫』の後日譚として読まれる作品だが、身体的特徴などで『舞姫』のエリスと『普請中』のドイツ人女性は異なる人物だと分かる。また、エリスのモデルとなったドイツ人女性は、昭和五十六年、週刊英字新聞記載の船客名簿により『エリーゼ・ヴィーゲルト』だと判明した。しかし、調査が進むにつれ、その名前は確かではないかもしれない、とされるようにもなった。しかし、本研究では、彼女の名を『エリーゼ』とする。エリーゼは悲劇なヒロインである。そうさせたのは鴎外自身である。では、なぜそんな自分に非難が集中しそうな『舞姫』『普請中』といった作品を鴎外は書いたのか、考察していく。

 

2 エリーゼヴォーゲルトとは

 

 鴎外の恋仲であったドイツ人女性の実像をめぐって、鴎外の家族の中でも一致しないものであった。それほど、鴎外の恋人は謎に包まれた存在であった。今野勉『鷗外の恋人 百二十年後の真実』(NHK出版 二〇一〇年、十一月 頁十六、十七)に次のような文がある。

 

 ‥‥‥そのドイツ人女性の実像をめぐっては、鷗外の家族の間でも「路頭の花」説と「永遠の花」説が対立していた。

 「路頭の花」説は、鷗外の妹・喜美子の主張だった。ドイツ人女性の帰国について交渉した夫の小金井良精からドイツ人女性のことを伝え聞いていた喜美子は、自らの見解として「路頭の花」という言葉でドイツ人女性を推断した。

 (中略)

 それに対して、鷗外の長男・於菟や次女・杏奴は「永遠の恋人」説をとっていた。

 (中略)

 昭和四十九年には、小金井良精の日記の一部が公開され、昭和五十年には、ベルリンで共に過ごし、帰途も一緒だった、鷗外の上司・石黒忠悳の日記も公表され、鴎外がベルリンで恋人を持っていたことや、鷗外の帰国後すぐ、その恋人が日本にやってきたことは確実となった。彼女が帰国したのは、明治二十一年十月十七日、乗った船はドイツ船籍のゲネラル・ヴェルデル号であることもわかっていた。』

 

 

 前書は後に、それなのにそのドイツ人女性の素性が明らかになっていない、といった旨が書かれている。過去の文献をあたってみると、エリーゼユダヤ人だ、といった憶測やエリーゼは娼婦だ、といった憶測が行き交っている。どれも推測の域を出ないものである。

また、前書に記述された「路頭の花」「永遠の花」については、本研究では詳しく取り扱う内容ではないが、前者は「卑賎の女」、後者は「淑やかな女」とだけ簡易な意味説明を添えておく。

 さて、「舞姫」において、太田豊太郎は二十五歳の青年で、モデル自体は軍医の武島務いう人物だと言われているが、鴎外自身も豊太郎の人物に自分を投影していただろう。豊太郎の「太郎」は森鴎外の本名・森林太郎の「太郎」に由来すると言われ、また、鴎外自身と豊太郎がベルリン滞在していたときの年齢が合致している。以上の理由から、鴎外という人物像が、豊太郎の人物像の輪郭を象ったといってもよいだろう。また、エリスについてはどうか。エリスは『エリーゼ』がモデルだと言われているが、年齢が合致しなかったり、父や母の職業が合致しなかったりするが、近年の研究でエリスのモデルは『エリーゼ』であることは確たるものとなってきた。

 

3 『エリーゼ来日事件』とは

 

 「舞姫」では、エリスは豊太郎が日本に帰ることを相沢に伝えられ、発狂した。そんなエリスをベルリンに置いて、豊太郎は日本に帰った、という描写で物語を終えている。では、「舞姫」の後日譚として読まれる「普請中」はどうか。主人公・渡辺参事官が精養軒ホテルで、あるドイツ人女性を待ち、そして逢瀬する。しかし、渡辺はその女性に対し、冷淡に対応し、国に帰らせる。そういう話だ。「舞姫」を読んでなかったり、また、鴎外に関する知識がなければ、一体何の話かは分からない。しかし、この名前の与えられていないドイツ人女性が「舞姫」に登場するエリス、または『エリーゼ』であると考えると、どうだろうか。

 まず、『エリーゼ事件』とはどういったものか。小平克『森鴎外論―「エリーゼ来日事件」の隠された真相―』(おうふう 二〇〇五年、四月 頁十三)にこうある。

 

 「エリーゼ来日事件」とは、鷗外森林太郎一等軍医が、四年間のドイツ留学を終えて、陸軍省医務局次長石黒忠悳軍医監とともに明治21(一八八八)年9月8日に帰国しているが、その四日後の12日に横浜港に到着したドイツ人女性ミス・エリーゼ・ヴォ―ゲルトが10月17日出国するまでの三六日間、森家親族を周章狼狽させた家内騒動のことである。

 

 つまり、鴎外には婚約者候補がいて、エリーゼが来日することで、事態は面倒なことになってしまうので、森家親族は何とかエリーゼを帰国させようとした。エリーゼが来日して、帰国するまでの間を『エリーゼ来日事件』と呼ぶ。

 

4 『小山内日記』の中で見る『エリーゼ来日事件』

 

 『エリーゼ来日事件』の事実経過を記述する小山内良精の日記が息子の星新一により、公開された。以下が日記の内容である。この日記の原文と簡易な解釈を以下に載せる。

 小山内良精は東京大学医学部教授で、ドイツ留学時代にドイツ人女性との交際経験がある。そのため、ドイツの事情や風俗、文化に精通していた。また、彼は鴎外の娘喜美子の夫である。

 

【日記(原文)】(小平克『森鴎外論―「エリーゼ来日事件」の隠された真相―』(おうふう 二〇〇五年、四月 頁六十二~六十四)から引用)

 

九月 八日(土)  (前略)八時頃帰宅、おきみハ林太郎本日帰朝ニ付千住エ行キシガ同時ニ帰リ来ル

 九月一二日(水)  おきみ千住エ行ク、少時シテ帰リ来ル

(この日エリーゼが横浜に到着した)

 九月一四日(金)  午後四時帰宅シ千住エ行ク九時帰宅

 九月一七日(月)  午後四時教室ヲ出テ、石黒忠悳子去ル八日帰朝ニ付見舞フ面会ス                                                                       

 九月二四日(月)  今朝篤次郎子教室ニ来リ林子事件云々ノ談話アリ夕景千住ニ到リ相談時ヲ移シ十二時半帰宅

 九月二五日(火)  午後三時半教室ヨリ直ニ築地西洋軒(原文ママ)ニ到リ事件ノ独乙婦人ニ面会種々談判ノ末六時過帰宿

 九月二六日(水)  (前略)三時半出テ、築地西洋軒ニ到ル愈帰国云、篤子モ来ル共ニ出テ、千住ニ到ル相談ヲ遂ケ九時半帰宅

   九月二七日(木)  (前略)五時半過出テ、築地西洋軒ニ到ル、林太郎子既ニ来テ在リ暫時ニシテ去ル

   十月 二日(火)  後三時半教室ヲ出テ、長谷川泰君ヲ訪フ不在是ヨリ築地西洋軒ニ到ル模様宜シ六時帰宅

   十月 四日(木)  午十二時教室ヲ出テ、築地西洋軒ニ到ル林子ノ手紙ヲ持参ス事敗ル、直ニ帰宅

   十月 五日(金)  午後築地ニ到

   十月 七日(日)  午後おきみ携テ団子坂辺エ散歩ス   

   十月一四日(日)  (前略)是ヨリ築地ニ到ル林子在リ、帰宅晩食千住ニ往キ十一時帰ル

   十月一五日(月)  午後二時過教室ヲ出テ、築地西洋軒ニ到リ今日ノ横浜行ヲ延引ス帰宅晩食シ原君ヲ見舞フ

   十月一六日(火)  午後二時築地西洋軒ニ到ル林子来リ居ル二時四十五分発汽車ヲ以テ三人同行ス横浜糸屋ニ投ス篤子待受ケタリ晩食後馬車太田町弁天通ヲ遊歩ス

   十月一七日(水)  午前五時起ク七時半艀舟ヲ以テ発シ本船General Werber迄見送ル、九時本船出帆ス、九時四十五分ノ汽車ヲ以テ帰京十一時半帰宅、午後三時頃おきみト共ニ小石川辺ニ遊歩ス

 

 

 

【日記(解釈)】(注:日記の原文、日記の解釈は、小平克『森鴎外論―「エリーゼ来日事件」の隠された真相―』(おうふう 二〇〇五年、四月 頁六十二~六十四)を参考)

  

 九月八日に鴎外は石黒と一緒に横浜港に到着した。そして、その四日後十二日にエリーゼは来日したという。もともと、鴎外には赤松登志子という婚約者候補がいた。十四日、小金井が森家に訪ねたのは、登志子の縁談の相談ではないか、と言われている。森家親族が、エリーゼが東京の築地精養軒に滞在していることを知ったのは九月二十三日である。九月二十四日の「談話」が『エリーゼ来日事件』についてのものであるという旨を、小平氏は述べている。

 九月二十五日、小金井はエリーゼと交渉したということが日記でうかがえる。そして、さらに翌二十六日には、鴎外の弟篤次郎が同席し、いよいよ帰国交渉が本格的になったことが分かる。

 だが、翌二十七日、小金井が築地精養軒を訪れた際、鴎外がすでにいたというふうに書かれている。これは小金井にとって意外なことで、また、このエリーゼの帰国交渉は鴎外に伝えらえていなかったことも日記からうかがえる。また、鴎外は小金井らに隠れてエリーゼと面会していたのでは、という推測も出てくる。

 十月二日の内容から、交渉は順調だと分かるが、二日後の四日は、「林太郎の手紙を持参して、事敗し、すぐに帰宅する。」といった内容が書かれ、鴎外の手紙を見たエリーゼは態度を変えたのか、交渉が決裂してしまった様子がうかがえる。

 十月七日について、小金井が記したのはこれだけだが、『石黒日記』には以下のように記述されている。

 

  一〇月 七日(日) 朝森林太郎母並弟妹来ル

 

 つまり、鴎外の母・峰子、息子の篤次郎、娘の喜美子を連れて、石黒に面会したということが分かる。小平氏はこの面会を異例な面会と称して、森家親族にとっての異常事態を表している、という旨を書いている。続いて、小平氏は『石黒と鷗外に関わる重大事が発生したので、その善処を上司の石黒に懇願した』と推測している。この異常事態は十四日には収束している、ということが、十五日の記事の「今日ノ横浜行ヲ延引ス(エリーゼを連れて、横浜港に送る)」から分かる。

 十月十六日、鴎外と小金井とエリーゼは精養軒を出て、新橋停車場から汽車に乗って、桜木町横浜駅へ着いて糸屋(汽車問屋兼旅館)に宿泊する。そこに篤次郎が待ち受けていた、ということが書かれている。夕食が済んで、おそらく四人で馬車道通り、太田町通り、弁天町通りを散歩した、という。

 最後に、十七日、早朝五時に起きた四人は、横浜港から艀(はしけ)に乗った。そして、エリーゼをGeneral Werder号に乗せて、九時に船は出発し、彼女と別れる。

 なぜエリーゼが態度を変えて、国に帰ろうと思ったのかなどの仔細について、分かっていないことがあるが、以上が『エリーゼ来日事件』の流れである。

 

 5 『舞姫』『普請中』はなぜ書かれたか。

 

前述したが、『舞姫』では身ごもったエリスという女性を置いて、豊太郎が帰国する、という終え方をしている。『舞姫』は言ってしまえば、倫理的に疑念を抱く作品で、読み手はおそらく主人公の行動を非難するだろう。その主人公には鴎外という書き手自信が投影されているのは確かだ。では、なぜ、鴎外は自らの悪い過去を晒すかのように、『舞姫』を書いたのか。その答えの導きとなるものを清田武文『森鷗外舞姫』を読む』(勉誠出版、二〇一三年、四月、頁二十二)の『坂井健『『舞姫』はなぜ書かれたか?』に以下のように書かれている。

 

 

‥‥‥『舞姫』は二重性をもっている。つまり、エリス事件についてなんらかの「噂」を知っている軍関係者と、そのような「噂」とは、まったく関係のない一般読者との両方に向けて書かれているのだ。前者は、鷗外がモデルになっていることを前提に読み、後者は、まったくのフィクションとして読むのである。

 いや、二重性どころではない、『舞姫』は、森家の家族に対しても向けられている。それは、野口寧斎が「名誉の奴隷となる」と認定したように、太田豊太郎は、出世欲のためにエリスを捨てたものとして描かれている。森家の人々に対して、鷗外は、エリスを捨てたのは自分の名誉欲のためなのだ、と宣言しているのだ。さらに、それはやむを得ぬ選択であったと自分を慰めているのである。つまり、三重、四重の意味を持っているのである。

 

 

 「噂」というのは、「鷗外がドイツでドイツ人女性と同棲していたらしい」「エリスが日本に来ていて鷗外が取り扱いに困っている」「残してきたエリスへの送金に苦労しいている」といったことである。また、前書において、エリスはエリーゼを指すことを断っておく。

 また、『石黒日記』において、明治二十一年(鴎外がベルリンから帰国した年)七月五日、以下のような文が書かれていた。

 

  

車中森ト其情人ノ事ヲ語リ爲ニ愴然タリ後互ニ語ナクシテ假眠ニ入ル

 

 

 『其情人』はエリーゼのことを指す。『愴然』とは、悲しみに心を傷めること。つまり、鴎外自身、エリーゼを置いて、帰国したことに対し、罪悪感のようなものを抱いていたのだ。

 以上を踏まえて、私は『舞姫』を鴎外のエリーゼに対する罪滅ぼしのため、書いたのではないか、と考えた。鴎外の内側に溜め込めたエリーゼに対する謝意を吐き出すかたちで、『舞姫』を書いた。また、自分のした罪とも言える行為を書き出すことで、罪悪感を払拭しようとしたのではないか。また、同時に自身の行為を正当化しようとしたのではないか。これが私の考えた『舞姫』の解である。

 次に『普請中』について考えてみる。『舞姫』で鴎外が抱いていた感情を、『普請中』における男女(渡辺参事官とドイツ人女性)のやり取りの中で吐露している。前に述べたように、『普請中』も鴎外自身のエピソードにのっとって、作られたものである。『舞姫』で、鴎外は自らの行為に罪悪感を覚える一方、自らの行為を正当化しようとした。罪悪感に関しては、先に述べたように、鴎外の内側に溜まっていた罪悪感を自らの感情を言葉に変換し、文章にすることで、吐き出そうとしていた。自らの行為を正当化しようとしていた。山根宏の『森鴎外の『普請中』をめぐって』に次のような文がある。

 

 『普請中』(1910年)は、東京の西洋レストランでの日本人の男とドイツ人女性との短い邂逅を述べている。女は明らかに、ドイツ留学中の男の恋人だが、二人の逢瀬を取り巻く状況は、ドイツのときとは大違いである。「キスをしてあげても好くって」と聞く女に、男は素っ気なく「ここは日本だ」と答える。その瞬間に、給仕がドアをノックもせずに入ってくる。ノックという西洋の礼儀を知らない給仕と、日本という社会の約束にうといドイツ女と―そこに東と西の世界の差が象徴される。

 

 日本人の官吏としての渡辺はドイツ人の恋人の間には国籍の壁や文化の壁があって、それぞれ異国の地に住まう二人は結ばれることはない、ということを言っている。つまり、鴎外がエリーゼを置いて、帰国したのは、二人の間の壁を感じたから、仕方ないことだ、と鴎外は主張しているのではないか。自らの行為を正当化しようというのではないか。

 実際、鴎外がエリーゼとは築地精養軒でこっそり面会し、鴎外の婚約者候補がいるという理由で、小山内らはエリーゼに帰国交渉をした。そういった背景を加味すると、『普請中』の話に違和感をもつ。というのも、『普請中』ではまるでドイツ人女性の帰国を促し、女性はすんなり帰国する。当然、その中にも二人の間に葛藤があったが、それでもすんなりといきすぎである。実際、何がエリーゼの帰国に導いたかははっきりしていない。ただ、エリーゼの帰国交渉に小山内や喜美子などの多くの人が関わっていた。それなのに、『普請中』では渡辺、もとい鴎外一人でドイツ人女性、もといエリーゼを帰らせたみたいに描かれている。しかし、鴎外自身、この問題は二人の問題だと捉え、その問題を解決するのはその二人でなければならないと考えたのだろう。そのため、作品内でこのように表したと考えられる。

 

 6 まとめ

 

 鴎外はベルリン留学時にエリーゼという女性に出会い、彼女を置いて日本に帰った。ここまで、『舞姫』のモデルとなったエピソードである。また、鴎外の帰国後、後を追うようにエリーゼは日本にやって来た。鴎外には登志子という婚約者候補がいて、エリーゼという女性は、邪魔な存在となると考えた小山内らは彼女に帰国交渉に踏み出る。結果、エリーゼは帰国を余儀なくされた。この俗にエリーゼ来日事件と呼ばれるこの流れを基に『普請中』が生まれた。鴎外はエリーゼのことを確かに愛していた。彼女との離別を惜しんでいた。『舞姫』『普請中』を前提知識なく読めば、主人公の冷淡さばかりが先行してしまう。だが、鴎外のエピソードを加味すると、この二つの作品は鴎外の内側に隠し持っていたエリーゼに対する罪の意識を吐露し、罪悪感を和らげようとするため、また、自らの言動を正当化させようとするために執筆された、と私は考える。

 

 

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「それはそれ。これはこれ」

 最近、物騒な事件が多い。

 ハロウィンの日に起きた地下鉄でのジョーカー事件、北新地のビルの放火、舞洲での倉庫の放火、共通テスト一日目に起きた切りつけ事件、立てこもり事件。

 犯人たちがどういう生い立ちで、どういう思いで犯行に及んだのか。

 そういった人たちの背景にあるものを考える必要がある、と私は思う。

 なぜその人は犯行に及んだのかという疑問を考えることで、その原因にあるものを探り、悲劇を繰り返さないために必要な手立てを考えるにあたって重要なプロセスだと思う。

 勘違いしないでほしいのは、これは犯罪者擁護の弁ではないということだ。

 だが、自分のこの論に対して、「お前の家族や友人が被害に遭っても同じことを言えるのか?」と言われたら、返す言葉もない。

 犯人の動機や生い立ち関係なく大きな怒りを覚えるし、許さないと思う。

 

 犯人が犯行に至った理由を考える必要があるという意見を持っているが、身近な人が被害に遭えばそんなことを考える余裕はない。

 論理的になるべきだと思っているが、いざ自分の身近な問題となると感情的になる。

 ようは「それはそれ。これはこれ」なのだ。

 

 世の中、割り切れないものが非常に多い。

 それなのにひとは二極化をしたがる。

 きのこの山派とたけのこの里派でわけるように、文系と理系でわけるように、陽キャ陰キャでわけるように、ひとは何かと分断思考をしたがる。

 性的マイノリティへの理解とか外国にルーツをもつ人への理解が推進されているにも関わらず、世間はグレーを受け入れようとしない。

 結局、ひとは対立が好きなのかもしれない。

 勧善懲悪のアニメがはやるように、物事に白黒をつけたがるのが人間の性質なのかもしれない。

 

 この「グレー」の存在をしっかり認めることで、柔軟的に物事を考えられるようになると思うのだけども、そうはいかないのが今の社会なのかもしれない。

 

「それはそれ。これはこれ」

 でいいと思う。

 

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それぞれの空間

 本を読みすぎると、いけない。

 たしかに、本を読むことで、筆者の主張をそのまま自分に内面化するのはよくないと思う。

 すべての筆者の意見に対して従っているようでは、自分の根幹部分を揺るがされてしまう。

 しかし、ときたまに自分の意見を代弁してくれるような、もやもやしていた思いを言語化してくれるような文章に出会うことがある。

 

 朝井リョウの『スター』という小説で、千紗という登場人物がこんなことを言っていた。

 

「だから、自分がいない空間に対して『それは違う』、『それはおかしい』って指摘する資格は誰にもないんだよね。何か言いたくなる気持ちはすっごくわかるんだけどさ、全部、自分がいる空間とは違うルールで成立しているんだもん。たとえ自分はそのジャンルの頂点を知っているんだからって思っても、それが本当に頂点だとしても、頂点の場所にある一つの点だけを知ってるにすぎない」

 

「誰かにとっての質と価値は、もう、その人以外には判断できないんだよ。それがそれだけ、自分にとって認められないものだとしても」

 

 一つ目の「全部、自分がいる空間とは違うルールで成立しているんだもん」という部分。

 よく昔、大人たちから「人の嫌がることは辞めましょう」みたいなことを言われたが、そもそも「人の嫌がること」の定義というのは人によって異なるものだ。

 

 教師生活の中で、荒れたクラスで授業をしているときに、生徒に「まじめに授業を受けたい人がいるんだから静かにしなさい」といったことを言ったことがあった。そのあとに、騒がずにまじめに授業を受けている生徒から「うるさい方が集中できる」といったことを言われた。正直、その考えは自分にはないものだった。だから、その子にとって、まじめに授業を受けるのにふさわしい環境は「静かなところ」ではなく「騒がしいところ」であるのだという。

 

 自分がいる空間と、他者がいる空間。

 それぞれにある価値観とか考え方は別々のもので、それぞれは矛盾し合うものではないのかもしれない。

 どれだけ相手の価値観が気に食わなくても、相手にとってはその価値観が真実であるのだ。

 それくらいに自分にとっての真実というのは曖昧なものなのだろう。

 だから、自分の考え方と相手の考え方を比べるなんて作業はまったくもって意味がないものなのだ。

 それぞれの考え方は衝突し合うものではない。

 そもそも座標が異なるのだから。

 だから、相手の考え方を糾弾する行為も何の意味もない。自分の考え方とは違うことに怒っても何にもならない。

 

 人はいろんな価値観、考え方を持っている。だから、それぞれの価値観、考え方を認めてきましょう、といったムーブメントもある。

 結婚をしないという考え方、月に10万円くらいで生きるという考え方、トー横キッズたちの価値観、生まれない方が幸せだったとする「反出生主義」。

 しかし、すべての価値観や考え方を認めるのは難しい。

 だから、認めるというか、「知る」ぐらいがちょうどいいのかもしれない。

 そういった考え方をしている人がいるという事実を知る。

 別に相手の考え方が「正解」ではないのだから、わざわざ自分の価値観にその相手の価値観を入れ込む必要はない。また、相手に自分の価値観を押し付けるようなことをする必要もない。

 

 そういう考え方もあるのか、へぇー、くらいでいい。

 

 自分の空間と相手の空間は違うルールで成立している。

 そもそも人のもっている価値は誰かが判断できるものではない。

 

 そのことを頭に入れておけば、理解できない考え方に対峙してもわざわざ感情的にならなくても済むのかもしれない。

 

 

 

何者にもなれなかった

 自分がない。

 そのことに気づいたのはいつだったか。

 多分、教員採用試験の面接試験に向けて自己分析を行っていたときだと思う。

 

 自己分析。

 

「自分の長所・短所」「自己アピール」「ガクチカ」など、自分がどういう人間であるか、自分がどういったことを頑張ってきたのか、そこで自分はどう考えるようになったのかなどの、そういった「自分のこと」に関する分析。

 いちばん身近で、いちばん知っているはずの「自分」について何も知らないということを思い知らされることで、自分が「何者であるか」わからなくなることがある。

 そこで、ひとは「自己啓発本」に助けを求めたり、成功者の話を聞いたり、「自分探しの旅」に出掛けたりするのだと思う。

 

 私は一時期「自己啓発本」を読んでいた。

 YouTubeでそういった本をまとめてくれる動画を見ていた。

 

 今考えると、だいたいの自己啓発本では、「考えるより行動しろ」とか「悪い環境から抜け出せ」とか「「自分に『なぜ?』を問い続けろ」とか、そういったことをあらゆる虚飾をつけて述べられていた。

 

 そういった内容を受けて実際に行動に出られるのなら、自己啓発本を読んで意味があったといえるが、本を読んで、「いいことを知った!」と謎の満腹感を得て、終わってしまったらまったくもって意味がないだろう。

 

 私はあらゆる自己啓発本を読んだり、動画で見たりして、いつも「なるほど!」と思っていたわりには行動を起こさなかったし、そのくせ自分が高尚な人物にでもなったような気がしていた。

 

 しかも、昨今は、自分の職場の環境になじめずに起業家などのインフルエンサーの意見や著書に流されてすぐに転職を志したり、そもそも組織特有の上意下達を嫌ってフリーランスや企業などの独立を目指したり、FIREという「経済的自立と早期リタイア」というムーブメントを知って早期リタイアに憧れたり、そういった風潮がある。

 だが、転職はまだしも、独立をしたり、早期リタイアしたりしている人は非常に少ない。それなのに、一部の人が手に入れた幸福を自分も享受できると勘違いしている人が多い気がする。

 というのも、私も勝手にそう勘違いしていた愚かな人間のひとりだ。

 

「自分が何者であるかわからない」状態でいるとき、自分は何色でも染まってしまうと思う。だから、インフルエンサーの当たり障りのいいこと、都合のいいことを聞いて、自分も勝手に成功者にでもなった気がして、自分は何者かになり得たと勘違いする。

 

 私は今まで何か自分の人生を大きく変えるような劇的な経験をしたことがなかった。

 自分の価値観を大きく揺るがすような大きな出来事に遭遇したことがなかった。

 自分は「何者かわからない」状態がずっと続いていた。

 だから、自己啓発本に流されて、自分は高尚な人間になったような気がしていた。

 

 この自分の愚かさに気づかせてくれたのは、Mr.childrenの「彩り」だった。

 

 

 今社会とか世界のどこかで

 起きる大きな出来事を

 取り上げて議論して

 少し自分が高尚な人種に

 なれた気がして夜が明けて

 また小さな庶民

 

 

 別に、社会問題について議論した経験はないが、社会における価値観や働き方についていろんな人たちの言葉を受けて感化されていた時期があり、そのたびに「高尚な人種」になれた気がしていた。しかし、結局、私は「小さな庶民」でしかないのだ。

 ふと「彩り」を聴いたとき、自分の愚かな部分を言い当てられたような気がして、恥ずかしく思った。

 高校生のときから聴いていたはずなのに、初めてその歌詞の意味を、実感をともなって理解したのだ。

 

 大学四年生時、教員採用試験に落ちてしまった私だったが、幸運にも常勤講師としてとある高校に勤務することができた。やや教育困難校に該当する高校だったのだが、そこで働くなかで、いろんな家庭事情を抱える子どもたちと出会い、「子どもたちの役に立ちたい」と思えるようになった。

 

 自分の思いは本からではなく、経験から生まれることを知った。

 

 そして、そこで生まれた思いというのはこれからも大切にしていきたい。

 

 初めて自分を持てたような気がする。

 そして、もう自己啓発本インフルエンサーの言葉に流されてはいけない、そう思った。

渡部泰明ほか『国語をめぐる冒険』

前置きなしで書いていきます。

 

 

第一章 国語は冒険の旅だ

 

 理想と現実。

「理想」は「こうなったらいいなという状態」で、「現実」は「実際にあるこの世のこと」。対義語だ。

 でも、「現実」とは言い換えれば「理想の実現を邪魔するもの」であると言えて、そもそも「現実」の前提に「想念」や「理想」というものがある。逆にいえば、「想念」「理想」があるから「現実」がある。

 そういうことを考えると「理想」は「実際にはかなえられないもの」「目指されるもの」「現実には存在しないもの」というニュアンスをはらんでいる。

 だが、我々は「現実」で「理想」をかなえたいと思っている。

 そういった我々は文章の中に「理想」と「現実」を入れ込んでいる。

 文章のほとんどは「理想」と「現実」との関係から成り立っている。

「理想」は「想念」「抽象」と言い換えることができ、「現実」は「事実」「具体」と言い換えることができる。

 これが大事である。

 

 願いをかなえたい、つまり理想を実現したいと希望し、理想の世界に入り込もうと行動を起こしたとき、そこには必ず境界がある。現実と理想の境界だ。境界を乗り越えなければ現実の世界へはたどりつかない。だからこそ、その境界には厄介な問題が待ち構えている。そんな「境界」にまつわる物語が、この世に多く溢れている。それも昔から。

 主人公が鬼や怪物と闘う物語。ずいぶんステレオタイプな物語なのだが、主人公に苦難(敵)が降り注ぎ、成長を経て、その苦難に打ち勝つ。そういった物語には、まったく新しい自分になりたいと願う、私たち人間の切なる望みがあるとうかがえる。

 

 昨今不要論が唱えられつつある「古典」。

 古典作品にはこういった「境界」を装置とされた物語が多くある。

 たとえば、『伊勢物語』。平安時代にできた最古の歌物語。

 在原業平をモデルとした主人公の男が旅をする物語。

「男」は、三河の国(愛知県)の八橋というところまでやって来た。

 川が四方八方に伸びていて、しかも橋があちこちに架かっている。

(そもそも八橋の地名の由来が「川の水が蜘蛛のように八方に流れているから」で、しかも「橋を八つ渡しているから」だそうだ)

 ここに「境界」がある。川だ。川は、こちら側とあちら側を隔てるもの。

 そんな「境界」を乗り越えて、橋の向うに行くとそこには「別の世界」があると考えるのが普通だ。

 いわゆる「境界」には「苦難」が待っているのだが、待っていたのは「カキツバタ」であった。

 そのカキツバタを見て、ある人が「男」に「「かきつばた」という五文字を句頭に置いて、旅の心情を詠んでみて」という無茶ぶりをしてくる。

 これはまさしく「苦難」(?)だ。

 

 で、読んだのは……

 

 から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

 

 この和歌、冷静に考えるととてもすごい。

 旅の心情を詠めているだけでなく、和歌の五つの句の最初の字が「か・き・く・け・こ」となっているだけでなく、「褻れ」「褄」「張る」「着」と「慣れ」「妻」「はるばる」「来(き)」と掛詞と縁語をちゃっかり入れ込んでいる。

 冷静に考えると、すごい。

 いや、興奮していても、すごいって思う。

 こういったところも古典の面白さなのかもしれない。

 

「男」が旅を始めたのは、自分の居場所がないと感じたからだった。自分を認めてほしいのに、認めてもらえないという悲しみを抱いていたからだった。

 彼はあらゆる苦境の果てに、とうとう人から認められる和歌をつくった(『伊勢物語』は歌物語なので、「から衣…」以外にも多くある)。結果的に千年のときを超えて、人々に迎え入れられた。千年のときを経て、「男」の「理想」は「現実」になった。

「男」は決してひとりで旅をしていたわけではなかった。何人かの仲間といっしょに旅をし、出先でいろんな人と出会った。人とのつながりの中で、「男」は「理想」を実現しようとしてきた。

 

 国語で学ぶものは「自分の壁を取り払い、人とつながり、理想を現実するための道筋」であると言える。

 

第二章 言葉で心を知る

 

 この章では「和歌占い」という面白い占い方法を紹介していた。

 詳細は本書に譲るが、簡単に紹介するとこうだ。

 

①占って知りたいことを質問の形で具体的に考える。

②歌が書かれた絵図を開いて、目を閉じて、直感で一点を指さして目を開ける。

③指で押さえたところから一番近くにある歌が、質問に対する答えである。

 

 このように自分の状況と和歌とを重ねて解釈し、占うといった方法を「和歌占い」というらしい。

 和歌を解釈するという作業が一見難しそうに見えるが、案外やってみると面白い。

 

 たとえば、「隣のクラスの気になる人に話しかけて関係を進展させるのはどうしたらいいか?」という悩みをもって、引いた和歌がこれだとする。

(実際は和歌だけでなく絵もセットになっていて、その絵に描かれていることも材料に占いをするのだが、ここでは割愛する)

 

 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に

 

 有名な小野小町の和歌。

 

 春の長雨が降っているあいだに、桜の花の色はむなしく色褪せてしまった。それと同じように、わたしの美貌も、物思いにふけっているうちに時が経って衰えてしまったことよ。

 

 こんな意味だ。

 そして、前の悩みを解決するためにこういった解釈をしよう。

 

 話しかければ一瞬は「花」が咲くように盛り上がり、期待が高まるかもしれないが、「長雨」が降っているのだから、時間が「ふる」、つまり時が経ってしまうと、「いたづら」に何も得られないまま終わってしまうことになるだろう。

 

 もっと、和歌を分析することができる。

「花」の着目し、そのイメージの幅を広げてみる。

 開花を心待ちにしたり、落花を惜しんだり、桜に心をうばわれて春はのどかな思いになれないと詠んだ「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」のように、桜はざわざわと落ち着かない気持ちをかきたてるものである。

 すると、こんな解釈もできそうだ。

 

 それだけ魅力のある花もいつかは衰えてしまう。そう考えると、相手の小さな変化に一喜一憂せず、落ち着いて向き合うのが大切だ。

 

 和歌の多様なイメージを持つ言葉に親しみを持つ、これ大事。

 確かに従来の文法的な知識をもって和歌を読み解くいわゆる「教科としての国語的な読解」というのも大事であるが、和歌というイメージの幅を広げてくれるものに対して、自由に解釈するというのは新しい意味をつくるということでもあり、正解のない社会においてそれは大切な役割を持つことになっていくと思う。

 

 最後にこの章の最後の部分を引用しようと思う。

 

 

 冒険の勇者が旅をするのは、変化し続ける先の見えない世界。正解が一つではない場所で、自分を知り、その時々の状況にふさわしい答えを探しながら進んでいきます。

 そこで味方になるのは、身を守ったり、謎を解いたり、壁を壊したり、情報を得たり、現実を変えたり、七変化する言葉です。その武器をしっかり携えて、自分を鍛えあげていく。そうすれば、目の前に広がる世界がどんなものでも乗り越えていけるでしょう。

 

第三章 他者が見えると、自分も見える

 

 小説を読むとはどういうことか。

 文学研究に触れたことがある人はもはや自明の話かもしれないが、小説を読むというのは単に書かれていることを読むというわけではない。そういった行為を「表の物語」を読むというならば、小説を読むというのは「裏の物語」も読むということである。つまり、書かれていないことを読むということである。

 中島敦山月記』は高校国語の定番教材である。

 そこで以下のような文章がある(あらすじを書くのは割愛させていただく)。

 

 翌年、監察御史、陳郡の袁傪という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未だ暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。袁傪は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて、出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎もうこが叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。

 

 もちろん、その虎の正体は李徴である。

 授業では触れられないことだろうが、以上の文章で少しおかしな点がある。

 それはどこか?

 時刻は、残月の光にたよらないと進めないような薄明の早朝で、襲われた場所は「林中の草地」である。虎は草むらに隠れて、獲物を待っていたそうだが……。

 袁傪はひとりで道を行っているのではなく、団体で行動している。しかし、袁傪は最重要人物であるため、先頭に立つのはおかしい。つまり、彼は中間あたりにいたと考えるのが妥当である。

 ならば、李徴がばっと現れたのは、隊列がある程度進み、袁傪がいたと推測される中ごろになったときだと考えられる。

 おかしな話ではないか?

 李徴が本気でこの袁傪一行を襲撃をするとすれば、先頭か、最後尾であるべきだ。しかし、自分が逃れにくく、不利な状況で襲撃をしたのはなぜか?

 そもそも李徴が虎として、袁傪を襲撃し、今まさに爪牙をかけようというときになって、「危ないところだった」と急に「人間の心」を取り戻すのは、不自然だ。

 

 以上のことから、李徴は旧友を認識し、彼を襲うべきではないという判断がきくくらいに、明瞭な意識と理性を持って行動していたんだと結論付けられる。

 じゃあ、どうして李徴は隊列を狙ったのか?

 李徴がもともと秀才だと評されていたのに、失敗してやむなく下っ端役人まで成り下がり、ついに獣にまで身を落としてしまった。鬱屈した不満やうらみがたまりにたまって、その嫉妬を晴らすべく、隊列の中で一番位の高そうな人物を襲ったのだと考えられる。

(これは本書に載っていた意見である。

 私はこうも考えられるのではないかと思う。

 李徴が冷静に判断できるくらいの人間の心を持っていて、袁傪と再会するためにあえて彼のところで襲撃をしかけたと。孤高の虎として過ごしていたが、人間の心もあって、鬱屈した気持ちや孤独をまぎらわせるために、さらに未公表の詩を言うためにも、聞き手が欲しかった。そう思っていた最中に旧友の袁傪を見かけて、それを実行した。と)

 

 このように「裏の物語」を読むことで、新しい見方が広がっていく。

 言葉の端々から隠されたも斧語りを見つけ出す面白さと、知的興奮が、小説を読み、学ぶことの大切な意味をよく示している。「裏の物語」には、たいていは登場人物が意図的に隠していたり、本人も気づいていなかったりする内容で、書かれた言葉のいあだいや、略されている出来事をみつけていかなければならない。それが小説の面白さである。

 昨今、クリエイティビティが重要だと言われている。

 そんな中、小説を字面通り読むばかりでは「創造性」など身につかない。

 小説を多角的にとらえて、固定観念に縛られず見つめ直そうとする。それは「ひとり」での読書で得るものではない。対話によってはじめて得られるものである。小説を題材に、クラスメイトと話し合うという経験は重要になってくる。様々な見方に触れ、時として互いの意見をぶつけ合うことを通じて、自分の壁を破り、考えの幅を広げていく。(私はこういった対話的な学びは諸刃の剣だと思っている。話し合うメンバーがしっかり自分の意見を持っていれば、あおの活動は有益だが、そうでなければ適当なことを言い合うだけで何の学びにもならない。ブログで何度も書いていることだが、こういった活動は偏差値の高い学校でしか成立しえないものである)

 

 4月に変わる「高校国語」に学者から怒りの声 「人の気持ちがわからない子が育つ“改悪”」〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

 

 今、以上の記事で国語教師から山口氏が非難を受けている。(私のTwitter上では)

 非難を受けている点は「文学は論理を超越する」というのが意味不明だというところや、そもそも山口氏は教育に造詣深いわけではないのに教育に口出しをしてくるなっていうところだ。

 山口氏の非難されている点はさておき、以下の話は重要だと思う。

 

 

――文学に触れないことで、ほかにどんな弊害が生まれますか。

 

「自分の範疇を超えた他者の気持ちがわからない人」に育つに違いありません。

 小学校のころに国語の教科書に載っていた新美南吉の「ごんぎつね」や「手ぶくろを買いに」を思い出してください。その人物の気持ちになって考えよう、と授業で習いましたよね。文学は、感情や情緒にかかわる教育も含んでいるのです。

 また、現代社会では、カタカナ言葉のように、わかる人同士しか通じない言葉が増えていますよね。自分の知っている範囲だけ、自分のお気に入りの人、同じコミュニティーの人としか会話・交渉できない若者が増え、分断社会を助長するでしょうね。

 

 

 小説の中の登場人物たちは、みんないろんな性格を持っている。

 良くも悪くも、自分ではしない行動をしたり、考えを持っていたりして、共感したり、共感できなかったりする。

 今の社会で生き抜くために社会とのかかわりは必須事項である。

 小説の中でそういった他者と出会うことで、彼らの思考や主張を聞き、理解して、その裏側にある心情を読み取るトレーニングは、今の社会を生き抜くために必要な練習だろう。

 

 小説を読むという行為は非常に重要だということが述べられている章だった。

 

第四章 言葉で伝え合う

 

 私は職業柄「わかりやすく」説明しようと努めている。

 ほんとうなところは衒学趣味を披瀝し自分を韜晦するような文章を叙述し他者の諫言に耳を貸すことなく一介の狷介者を演出し慊焉とせぬ面持ちで完成せし晦渋な文章を俯瞰したい。

 しかし、現実で以上のような文章を使えば白い目で見られる。

 世間は「わかりやすさ」を求め、難しい語を使う者を忌避する。

(それはそれで使われなくなった言葉たちが浮かばれない! と思う)

 さて、社会で求められる「わかりやすさ」とは何か?

①相手が理解できる言葉を互いに使っているか。

②情報が整理されているか。

③構成が考えられているか。

④互いの知識や理解力を知ろうとしているか。

⑤聞いたり読んだりしやすい情報になっているか。

 本書であげられていた「5つの観点」。

 ①に関して、相手が誰かによって言葉の使い方は変えないといけない。 

 たとえば、年配の人に対して「エモい」なんて言っても伝わらないし、小さい子どもに対して「マジョリティ」と言っても伝わらない。

 ②はプレゼンテーションのときに大事なことだ。パワポに情報が多すぎると内容が入ってこない。学校で使うプリントもあまり情報を詰め込み過ぎない方がいい。

 ③に関してはSNSを使用する際、とても重要だ。

 たとえば、相手からLINEで「終わったわ」といきなり言われても、「何が?」と思うだろう。でも、「やらかした」と言われたら、何か失敗したんだなと思える。伝える順序や優先順位を考えることで、相手への伝わり方が変わる。そのとき、聞き手の「知りたい」順を考え、それをもとに考えた方がいいだろう。

 ④に関して、相手がどれくらい知識をもっているかを把握して話すべきだと言うことだ。たとえば、私の勤める教育困難校に近い学校では難しい言葉を使ってはいけない。自明のルール。難しいことを言えば、生徒たちはすぐに眠りの世界に落ちる。

(突然だけど、「お笑い」って見ている人の知識の差で笑えるか笑えないかが変わってくると思う。2021年のM1では真空ジェシカが「2進法」と言っていたが、2進法を知らないと笑えない。そんなふうに笑うためにもある程度の知識・教養はいるよね、とふと思った)

 ⑤に関しては割愛しよう。

 と、まあ、人にはさんざわかりやすさを強要するが、教科書に載る文章は「わかりにくい」、試験に出る文章は「わかりにくい」。当然、わかりやすい文章を載せたところで、誰もが読解できてしまうから試験として成り立たないのだろうけど。

 でも、その「わかりやすさ」と向き合うことも大事だ。

 たとえば、中島敦山月記」の「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」という語が出てくるが、一見するとよくわからない。字義は理解できても本当の意味で理解できたという感じにはならないと思う。でも、こういう「わかりにくさ」は、心の底に澱みたいに残る。実際、私は「山月記」を読んでからけっこう月日が経ったにもかかわらず、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」というワードが心に残っていた。そして、プライドばかり高くなるが、それが傷つくのが嫌で、人から避けるという李徴の気持ちを理解できるようになり、初めて「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」という言葉の意味をきちんと理解できた。

 このように、自分の置かれた状況や、今、感じていることと「先人」の言葉が何かしら接点をもつことがある。そのときになって、初めて自分の中で言葉が息づくのだ。

 

(「書けない」ということに関して。これも一応紹介しておこうと思う。

 国語教育研究者の田中宏幸氏は「文章が書けない原因」を六個あげている。

①相手…読み手が不明確で、書いても反応がもらえない。

②題材…適切な題材が見つからない。題材の焦点が絞り込めない。

③視点…自分の立場が定まらない、自己を客観的に見るのが難しい。

(以上①~③までを「発想・構想に関する問題」)

④語彙…様子や心情を表す語句が見つからない。具体的な描写が説明できない。

⑤結束性…文や段落が繋がらない。段落や文章がまとまらない。

⑥筆速…書くのに時間がかかる、日頃から書きなれていない。

(以上④~⑥までを「文章化に関する問題」)

 本書では②を中心に取り扱っていた。

 だが、①~③からわかるように「作文」における「書けない」についての六項目だ。

 私としてはそもそも文章を書くのが苦手な子について書かれていたらよかったのに、と思った。しかし、④~⑥を見たらわかるように「語彙力がない」「文をつなげるのが下手」「遅筆」ということが「書けない」原因であるというのはもはや自明の通りなので、だから本書ではあまり触れられていなかったのだろう。

 私の意見であるが、④~⑥どれもあまり文章を書いたことがないという経験のなさが起因しているように思う。とにかく文章をいっぱい書く。この鍛錬に尽きるのだろう。)

 

第五章 言葉の地図を手に入れる

 

 私たちが国語科として学ぶのは「現代日本語」だけではない。「古典」も習う。

 まず、歴史を紐解いてみよう。

 明治時代に国家による学校教育が開始して以来、「国語」(当初は「国語及漢文」)という教科の中では古文・漢文が教えられてきた。明治初めのころの古文・漢文を学ぶ理由は、今とは少し異なっていた。それは当時「言文一致」の試行錯誤の渦中にあったという歴史的背景が関係している。当時の書き言葉は文語文(古典文法にのっとって書かれた文章)で、日常的な読み書きにおいて古文との接点をもたない現在の私たちとは違って、当時の人たちにとっては、古文は書き言葉を学ぶ際に直接お手本になっていた。

 平安時代頃は書き言葉と話し言葉の間にそこまで違いはなかった。しかし、時代が下るにつれ、話し言葉はどんどん変化していったが、書き言葉はそれほど変化しなかった。明治時代になってからは、話し言葉と書き言葉の差がありすぎる、ということになり、「言文一致運動」がなされたというわけだ。

 ただし、書き言葉はさほど変化がなかったとはいえ鎌倉時代頃に重要な変化があった。

「和漢混淆文」だ。和語を中心とした和文体(ひらがな)と漢文体の融合。それは平家物語の有名な冒頭部からうかがえる。この鎌倉時代以降の和漢混淆文の古文が、明治時代前半ではふつうに書き言葉として使われていた。しかし、「言文一致運動」によって、言文一致が達成することで、今度は古文と現代文の間に距離が生じてしまった。

 これにより、現代における「古典」は歴史的な価値をもつものとして「国民性の涵養のため」という名目をもとに学ばれるようになった。

 では、なぜ古典を学ぶことで「国民性」を育てることになるのか?

 それは、古典を読むことを通じて、私たちが共通の文化的ルールを持っていると信じられるようになるからだ。

源氏物語」「枕草子」「平家物語」「徒然草」を書いたのは、私たちと同じこの土地に住んで日本語を使っていた人たちで、漢文で「論語」や「史記」を読んでもいた。今の私たちもそれを読んで理解し、共感することができる。この感覚が、私たちを共同体のメンバーとして結びつける。

 まあ、学習指導要領では「国民性の涵養」などといった胡乱な物言いはせず、「伝統的な言語文化」を継承するためといった言い方をしている。今まで読み継がれてきた作品をこれからも読み継いでいくこと。そういうことなのだろう。

 

 第五章ではもう少しスケールの大きな話が書かれていた。「国家としての言葉」という視点からいろんな方向に話が展開していった。だが、私は「古典を学ぶ意義」を求め続けているため、「古典」を歴史的背景から読み解き、「古典」の立ち位置について叙述されていたので、紙幅を多く使ってまとめてしまった。

 第五章を読んで、私は「言葉というのは歴史の足跡」だと思った。言葉一つ一つに過去の記憶がある。やはり言葉は生き物である。

 言葉というのは誰かが受け止め、後世へ繋げていくものである。どこかでバトンが渡されないと言葉は消滅してしまう。

「古典」を学ぶのは、日本の歴史を守るためでもあると思った。

 

 

野﨑まど『タイタン』

 あけましておめでとうございます。

 年末年始読んでいた小説を紹介して、2022年をスタートします。

 

 あらすじ。

 

 

 至高のAI『タイタン』により、社会が平和に保たれた未来。

 人類は≪仕事≫から解放され、自由を謳歌していた。

 しかし、心理学を趣味とする内匠成果のもとを訪れた、

 世界でほんの一握りの≪就労者≫ナレインが彼女に告げる。

 「貴方に≪仕事≫を頼みたい」

 彼女に託された≪仕事≫は、突如として機能不全に陥った

 タイタンのカウンセリングだった――。 

 

 

 仕事はすべてAI(タイタン)がやってくれる未来の社会を舞台に繰り広げられる話。

 仕事とは何か?

 働くとはどういうことか?

 そんなことを考えさせられた一冊だった。

 

 以降はネタバレになるので注意。

 

 作中に「基礎生活塔(ベーシック・スティック)」なるものが登場する。

 それは「タイタンの地域開発が到達していないエリアをサポートする基礎保障施設」であり、塔の上部がエネルギー生産部になっていて、そのエネルギーを用いて大気中の水分から水を作り出す仕組みになっている。

 つまり、基礎生活塔で水も飲めるし電気も使えるようになっている。

 内匠とコイオス(内匠と旅する人格をもったAI)がそれを目撃したのはかなり辺鄙な場所であり、それはつまり基礎生活塔がただ水と電気を作り続けて、だけど誰にも使われないかもしれない可能性があるということを意味する、内匠はそこに「仕事の虚しさ」を感じ、「あの作業は本当に仕事と呼べるのだろうか」と疑問に思った。

 しかし、基礎生活塔を利用している人たちと出会い、内匠は心から安堵した。

 そして、彼女は「誰にも何も与えないことより、誰かに何かを与えた方が“正しい仕事”だと私は感じている」と思うようになった。そして、仕事を「一人ですることじゃないのかもしれない」と思うようになった。

 仕事は他者がいることで初めて成り立つ。

 

 結論から言うと(作中の核となる言葉である)、「仕事とは影響すること」であり、製造業は原材料に影響し、材料から製品を作り出して、人々の暮らしに影響する。小売業、サービス業、第三次産業の多岐にわたる業態、そのすべてが必ず、誰かや何かに影響を与えている。

 だが、タイタン(AI)には自我がない。

 タイタン自身は誰かや何かに影響を与えようが、たんたんと仕事をこなしていくだけだが、人間が仕事をすれば「誰かや何かに影響を与える」だけでなく「影響を知ること」も条件に加わる。仕事をしたことで「仕事をした」と思いたい。仕事をしてどんな影響があったかを知りたがるし、成功したのか失敗したかの答えを知りたがる。結果のフィードバックを受け手、初めて仕事が完結したと思える。

 さらにさらに仕事と結果は見合っている必要がある。

 それらが見合っていると実感したことで「やりがい」を感じる。

 だが、人格をもったコイオスは精神を病んでいて、内匠はその理由として「仕事が簡単すぎて心を病んでいた」と指摘する。仕事が簡単すぎてやりがいを感じなかった。だから精神を病んでしまったのだ、と。

 

 ……

 

 と、AIを物語の装置として大々的に設え、「仕事とは何か?」というテーマを据えたこの小説から学び取ったことはいくつかある。

・仕事は他者がいて初めて成り立つものだ

・仕事は誰かに何かに影響を与えることだ

・やりがい搾取が問題視されているが、やりがいは大切。

・仕事のない世界はユートピアではない。

 以上のことを学び取った。

 

 軽快なタッチでさくさくと読める小説で、どこかライトノベル的なものを感じたが、テーマとしては深遠なものになっている。

 

 

 

多様性とは? ――朝井リョウ『正欲』より

 多様な性、多様な国籍、多様な病気、多様な趣味・嗜好……

 昨今の多様性ブーム。

 SDGsで「誰一人取り残さない」という理念を掲げているように、これからの社会ではこの多様性の理解が必要であると声高に言われている。

 

 確かに耳障りのいい言葉で、否定していい理念ではないのはわかる。

 しかし、多様性という言葉が都合のいい言葉として使われている傾向があると思う。

 東京オリンピックの点火式において大坂なおみ選手を「多様性の象徴」と記した記事に対して批判の声が集まったというのは記憶に新しいだろう。

 ハーフであることが多様性の象徴?

 そもそも多様性の象徴って何?

 LGBTQに該当する人は多様性の象徴?

 日本じゃない国のルーツを持つ「日本人」が多様性の象徴?
 障害を持っていることが多様性の象徴?

 じゃあ、外国にルーツを持たない、健康的な一般女性/男性は「多様性」という言葉の枠組みにカテゴライズされない存在なのか? 

 多様性が「互いに非常に異なる多くの人や物の集まり」を意味するので、そういった一般の人たちも「多様性」の枠組みに入るはずである。

 だが、昨今では「多様性」がLGBTQ、外国にルーツを持つ人、障がいを持つ人などを指し示す言葉になってしまっている。

 

 朝井リョウ『正欲』では、次のような叙述がある。

 

 多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。

 

 多様性を受け入れようとすると、かならず限界が来る。

 たぶんだけど、世間一般の「多様性を受け入れる」はきっと「恋愛対象が異性ではない」「恋愛感情を持たない」とか「見た目は外国人なのに、日本語しか話せない」「国籍による差別を受ける」とか、それくらいのステレオタイプな事象に理解を示すことだと認識してしまっているのだと思う。

 だが、「恋愛対象が小学生」だったりすると嫌悪されるだけでなく警察沙汰になるし、『正欲』に登場する人物のように「水に興奮する性癖」については理解不能だと気持ち悪がられることだろう。そういった犯罪行為に発展してしまいかねないフェチを持っている人や、誰からも理解されないような性癖を持っている人は、人目を盗んでこっそりとその欲求を満たそうとする。「多様性社会」において、彼らが報われることは決してない。

 悲しいかな、社会的に白い目で見られるような性的指向をもって生まれてきた人間は今の多様性なる社会に迎合されていない。

 それが『正欲』に登場する人物の言葉にあらわれている。

 

 多様性って言いながら一つの方向に俺らを導こうとするなよ。自分は偏った考え方の人とは違って色んな立場の人をバランスよく理解してますみたいな顔してるけど、お前はあくまで〝色々理解してます〟に偏ったたった一人の人間なんだよ。目に見えるゴミ捨てて綺麗な花飾ってわーい時代のアップデートだって喜んでる極端な一人なんだよ

 

 これは八重子という女子に対して、水に興奮するという特殊性癖を抱えた大也の言葉である。八重子は大学でダイバーシティフェスという、その名の通り多様性について考えるフェスの運営に大きく携わっていて、そのフェスで掲げられている理念に大也は納得いっていないのである。自分の想像に収まるだけの「多様性」だけを礼賛するスタイルに、大也は怒っているのである。

 

 大也の主張はともかくも、昨今の軽々しく使われている「多様性」という言葉の範囲は恐ろしく狭いと思う。LGBTQ、外国にルーツを持つ人、障がいをもつ人……。そういった人たちぐらいしか想定されていない。

 世の中には自分の常識から恐ろしく乖離した考えをもつ人もいるし、有名ではない特殊な障がいをもっている人もいるし、日本の常識では考えられないような外国ならではの常識をもっている人もいるし、そういった人たち全員を余すことなく受け入れるというのは正直かなり難しい。言ってはいけない言葉かもしれないが、そういった人たちを受け入れるのは「しんどい」。

 

 多様性にまつわる話で危惧すべき点が一つある。

 それは「多様性」の一人歩きである。

 多様性という言葉の定義はけっこうあやふやである。そのため、「早起きができないこと」や「就職しない自由を支持すること」や「正義のための暴力を肯定すること」などの事象も受け入れることも「多様性を認める」行為だと捉えることだって可能である。

 そうなると「多様性」は個人のわがままを貫き通すための便利アイテムになってしまう。

 

 多様性には限界があるのだ。

 

 だから、「多様性を受け入れる」のではなく「多様性を知る」くらいがちょうどいいのじゃないかと思う。

 心の根本から、性的マイノリティやら性癖やらに理解を示すのは難しいと思う。だったら「こういった考えの人もいる」「こういった価値観をもっている人もいる」「こういった障がいがある」といった、そういった知識を身につけるぐらいで十分であると思う。

 

 ―――

 

 最後に『正欲』の冒頭文を引用する。

 

 

だけど、私は少しずつ気付いていきました。一見独立しているように見えていたメッセージは、そうではなかったということに。世の中に溢れている情報はほぼすべて、小さな河川が合流を繰り返しながら大きな海を成すように、この世界全体がいつの間にか設定している大きなゴールへと収斂されていくことに。  

 その〝大きなゴール〟というものを端的に表現すると、「明日死なないこと」です。  

 目に入ってくる情報のほとんどは、最終的にはそのゴールに辿り着くための足場です。語学を習得し能力を上げることは人間関係の拡張や収入の向上に繫がります。健康になることはまさに明日死なないことに繫がります。他にも、人との出会いや異性との関係の向上を促すもの、節約を促すもの……その全ては、「明日死なないこと」という海に成る前の河川です。私たちはいつしか、この街には、明日(歌詞みたいに、「みらい」と読み仮名がふられているイメージの明日、です)死にたくない人たちのために必要な情報が細かく分裂して散らばっていたのだと気づかされます。  

 それはつまり、この世界が、【誰もが「明日、死にたくない」と感じている】という大前提のもとに成り立っていると思われている、ということでもあります。  

(中略)

 また、この数年の間に、幸せには色んな形があるよね、という風潮も強まってきました。家庭や子どもを持たない人生。結婚ではなく事実婚同性婚、ポリアモリーアセクシャルノンセクシャル、三人以上またはひとりで生きることを選ぶ人生。多様性という言葉が市民権を得て、人それぞれの歓びを堂々と表明し、認め合う流れが定着しつつあります。ゴールはそれぞれだよね、時代は変わったよね、昔と今は違うよね、常識や価値観は変わったよね。高らかにそう宣言するような情報に触れる機会がぐっと増えました。  この文章を読んでいるということは、あなたもこう思っていると思います。  

 うるせえ黙れ、と。  

 多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています。  

 自分と違う存在を認めよう。他人と違う自分でも胸を張ろう。自分らしさに対して堂々としていよう。生まれ持ったものでジャッジされるなんておかしい。  

 清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉です。これらは結局、マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる〝自分と違う〟にしか向けられていない言葉です。  

 想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです。

 

 昨今の多様性ブームがあまりに浅慮であることを揶揄しているのは前述したとおりだ。

 それ以外に、引用文の前半に瞠目させられた。

 勉強することも、ご飯を食べることも、働くことも、とにかく「明日死なないこと」を前提とした動きであるということ。特に勉強なんか顕著な例で、一朝一夕で成果のあらわれるものではなく、将来を見据えてするものである。未来を生きることを前提とした行為なのだ。

 この社会は「明日死なないこと」を前提につくられ、じゃあ、「明日、死ぬ」といった希死念慮の強い人たちはそんな社会でどう生きられるのか?

 その答えは『正欲』の中にあった。

 人とのつながり、なのである。

 とはいえ、かなり限定的なつながりだ。

 同じ(マイナーな)悩みを共有している隣人とのつながりだ。

 彼らの悩みの根幹が他人から忌避される特殊性癖によるものであるため、世間からは迎合されない存在であることに彼らは暗澹たる思いを抱えている。

 そこに多様性社会の破綻が見出される。

 

 とにもかくにも、『正欲』は深遠なテーマを横に大きく据えていて、現代社会を抉り取っている、えぐい小説だ。正直、読んできた小説の中でいちばん衝撃を受けたといっても過言ではない。

 

 

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